投稿

2012の投稿を表示しています

選挙結果を、どのタイプの日本人にも良いものにするための考え方。

選挙結果が、なかなか印象深い結果になっていますね。

『他者に寛容でありたいと思っていたら果てしなく損な役回りを続けることになる連鎖』をどう抜け出せばいいのか。

なんか、一個前の記事、書いて良かったなあとは思うんだけど、もっとスッキリ言えないもんかね?ってずっと思ってるんだよね。

「スギちゃんみたいな余裕」が欲しいといいつつ、自分自身もそうなってないってとこあるしな。

なんでもっとスッキリ書けないのか?って考えた時に、結局「無意味な遠慮」をしてるんだな・・・・っていう風に、思い立った。

なんか、何回も、「こういうタイプの人はとりあえず現状そういう風な方向での言論をしておいてもらう必要があるし云々」みたいなこと言ってるじゃないですか。

ここ二ヶ月ぐらいの記事の中に、そういう方向の文章、結構書いたと思うんですけど。

その「遠慮」が良くないのかな?って思った。

って、これは「僕個人の問題」でありつつ、グローバリズムの中で日本人が自分たちの良さを発揮していくって時には普遍的な問題なのかな?って思ったりするんで、ちょっと書いてみようと思ってるんですが。

題して、

『他者に寛容でありたいと思っていたら果てしなく損な役回りを続けることになる連鎖』をどう抜け出せばいいのか。

みたいな話。

結論的には、

とりあえずは寛容な態度を取ることによって「色んな立場を包含するような全体の世界観」自体を自分で定義するとこまで行って、それの主張においては「寛容さ」を一切捨てて主張していく、という一貫した態度が必要

・・・・ってことになるのかな。

村上春樹エッセイと「江南スタイル」と「ワイルドだろぉ?」について考えてみる。

韓国人ラッパーPSYさんの「江南スタイル」って曲が、ユーチューブで火が付いてビルボード2位にまでなったらしい。

実際動画見てるとなんか・・・・ジワジワ来るね。笑えてくるね。いいね。検索すると日本語訳付いてるのも出てくるけどマジでいいな。

なんか、日本のバラエティ番組とか見ない人は知らないかもしれないけど、今「スギちゃん」っていう芸人さんが、何かにつけて「ワイルドだろぉ?」って聞くというネタでブレイクしてるんですけど、ちょっと似たものを感じる。

韓流スターって、特に男性スターは、この「ワイルドだろぉ?」をネタでなくマジにやってる感じがあって苦手だったんだけど、それ自体をここまでネタ化してくれるとほんと気持ちがスッとするなあと思った。

で、それとは関係無いようで関係ある話なんですけど、昨日村上春樹氏が、中国問題について朝日新聞にエッセイを寄稿してて、なんか、それがね、いや正論だと思うんだけど、

なんか、「嫌」だなあ

って思ってたんですよね。文章の雰囲気が。

藤沢数希氏の新著「外資系金融の終わり」の偽悪的文体の裏にある「真摯さ」について。

藤沢数希氏の新著、「外資系金融の終わり」を読んだ。

前も書いたけど僕は彼のファン(有料メルマガを購読しているほど)なので、発売日に近所の本屋をめぐったんだけど見つけられず、今日ターミナル駅の本屋に行ってやっと発見した。

良い本だったと思う。

けど、なんかアマゾンのレビューがムッチャ荒れてるのが、なんでかなあ?と思ったりした。

まあ、嫌われる理由は簡単と言えば簡単で、たとえ冗談とはいえ「あの職種は所詮年収1500万円程度で貧乏だから」的な書き方をする偽悪的文体が嫌われないはずはないわけだけどね(笑)

でも、藤沢氏の文章って、シニカルで偽悪的なんだけど、最終的に「ロマンチックな真実志向」とか、それどころかほのかな「愛国心」的なものまで感じさせるところがあって、そこが僕は好きなんですよね。

あと、偽悪的な文章自体も、彼自身が心の底からカネの亡者ってわけじゃなくて、一種の「福本伸行漫画(カイジとかアカギとか)的美学」なんだと思うんですよ。

この前、iPS細胞の山中伸弥京大教授が、「独占して利益を得るためでなく、変なところが特許を独占することでその技術が死んでしまわないためにこそ、我々はこの技術の特許戦争に勝たねばならない」って言ってて僕は感動したんですけど。

そういう感じでね、「カネじゃねーだろ!って大声で言いたいがためにカネにこだわってる」的な、なんか、そういうところがあるんで、僕は彼のファンなんですよね。

中国とのツバ競り合いに勝ち、日本経済復活のキッカケにする算段について。

中国や韓国との悶着が、特に中国の方が結構大変そうですね。

こういう時に、「どうせ戦争なんかにはなりっこないんだし・・・」っていうのは、良くないことだな、と最近思います。
ならないとは思うけど、それは「結果」なんだなという。
人間の集まりっていうのは、色んな群集心理の連鎖がヘンな方向に向いてしまえば、いつだって戦争になってしまう可能性はある・・・・と「思って」みんなが対処するから、結果として致命的なことにはならない・・・わけなんで。
だから、「どーせ戦争とかにはならんだろう」と頭から決めてかかるのは良くないね。
「いつ戦争になってもおかしくない」という緊張感を持って、お互い一歩踏み込み、こっちも一歩踏み込み、エスカレートエスカレートしていきながらも、だんだん落ちるべきところに落ちていけば、そのうち収まる・・・はずで。
で、「戦争にはならない」とするならば、先に暴発してる中国の方が分が悪いのは確実ですからね。

「ヒステリックな負けず嫌いさ」を卒業したい。

(なんかちょっと気持ちの整理のための独白調なことが書きたいので書きます。最初はオタクな話題から入るけど、そのうち一般的な話になると思います。)
「ジョジョの奇妙な冒険」のカプコンが出してる格闘ゲームがあるんですよ。
僕が大学生ぐらいの時にゲーセンで出て、僕は凄い好きだったんですけど。
でも、下手なんですよ。好きで結構やってたんだけど、全然うまくならない。僕の家には子供の頃ファミコンがなかったんで、マジなゲームキッズ育ちの人と比べると、なんかもう根底的に才能がないところがあってですね。
でも、たまーに勝てるっていうのが、楽しいなあ・・・っていうところもあって。
ほとんど勝てないから、たまに勝てたらそれが凄い記憶に残るみたいな。
大学時代に、京都の、白川通今出川から西に坂を下った北側にあった小さなゲーセンで深夜、同じ京大生っぽい男と対戦して、僕は「ジョセフ」っていうキャラクターを当時は使っていたんですが、「飛び込んでから何発か当てた後キャンセル・ハーミットウェブで吸い込んで波紋のビート!」っていう、僕としては成功させるのが結構シビアな連続技で、負けかけてたんだけど最後に逆転してチャカを使ってる相手に勝てた・・・・ってのを今だに覚えてるぐらいで。(その後その男はバン!とゲーム台を叩いて帰っていった 笑)
でもね、ゲーセンだと、お金かかるじゃないですか。大学時代とかそんなにお金沢山持ってたわけでもないしね。
だから、「負けたくないなあ」ってずっと思ってたし、できれば対戦もしたくないみたいなところがあって。

転職とかの人生の転機についての無理のない考え方。

ある会員さんが転職しようかどうしようか・・・・って迷っていて、それについてコメントしてたら、「あれ、こういう話聞きたい人もいるんじゃないか」って思ったので、それについてブログでも書いてみることにした。

なんか、こういう「人生の先輩ぶったこと」みたいな内容を書くのって照れくさいところがあって今まであんまりしてなかったんだけど、ただ、自分は結構それなりに「ユニーク(笑)」な生き方をしている方だと思うので、それがどうやったら可能になったのか、それについて「決断」の段階で考えるべきことは何か・・・・について書いたら読みたい人もいるんじゃないかという感触もあったので。

「みんなの重み」から逃げない方が楽になれるとこあるかもね。個人主義者だからこそ。

「今の時代の普通」じゃない、個人の奥底からのものを時間をかけて具現化しよう!!!・・・・っていうような活動をやって、その「まだ形になってないものを引き出そう」的な動きをしていると、「際限ないな・・・・」っていう気持ちになる時があるんですよね。
で、今までに確かに形になった、「最初はありえないとみんなに言われたエコ系新事業」とか、「物凄い売れるようになった営業ウーマンさん」とかさ、それらは、最初の段階で「否定」してたら具現化しなかっただろう・・・・っていう問題があるからね。
だから、「できるだけ否定しないようにしよう・・・・」って思って色んな会員さんと向き合っていると、「いやそうは言ってもな・・・」っていうケースもかなりあったりして。
今の時代、「成功哲学」というか「成功をイメージすれば何でも叶う」的な夢を売る仕事をしてる人ってかなり多いから、それをホントそのまま真に受けて、「物凄い巨大な野望」を、結構地味な感じで毎日生きている人が密かに抱いていてビックリしたりする・・・・ってことは実際かなりある。
で、まあ、そりゃあね、僕だって全てを見通せるわけじゃないから、それが不可能だとは誰にも言えないわけですけど、それにしたって・・・・というケースも結構あって、それに対してどういう「態度」を取るのか・・・ってのは結構難しい問題で。
それ自体ほんと色々と考えることはあったんですが、最近はある程度「突き放す」ことができつつあるような気がする。

日本一のニートを目指すPhaさんの本『ニートの歩き方』と社会の中のイノベーションの土壌。

「日本一のニートを目指す」という触れ込みのPhaさん(本名・荒川智則氏)という方がいて、彼が最近出した本、「ニートの歩き方」を読んだ。なかなか良かった。最後の方の、「働きアリ」の話してるとことか、ちょっとジーンとして感動したな。

「日本一のニートを目指す」って言われても、それってどういうこと?って感じだと思うんだけど、彼は、「普通に毎日会社に行くとかがどうしてもできない体質」らしくて、「そういう人間でも生きていける社会であるべきだ」的な思想運動?の一貫として、シェアハウスを主催してそこに住みながら、インターネットを通じたアフィリエイトとかその他で生活している人なんだけど。

彼は僕と同い年で、同じ関西生まれ(彼は大阪、僕は神戸)、同じ大学に同じ時期にいたし(当時は面識なかったけど)、僕は彼のブログその他を随分昔から読んでいるし、彼も僕のブログその他を随分昔から読んでくれているらしく、メールで話したこともちょっとだけある。

何より、やってることの「見た目」は全然違うけど、根本的な発想は同じいっていいぐらいのものだなと前から思っていたので、本を読んでもかなりジーンと来た。

彼のやっていることに「猛反対」という人は結構いるでしょうけど、社会の中に彼みたいな存在が全然いないというのも、やっぱ問題があると思うんですよね。

ちょっと前にツイッターでもそういう話をしたし、Phaさん本人にもメールで言ったことがあるんだけど、彼みたいな人は現代の「聖職者」というか、一種の「シャーマン」的存在なんだと思うんだよね。

逆境にめげないリアル本屋さんとリアルCD屋さんの、矢沢永吉氏的「ダサかっこいい」可能性について。

365人の本屋さんがどうしても届けたい「この一冊」

っていう本がミシマ社という直販で有名な出版社から出ていて、これは文字通り全国の365の本屋さんの店員さんに、その人が一番オススメしたい本を、自筆のPOPとともに一ページずつ紹介してもらうという本なんですが。

旭屋カルチャースクエアイオンモール鹿児島店の、南信行さん

に、「21世紀の薩長同盟を結べ」を推薦いただきました。

おおおお。

ありがとうございます!!

この本、鴨長明の「方丈記」とか「キャッチャー・イン・ザ・ライ」みたいな東西の「ザ・古典」みたいなのがあるかと思えば、三浦カズ氏の「やめないよ」って本とか、絵本「100万回生きた猫」があったり・・・・とか、いや実際に見てるともっと「色んな本があるなあ」って感じなんですが、とにかくジャンルレスでかなり熱い「手書きPOP」と「推薦文1ページ」が載っていて、なかなかおもしろいです。

そういう一覧の中に自分の名前と本の題名が載ってるってのも、ちょっとくすぐったい気持ちもありますが、とにかく選んでいただいて、ありがとうございました!

ルネッサンス的社会ビジョンと、「わはははは!って笑えるオッサン」の凄い可能性。

はやいもので超久々の実家長期滞在も今日で終わりで、なんか嬉しいようなさみしいような気分です。

何日かブラブラ涼しい時間に散歩したりしたんですけど、そしたら高校時代の合唱部の先生にばったり道で会って、彼が今指導してるアマチュア合唱団の練習に二時間参加することになった・・・とか、どんな奇跡的確率やねん!みたいな体験もした。

16世紀のパレストリーナっていう作曲家の曲だったんだけど、凄い良かったなあ。

これ→  Sicut Cervus

ある意味「素朴」な時代の曲なんで、聞いて楽しい曲かどうかは、好みが分かれると思うんですが、「凄い演奏して楽しい曲」っていう感じで。

「ジョジョの奇妙な冒険」の荒木先生もイタリアルネッサンス芸術には凄い影響受けてるらしいですけど、そのジョジョが好きってだけじゃなくて、美術で言ったらミケランジェロ、音楽はパレストリーナとか、なんかとにかく「ルネッサンス」って凄い良いなあ!って思う自分を発見した。

なんかね、各パートが、凄い「勝手に自分のメロディを”謳歌”してる」んですよね。

無理に一個の音楽にしようとしてない。

でも、やってると、色んなところで掛け合いが発生してて、全体として見ても、それぞれ勝手にやってるようだけど、調和の取れた連動性が自然に生まれてくるんですよ。

秋葉原連続殺傷事件の加藤智大氏の著書を読んで、こういう問題の「根底的解決」について考えた。

秋葉原連続通り魔殺傷事件の犯人、加藤智大氏が書いた本を、たまたま本屋で見つけて買って、昨日の夜寝る前にちょっとだけ読もうかと思ったら朝までぶっ続けに読んでしまった。

なんか・・・いや「感動」とかはしなかったけど凄く「考えさせられる内容」だった。

まあ・・・普通の感性からすると到底受け入れられない文章でしたけどね。ネット上のレビューとかでも、「全然反省してない」「全く共感できない」「独善的すぎる」とか、色々言われてるし、まあ、それはそれ自体ほんとそのとおりだと思います。

ただ、加藤氏の本の中で、唯一物凄く「なるほど」と思ったのは、「反省の考え方についての補足」っていう最後の方の章なんですよね。

「内田樹氏的思想」と「グローバル資本主義」との間の「21世紀の薩長同盟」について。

僕の神戸の実家と、思想家・武道家の内田樹氏の道場兼自宅が物凄い近くなんですよ。

子供の頃からしょっちゅう通ってた道沿い・・・みたいなところにある。住所聞いたら「ああ、あそこね」みたいな感じの。

で、今書いてる本の編集者の人が、長年内田先生の本を担当してこられた人で、「最近私が一番買っている若手の論客なんです」みたいな感じで、「21世紀の薩長同盟を結べ」を渡して読んでくれと言ってくれたりとか、色んなタイミングで引き合わせようとしてくれたりしてくれていてですね。

そういうわけで今回僕が神戸にいる間にお会いしてみたいなと思って、編集者の方に間に入ってもらって日程を調節してもらったんだけど、まあ合わずに今回は見送りになりそうなんですがね。

でも、予定調節してた時期に、とりあえず行くことになったら迷わないようにと思って道場の前まで行って写真撮ってきたりとか、行くことになったとしたら持っていこうと思って三宮のデパ地下で菓子折りを買ったりとか、してるうちに、すごく勝手に「心理的に近い」気持ちになってる自分がいて面白いなと思った。

編集者の人が、結構熱心に引き合わせてくれようとしてくれてた最初の頃は、僕は「内田先生ってすごい自分とは遠い人みたいなイメージなんだけど」と思っていたんですが、その編集者氏に送られて読んだ内田氏の本とかブログとか読んでると、「世代が違うから方向が全然違うように見えるけど、多分凄い似た感性を持ってる人かもしれないな」と思うようになったんですよね。

そう、だから彼の文章を読んでいると、「気持ちは凄いわかる」・・・・けど、「結論そっち行っちゃう?」みたいな感じになる。毎回ね。

でも最近は、彼は彼の位置であの言説を続けてもらわないといけない理由があるんだな・・・・という理解はできるようになったんですよ。

お客さんのニーズ、世の中のニーズ。

事情があって昨日から実家の神戸に帰ってきていて、二週間ほど滞在する予定なんですが。

とはいってもやるべき仕事は結構あって、祖父の初盆だとかそういうイベント以外は部屋にこもってPCに向かわなくちゃいけないんで、あまり神戸の街を堪能というわけにもいかないんですけどね。
何が辛いって、結婚してからずううっと一緒にいた妻と二週間も離れるのがなんかさみしいみたいな話はありますね。いや、もう結婚して5年もたつのにこんなん言うと気持ち悪がられるんですけど。

ともあれ、そうなっちゃった以上その「意義」を考えたいなと思うタチなんですが、久々に実家に長期滞在するとなると、なんか自分の部屋(もう普段は父親が寝ているらしい)が他人の部屋みたいで面白いなと思います。
昔買った本とかCDとかが並んでるしね。
そういう本棚見てて思うんだけど、本棚は「その人を表現している」というよりは、その時々のその人の「恐れのパターン」だとか、「欠乏感のパターン」だとか、なんかそういうのを代表しているのかもしれないな・・・・と思ったりした。
当時の自分にはものすごく必要だと思って買った本だな・・・っていうのはわかるんだけど、今はもういらないな・・・とも思ったりする。
じゃあ根こそぎ捨ててしまえよ・・・っていうのも・・・・まあ、その実作業に必要な時間がとりづらいということだけじゃなくてなんか違和感あるんで、これはこれで放っておきたい気もするんですが。
とにかく、なんか2週間も実家にいなくちゃいけなくなった以上、そういう「過去の自分」と決別するというか、区切りをつけるというか、そういう時間にしたいなと思っているところなんですがね。

オリンピックとダークナイト・ライジング、「共有できる物語」が『補完』する世界。

オリンピック、子供の頃は全然興味なかったけど、この年になって凄い楽しいなあと思うようになりました。
競泳の男子のリレーで銀メダル取った選手のうち、北島康介選手以外の3人が、北島さんには内緒で
「康介さんをメダルなしの手ぶらで日本に返すわけにはいかねーだろ」
って言ってたって話には、なんかほんとグッと来たな。なんか。
どこが、とは言えないんですが、自分の心の一番弱い部分にグサッと来た感じだった。なんか泣けた。
似たような話題として、内村航平選手が不調に苦しんだ後、団体決勝の跳馬で会心の演技をして笑顔を見せた時に、ツイッターとか2chで
「やっと笑ってくれた!」
って言ってる人が沢山いたのが面白かった。
なんか・・・彼がふさぎこんでると、こっちも暗くなっちゃう的なね。
彼には、今のままのマイペースさでいて欲しい、そして活躍して欲しい・・・って、広い範囲の人が思っているっていうのは、素晴らしいことだなあと思った。

コンサルに出来ること、できないこと。(とその先を掘るための構造変化)

数日前に、@kotosakaさんという、経営学者さんがツイッターで言ってて知ったんだけど、政府のクールジャパン構想には毎年外資戦略コンサルが入ってかなりお金を取っているらしい。

平成23年度(2011)はローランド・ベルガー→「報告書PDF」
平成22年度(2010)はATカーニー→「報告書PDF」

で、報告書読んだんだけど、ATカーニーの方は「・・・・」って感じだったけど、ローランド・ベルガーの方は、「報告書の内容自体」は悪くないんじゃないかと思った。

コンサルとしてできたこととしては良い方なんじゃないか・・・と思ったけど、でも、結局その「壮大な計画」を「誰がリードして実行するんだ?」ってなると、日本の場合物凄く難しくなるんだよな。

ちょっと色々と思ったことがあって、それが今書いている本にとっても大事なポイントになりそうなので、覚書的に書いてみようと思う。

テーマは、「コンサルにできること、できないこと」かな。

今更ですけど自己紹介を・・・その3.副題『原生林のような豊かでタフな経済を目指して』

イメージ
今更ながら自己紹介シリーズ、その3です。これで終わらせようと思っています。

第1回がコレ、第2回がコレです。

目次の、

0 そもそも、「なんでこんなアホなことをしていたのか」(原点編)

1 どういう世界を目指して活動しているのか (思想編)

2 そのために何をやってきたのか  (行動編)

3 今からやっていこうとしていることは何か? (未来の方向性編)

の、

2 そのために何をやってきたのか  (行動編)


ですね。

まあ、やっと普通の意味での「過去の活動紹介」みたいになってきましたけど(笑)

今更ですけど自己紹介を・・・その2.副題『原生林のような豊かでタフな経済を目指して』

イメージ
今更ながらの自己紹介シリーズその2です。前回(初回)はこちら。

目次

0 そもそも、「なんでこんなアホなことをしていたのか」(原点編)

1 どういう世界を目指して活動しているのか (思想編)

2 そのために何をやってきたのか  (行動編)

3 今からやっていこうとしていることは何か? (未来の方向性編)

の中の、次は

1 どういう世界を目指して活動しているのか (思想編)

の話をしたいと思います。

今更ですけど自己紹介を・・・その1.副題『原生林のような豊かでタフな経済を目指して』

イメージ
このページはよほど倉本圭造に興味がある人のためのありえないほど長い自己紹介エッセイなので、サクッとコイツ誰なんだ?ってことが知りたい場合は、私のホームページの「Who?」欄をお読みください。(向こうにしかないコンテンツもありますし、とりあえずコンパクトに全体像がご理解いただけると思うので、かなりご興味を持ってくださっている方も、先に向こうをお読みいただけるとご理解しやすいように思います。その後以下の”長文”へと戻ってきていただければと)







最近出版の依頼を下さった人がいて、”出版社の女性社長さん兼編集者”としてギョーカイでは結構有名な人らしいんですが、「21世紀の薩長同盟を結べ」本体を読むまで、プロフィール欄を読んでも「???」って感じだったと言われたんですよね。

その「???」になったっていう文章は、本の著者プロフィール欄に記載されているコレなんですが。

1978年神戸市生まれ。兵庫県立神戸高校、京都大学経済学部卒業後、マッキンゼー入社。国内大企業や日本政府、国際的外資企業等のプロジェクトにおいて「グローバリズム的思考法」と「日本社会の現実」との大きな矛盾に直面することで、両者を相乗効果的関係に持ち込む『新しい経済思想』の必要性を痛感、その探求を単身スタートさせる。まずは「今を生きる日本人の全体像」を過不足なく体験として知るため、いわゆる「ブラック企業」や肉体労働現場、時にはカルト宗教団体やホストクラブにまで潜入して働くフィールドワークを実行後、船井総研を経て独立。「個人の人生戦略コンサルティング」の中で、当初は誰もに不可能と言われたエコ系技術新事業創成や、ニートの社会再参加、元会社員の独立自営初年黒字事業化など、幅広い「個人の奥底からの変革」を支援。星海社新書より『21世紀の薩長同盟を結べ』発売中です。
で、「なるほど、意味わからない・・・かもしれないな」と思ったんで、それについて、一度まとめた文章を書いておいたほうがいいのかな・・・と思って、これから書きます。

坂口恭平とグラミン銀行と日本のカイシャを市場原理主義が包含する日。

かなり古参の会員さんが、最近坂口恭平さん@zhtsssという奇人に凄いハマってて、「かなりタイプは違うが、自分にとっては倉本圭造と表と裏、タイプは全然違うが補完しあうような存在」とか言ってたんですよね。

(いや、そんなこと言ったら、彼の熱烈なファンで、僕のことが嫌いなタイプの人は怒るかもしれないけれども、まあ、そう言われたってことですよ。そう思う人もいるってことでひとつよろしく。)

・・・で、ふーん・・・ぐらいに思ってたんですけど、あまりに繰り返し言うんで彼のホームページ行ってアレコレ見てたらパッカーン!!って凄いハマった。

「グローバルエリートの時代」のグローバリズム2.0。

@lilaclogさんという有名ブロガーさんがいて、僕は昔からそのブログを読んでたんだけど、今回本を出されるにあたって本名カミングアウトされて、その名前見てビビった。

「倉本由香利」
さんだった。
倉本っていう苗字は多いようであんまりなくて、知ってる人ではプロゴルファーの人と北の国からの人、お笑いの放送作家さんぐらいしかいなかったんだけど。
そりゃねー倉本さんが書いた本やったらねー読まなアカンやろーと思ってアマゾンで予約して買った本、「グローバルエリートの時代」は凄い良い本だった。
タイトルからして、アンチグローバリズム的気風の方にはカチンと来る感じがしますけど(笑)、でもむしろ凄い「日本をなんとかしたい」っていう気持ちを感じる本だったんだよな。

ツイッターを始めました。

IDはkeizokuramoto

リンクはこちら。

うちの既存会員さんは、結構「ツイッター?けっ」みたいな文化圏の人が多いんで、フォローしてくれる人が少なくて寂しい感じがしてるところです。

昔の知り合いさんとか、通りすがりの読者さんとか、良かったら「フォロー」ってやつをしていただけると嬉しいです。

まあ、もうほんと、一歩ずつやっていくだけですねー。

でも最近、「自分が責任持てる方向性」っていうことについて、明確な感覚が見えてきたんで、暗中模索してた時よりもずっとずっと気持ちが楽です。

こういう状況に導いてくれたあらゆる人に感謝だし、特に妻にはマジ感謝です。はい。

「一周回ってくる論理」ベースの愛国心が、むしろ日本の「変人許容度を上げる」。

一個前の記事は、結構なんか、書き終わってホッとした部分がありますね。言おうかなーどうしようかなーと思ってた部分を、もういっそ「信仰告白」しちゃった的な(笑)

色々と進むべき方向を迷っていて、長期的に責任取れる言論にできない感じがしてたんで、しばらくブログ書かずにいましたけど、今後は出版次回作に向けてこの方向性に肉付けをしていくためにも、結構頻度高く書いていけるんじゃないかと思います。(まあ例によって予定は未定で、もう本書くのに忙しくなってまた離れるかもしれないが)

「新しい愛国心」って言った時にね、それは「古いタイプの愛国心」とどう違うかっていうと、要するに
「一周回ってくる論理」によって定義された愛国心
ってことなんですよね。

「新しい愛国心の形」にすべてを巻き込んでいきたい。

昨日、アゴラに投稿したんですよ。

『本気で脱原発だからこそ再稼働』的な落とし所を模索したい。

なんか、野田首相の再稼働容認演説について、今朝の新聞に色々な「知識人」の方々が寄ってたかって「詭弁だ」とかヒドイことを言ってたんですけどね。

僕は結構感動したというか。「よくやったと言っていいんじゃないか」と思ったんですよね。

各方面への配慮を示しながら、決めるべきところを決めた、そういう演説だったと思う。

大げさに言えば、一個前の記事で書いたような、「吉田茂とか岸信介的な決断」と言っていいようなものだったと思うんですよね。

現代の政治家にも「決断力」を持ってもらえる「空気マネジメント」は「三位一体のド真ん中の言論」から生まれる。

アゴラに投稿↓しました。

『ダメ政治家がダメになる真因の方を解決しよう。』

これは続きの記事です。まず上記リンク記事を読んでからどうぞ。

で、政治家がいざというときに決断できるようにする『環境』とは何か?っていう話なんですけどね。

その前に、「決断」っていうのがなんで必要なのかってことを考えると、「物凄い純粋な理想論をただ主張しているだけ」だったら「決断」とか要らないわけじゃないですか。

あるいは、誰が見てもオカシイだろ・・・っていうのを尻馬に乗って糾弾しているだけだったら「決断」とか要らない。

だから、「決断する」っていうことは、あるタイミングで、「現実と理想のぶつかり合いの中で選ぶべきものを選び取る」っていうことなんですよね。

で、戦後日本において「決断」という名に値するなあ、凄いなあ・・・と僕が個人的に思う、日本の政治家が二人いるんですよ。

それは、吉田茂氏と岸信介氏なんですよね。

(こんなことを言うと、「戦後左翼」的なポジションで生きてこられた年配の方には本能的に感情を害されてしまうかもしれませんけど、でも僕自身、自分こそあなた方が真剣に追求していた左翼的良心を継承していこうと思ってる存在なんだと思ってるんで、ぜひ過去の色々の行き違いを白紙にして聞いて欲しいんですけどね。特に、この記事の”前半”はあなたがたにとってムカつくことが多いかもしれないですけど、”後半”まで読んでいただいたら真意がわかっていただけると思うので、ぜひよろしくお願いします。)

アゴラ投稿の続き・・・「長州が可哀想ではないか」から開ける世界。

アゴラに投稿しました。

この記事はアゴラの文章の続きです。先に上記リンクのアゴラの記事をどうぞ。

なんか、前回の記事では、結構「急進的な脱原発派」の、「無責任さ」をかなり批判するようなことを書いたんですけど、それからしばらくして、そういう批判をしているだけじゃ本当に日本を変える力にはならないし、そもそもちょっとフェアじゃないな・・・って思うようになったんですよね。
ちょっと話はズレる部分もあるんですが、最近新しくSNSケイゾーネットに入ってくれた人に、「グラミン銀行のユヌス氏の大ファンです!」っていう人がいて、凄くびっくりしたってのもあります。
ユヌス氏みたいな方向性と、僕のやっていることを、「同列なもの」として感じて、で、SNSにまで入ってくれたっていうのがなんか。
「よりよい世界にしたいという強い志は同じだと思います」って言われたら、うーん、そうか・・・みたいな(笑)
自分は全然違うと思っていたし、今でも違うとは思ってるんだけど、でも、ある種の読み手からすると一緒なのかもしれないな・・・みたいな驚きがあってですね。
ちょっと自分の立場を、深く考えなおしてしまわないとな、シニカルさがちょっとでもあるような立場は良くないな・・・・って思うようになった。(グラミン銀行が非現実的だとか思ってるわけではないです)

電力問題の混乱が、せめて『21世紀の薩長同盟』へと日本人を追い込んでいく(ように持っていかなくちゃね)。

気づいたら半月近くもブログ更新してない・・・・困ったな。

一個前の記事に書いたように、結構自分自身の転換期だなと思ってるんですよね。次回作に向けて、思いっきり自分を変えていかなくちゃいけないなと思っている。

んで、中途半端に昔の延長で適当な文章を書くのは良くないなと感じていたりして。

「東京」に対してシニカルであってはいけないな。

・・と思っている。最近。

東京が持っている規模感って、世界で見ても物凄くて、それが日本特有の「ナアナアさ」を生んでいると同時に、日本から今後「新しい可能性」を生み出せる揺り籠にもなっている。

この前テレビのバラエティで、話の流れの中で「アメリカズ・ゴット・タレント」のタイ版映像が一瞬流れてるのを見たんだけど、なんかさ・・・お前らにオリジナリティという言葉は無いのか?って感じだった。

審査員の口調とか頷き方まで本家そのままみたいな。

あれ、世界中でやってるしね。中国でも韓国でもやってる。

「そうなってない」ことの欠点に、20年間の日本は苦しみ続けてきたけど、でも、「そこが他と違う」ということ自体は長所でも短所でもない、ただの事実だからね。

だから、「そういう性質」なんだとしたら、「それを徹底的に活用」してやらなくちゃいけない。

ただの後追いが圧倒的な成果に繋がることはありえない。アメリカだからこそできることがあり、シンガポールだからこそできることがある。

それらを参考にしていきつつも、でも日本は、それらに比べて圧倒的に「荷物が多い」国なので、後追いで似たようなことしたってダメなんですよね。

長所も短所もひっくるめた「日本そのもの」を真剣に突き詰めた可能性を出していかなくちゃいけない。

「売れているものはすべて正しい」と思える自分であるために「プロとして何を言うべきでないか」を考えたい。

次回作の編集者さんの過去作品を大量に読んでいて思うのは、かなり「普段の自分の立場」からは「凄く逆」なことを言っているように見える人でも、「半分くらい」は凄く「そうだよなあ!!」ってなる部分が多いなっていうことで。

こういうのは、自分で本屋行って自分が読みたい本を買っていてもなかなかできない体験ですよね。

忘れていたピュアな気持ち(笑)

さっき、第4回のアゴラ投稿をしたんですが、ちょっとだんだん文体が変わってきてるなあ・・・という感じがしてます。

今、次回作のオファーをくれた編集者の人の過去担当作品を連続して読んでる影響が、徐々に出てきてる気がします。
彼の担当作を読んでいると、そういう、「資本主義最前線で戦ううちに忘れていたピュアな気持ち」みたいなのを取り戻させてくれる感じで(笑)。
まだぎこちないけど、もっとブラッシュアップしていって、ミヒャエル・エンデの「モモ」が良いよね!!!っていうようなタイプの人に、凄く自然に受け入れられるような本にしたい。
なんか、誰に対しても、「論戦」を仕掛けるようなことしてもダメだな・・・って最近凄く思っていますね。やればやるほど、本来わかりあえる人と敵対関係になるし。
「普段のカッコイイ言動からすればここで協力してくれるもんじゃないの?」ってところでも、あんまり人は協力してくれないもんだなあ・・・ってのが、本出してから一ヶ月強の間に凄い実感したことだし(笑)
あと、今はまだ無意識的にやってしまってると思うけど、「誰かのあり方を否定するような形で自説を展開する」のも、だんだん辞めていきたい。
そうじゃなくて、色んな人たちと「気持ち」を共有できるような「新しい生き方提案」みたいな、なんかそういう本を作っていくしかないのかなと。

アゴラ投稿第3回と、出版次回作の話・・・といった近況報告。

ちょっと更新頻度があいてしまいましたけど、後で書く新しい仕事に熱中してたからなんで、僕は元気にやっています。

松坂&岩隈投手の不調に助け舟を出せる、「言論適正化システム」の構築を。

ちょっと回り道に見える余談から始めますけど、全体としては件名のような話をします。



もう一昨日ですけど、「アゴラ」への投稿、第二回も掲載されました。

第二回はこちら。

第一回はこちら。

で、第二回の方は転載されなかったみたいなんで、その仕組みはよくわからないんですが、第一回の方はブロゴスというアゴラのライバル的なサイトにも掲載されたんですよ。

そのブロゴスのコメント欄が、なんか結構ヒドイことも言われたりしてちょっと荒れ気味だったんですよね。

で、こういうコメントって、僕に対するコメントというよりは、例えばこの場合橋下改革に対してその人がどういうポジションでいるのか・・・・っていうのが反映されてるだけだと思うので、過剰に反応するのはお互いにとって良くないとは思うのですがね。

ちょっと気になったのが、その中に、「アゴラ」に投稿してたりしたら自分の評価下げるぜ・・・的な、「アゴラ」とか、そのボスである池田信夫氏への憎悪コメントが妙に多くてですね。

まあ、「ライバルサイト」であるというだけじゃなくて、ちょっとお互い仲悪い部分もあるのかなと思うんですが、でも、僕は池田信夫氏のことが結構好きなんですよね。

実写版宇宙戦艦ヤマトが、なぜチャチに感じてしまうのか?から考える「科学と日本」。

昨日、テレビで「SPACE BATTLESHIP ヤマト(木村拓哉氏主演の宇宙戦艦ヤマトの実写版)」をやってて、たまたま途中からチラ見してたんですけどね。

ガミラス星人の侵攻を受けて、放射能に汚染された地球を救うために、イスカンダルまではるばる放射能除去装置を取りに行く・・・っていう設定じゃないですか。原作は。

多少違う部分もあるみたいだけど(最後のほうしか見てないからよくわからない)、映画版もだいたいそういう設定だったっぽいんですけどね。

ついに目的地について、で、放射能除去能力を、実際に見せてくれ、俺達は確証が欲しいんだ・・・て言って、イスカンダルの人に、「じゃあやってみせます」みたいな感じでやってみてもらうシーンを見たんですけど。

みんな宇宙服(防護服?)みたいなのを着ていて、その空間(ガミラス星の地下)には放射能が満ちていたんだけど、それを「はい、今除去しましたよ。あなたがた地球人に最適化しました」って言われて。

で、半信半疑のクルーたちをさしおいて、勇気のあるキムタク氏はおもむろに宇宙服のヘルメットを取って、まわりの匂いをかぐように数回呼吸して・・・・

「大丈夫だ!!放射能は除去されてる!!」

みたいな感じだった(笑)

・・・って毒ガスかよっ!!

「アゴラ」に投稿を開始しました。

「アゴラ」っていうサイトがあって、それは、「言論プラットフォーム」という触れ込みの、個人ブログの集合体みたいなウェブメディアなんですが。

そこに投稿を始めました。
第一回は、今朝掲載されています。
このアゴラっていうサイトについては、2週間ぐらい前から、ここに投稿してみようかな・・・と思って、テーマを探ってたんですよね。
で、投稿者募集っていう窓口に連絡したら、まず記事を送ってくれ、審査があって、何回か通過したら本登録になるから・・・・って言われたんで、どういう記事にしていこうか考えてたんですけど。
その間、アゴラに載った記事を引用しながら話したほうがいいかなと思って、いくつかピックアップしておいたりとか。
そしたら、数日前に橋下徹氏と、アゴラの主催者である池田信夫氏との間に、ネット上での論戦みたいなのがあって、で、それに対する橋下氏の”演説”みたいなツイート群が凄くなんか「いいなあ!!!」って思ったんで。
なんか、便乗するような形になるのがちょっとアレだけど、そういうテーマで、これから書いていこうかな・・・・と思っています。
とはいっても、文字数制限が凄い厳しいサイトなんで、ほんと小出し小出しにしか書いていけないんですけど。

心が迷っているなら、撃つのはやめなさい・・・決して『新しい道』は開かれない。

ある古参会員さんの話なんですけど、彼は独立してたり会社経営してる人じゃなくて、ある組織で働いている人なんですけど、数年前に、思うところあって希望して「凄く不人気な部署」に異動したんですね。

そこでの経験は凄く彼の人生的に意義深かったらしくって、彼の話を聴いてても、「良い経験してるなあ」って感じだったんですけど。
で、彼はその経験の蓄積からの自然な延長で、今年度から、また別の部署に手をあげて異動になったんですけど。
その「新しい部署」は、いわゆる「出世コース扱い」されるような花形の部署だったらしくて。
本人には全然そういう意識がなくて、ただ「まずこれやったから、次はこれに手を上げてみるのが自然だろ」って感じで手をあげたら通ったんで異動した・・・って話なんですけど。
周りの反応が・・・「ちょっとした騒ぎ」みたいになってたらしい。
親分ぶるのが好きな先輩が、「あの部署に行くんならそれだけの覚悟があるのか、それを問いたい」とか言って、無理に飲みをセッティングされたとか。その他いろいろ。
なんか・・・・そういうことってあるなあ・・・・と思った。

「”一所懸命”的な日本人の本能」の話

昨日、テレビで、世界の色んな辺境の地で、一人だけ現地人と混じって生きている日本人たちの特集番組・・・・を見て、凄い感動した。

色んな人がいたけど、ドミニカ共和国の凄いド田舎に半世紀前に入植した90代のお爺さんとか凄かったなあ。
ハワイとかブラジルとか、昔日本から入植者が沢山渡ったことで有名な土地はどこでも、「事前の広告と実際に与えられる土地のギャップ」が物凄くて大変だった・・・とか言う話を聞くけど。
ドミニカのその土地も無茶苦茶ヒドイ土地しか与えられなくて、沢山いた入植者は、そのお爺さんの家族以外全員帰国しちゃったんだけど、彼と家族だけそこに残って巨大なコーヒー農園を築いたらしい。
カッコよかった。スゲーな!と思った。
その前日には、ハワイの日系移民の今みたいな番組をBSで見てたんだけど、なんか、共通するのは、「もう帰れない、この土地を切り開くしかない」ってなってから、苦労してそこに根を張ってやりきってしまうあの”感じ”が感動するんだな・・・と思った。
その「選択肢」が「最適かどうか」とか考えない・・・というか、考える余地すらない。
もう「それが自分の世界そのもの」みたいになっちゃうからこそできる、底力みたいなのが・・・・ハワイの日系移民の物語にも、そのドミニカ共和国のお爺さんにもあって、それが凄く感動した。
そうやって自分の人生を、丸ごと「特注品」にしていってしまうことは、ある意味「凄く巨大なリスク」ではあるけれども、いわゆる「リスクヘッジとか考えない(考える余力がない)」ことの「凄みがもたらす成果」と、「そうやって生きること自体の幸せ」っていうのも、そこから感じた。
妻と二人で見ながら、「こうやって生きたいね」って言って二人でしみじみ泣いた(笑)

日本をシリコンバレー的な「打てば響く場」にするための、「システムの整備」と「空気の整備」。

また、かなり好意的な書評ブログを書いてくださった人がいるんですが。

ディシジョンマインド社の籠屋社長のブログ


「21世紀の薩長同盟を結べ」—倉本圭造著(星海社新書)、という本を読みました。著者がMcKinseyの後輩ということもあり手に取ったのですが、大変興味深く哲学的深さもあり、また日本人の一人として大いに勇気づけらました。  とくに—私の解釈が入っているもしれませんが、【「本当の豊かさ」の実現のためには、持ち味や価値観の異なる人たちの、互いのキャラクターを生かしたコラボレーションが重要。それは今の日本の力強い再生に必要だし、もしこれに日本が成功すれば、世界に先がけた成功モデルとして、21世紀以降の人類への大きな貢献になる】というメッセージに共感しました。

以下、たくさんの引用を含めて感想を述べていただいています。ありがとうございます!!
今のところ、星海社新書をレーベルとして注目されてる人や、あるいはマッキンゼー社繋がりでの話が多いのは、まだその「外側」への広がりに時間がかかってるなあ・・・という感じではあるんですが。まあ、それは仕方ないですね、一歩ずつ広がっていくしかない。
一つ思ったのは、マッキンゼーの卒業生MLでの議論に参加して、そこで新書の宣伝をさせていただいた時に、ちゃんと反応して、読むよと言ってくれて、今までにこういうブログ等を書いていただいたりした人は、
面白いぐらい、ほぼ”全員”シリコンバレー関係者
だなあ・・・ってことですね。

もともと直に知り合いだった仙石京大准教授他数人を除けば、多分「全員」シリコンバレーで働いたり起業されたりしていたことがある方だったと思う。今は全然違う仕事をされていても、ある時期深くシリコンバレーと関わっていたことがある人だったりとか。

「世界の他にはない”薩長同盟的”ムーブメント」で、希望に満ちた日本にしましょう!!

イメージ
書評的なことをしてくれる人が、ポツポツ現れて来ているようです。

まず、ある会員さんが教えてくれた、またその後星海社の柿内編集長もリツイートしてくれてた人なんですが。
書評ブログ 黒夜行さん 内容の紹介は後でうんざりするほどしますけど、この本メチャクチャ面白かった!!
僕はホント、結構好きで新書を読むんですけど、これまで読んできた中でもトップクラスの面白さでした。 と言ってくださっていて、かなり多くの引用を含む熱い書評を書いてくださっています。
今、書店員さんをされておられるらしく、「良い本だから埋もれさせないようにうまく売らないと!!」と義憤的?な熱さを持ってくださり、 『とうとう現れた!!
本書はまさに、『日本人のためのビジネス書』だ!
どのビジネス書を読んでもしっくりこない人。
どのビジネス書を読んだらいいかわからない人。
とにかく読んでみてください!
日本人だからこそ出来るビジネスの形が、ここにある!』 というオリジナルPOPで店頭展開していただいているようです。
ありがとうございます!!

あと、この記事で少し紹介した、マッキンゼー時代に一緒に働いたこともある、現京大准教授の仙石慎太郎氏も、読了の上紹介ツイートをしてくださいました。
>>> 本学出身&マッキンゼー後輩の渾身の処女作を読了。概念や思考のフレームは荒削りだが、多くの点で共感。日本再生に向けた具体的な提言に富む。しかし、「在野の哲学者」といいうのが、いかにも本学の文哲らしい。 <<<

ビートルズとか、大江健三郎氏とかが沈殿している層まで響いて欲しい。

こんなことを言うと、どういう層の人にどういう反応があるのかよくわからないんですけど、最近ビートルズとか、大江健三郎とかにハマっている(笑)

・・・ってオッサンか!
いやでも、ほんとでも僕オッサンですわ。まだ33歳だけど。
特に、大江健三郎氏の本って、この年まで一冊も読んだことなかったんですよね。彼のパブリックコメントとかエッセイとかの、凄くもってまわった偽善風なイメージが凄い嫌で。
でも今、「性的人間」っていう短篇集を読み終わって、次「万延元年のフットボール」を読み始めたばっかりなんですが、「超凄いな!!」って感じが・・・・ていうか彼個人の公的イメージと本の内容のギャップにびっくりしてるってぐらいで。

”NO REASON”に安心して踏める「新しい地面」を見つけてあげることが、日本における「知的なグローバリスト」のこれからの役割ですよね。

震災から一年・・・ということなんですが、実際にかなりハードな被災をされている方に、部外者である僕からなんか言うのもおこがましい感じがしているので、そういう方にはぜひ諦めずに生き続けてくださいとしか言うしかないんですけど。

僕は高校生の時に阪神・淡路大震災を体験してるんで、その感覚から言って、建物や人命といった「ハード」の部分での「絶望的な破壊」が今後一歩ずつ復興していった先に、最後の方で一番大事になってくると思われる、「ソフト面」での問題について何かを書かせて欲しいと思っています。

震災が破壊するのは、建物や人命だけじゃないんですよね。社会が「どうあればOKなのか」っていう共通了解が破壊されるんですよね。

ていうのは、人間って「平等にフェアに」生きている気分でいられて、特に何のやましいこともなく堂々と生きていられるのが理想・・・・の状態だと思うんですが、ここの「平等にフェアに」っていうことを、考え始めると本当にどこまでも難しい問題があるじゃないですか。

で、震災っていうのは、そういうのを凄く露わにするんですよね。

たまたま道路一本こっち側に家があったら、もう震災当日にはライフラインも回復しはじめてた・・・・一方で、その道路の向こう側に家があったら、もう丸ごと火事で丸焼けになって家族も家財も失った・・・・っていうのが「震災」なんですよ。

そこには、「被災者」って一括りにできない問題があるんで、だから、「被災者」っていうククリで復興計画を練っていく裏で、そこに如実に立ち現れる「個人」っていうのが、凄く・・・・困るんですよね。

「普段は考えずに済んでいたこと」に直面せざるを得なくなるっていうか。

「北風と太陽」の「太陽作戦」

マッキンゼー時代に同じプロジェクトで働いたこともある先輩で、現・京大准教授の仙石慎太郎さんがリツイートしてた記事が面白かった。

製薬企業の「オープンイノベーション」について。
オープンイノベーションっていうのは、
“オープン・イノベーション”は、当時、ハーバード・ビジネス・スクールの助教授だったHenry Chesbroughが、著書『Open Innovation: The New Imperative for Creating and Profiting from Technology (HBS Press, 2003)』で提唱した新しいビジネス戦略だ。従来の“クローズド・イノベーション”では、自分の会社1社だけで、アイデアを創出し、材料を調達して、研究開発し、その後商品化して市場に出し、上がった利益でまた新製品や新技術を開発するといったサイクルを回す、“自前主義”だった。これに対し、“オープン・イノベーション”は、ほかの組織の優秀な人材と協働し、外部の研究開発を利用する。
確かに、オープン・イノベーションでは、ステークホルダー(利害関係者)の役割分担、市場化までのプロセス、開発費の負担、知的財産権(知財)などの調整は複雑になるといった面もあるが、新しいアイデアやリソース、技術を効率よく利用でき、1社が抱える失敗のリスクが軽減されるメリットがある。だが、それ以上に重要なのが、かかわった企業や機関が互いに発展し、“新しい大きな価値”の創造につながる可能性が高いことだ。長引く不況の下、新製品が売れにくく、また商品寿命が短くなっている昨今、オープン・イノベーションはビジネスのキーワードとして注目されている。
だ、そうで。

いかにもアメリカンな、「組織の枠にとらわれず、必要だってなったら縦横無尽の連携をやってけばいいじゃん」系の発想なんですけどね。

リンク先の記事は、ただアメリカンなシステムを導入するってだけじゃなくて、それが日本でうまく行かない理由についてちゃんと現地現物に考えて、うまく行く方式を自前で作ろうとしてるところがいいなあ・・・と思った。

まあ、凄く確固とした知財システム(特許とかのこと)に守られた最先端技術的な話なんで、大分イメージは違うけれども、でも、僕が新書の中で出した例の、「普通の50代の技術職のオジサンが、一念発起して自分だけの技術事業を立ち上げてい…

床に置いてある本を、一回持ち上げてクルッと回してもう一回床に置く・・・というような流れと一緒で。

日本の「空気で決める」感じって、ほんと知性派な個人主義者には凄い嫌なものがあって、日本の諸悪の根源的な部分があるように思えるし、それはある意味正しいんだけど、ただ、そういう部分が日本の優秀性の核心でもあるので、「良いところはそのままに、アメリカンなシステムだけを導入する」というのは、言うのは簡単だけど具現化は超難しい的な部分もありますよね。

アメリカンなシステムは、徹底しないと価値が出ないので、その「徹底する」ということを無理にやりすぎると、本場のアメリカのように、凄く「知的にうまく動いている場所」と、「かなり無茶苦茶になってる場所」との間のギャップが凄く開いてしまうので。

だからといって、今のまま何もできない日本でいるわけにはいかない!!ってなったときに、やっぱり大事なのは、「アメリカンなシステムが”無理なく通りやすい空気”を作る」ってことなんですよね。

結局「空気」の問題なんだけど、だけど、それが「やっぱこういう時はこうだよね」って感じでちゃんと通るように持っていかないといけないと思うわけで。

日本はコンセンサス過剰社会だからダメなんだ!!って主張することは、今までは凄い必要なことだったと思うんですよね。

おかげで、今の時代、「コンセンサス過剰も良くないよねというコンセンサス」までは、なんとか辿りつけてる部分はあるんで。

そこまでは、両派が対立をしまくって意地を張りまくって、なんとかたどり着いた場所って感じだと思うんですよ。

何か床に置いてあるもの(本とか)を裏返して再度床に置く・・・・って時に、とりあえず持ち上げてクルッって回転する手前ぐらいの感じ。

そこまで来たら、あとは流れに逆らわず、ただもう一回床に置けば作業完了だよね・・・というような。

『イケてる存在へのアクセシビリティ』を、もっと広い範囲の人に!!!

一昨日本屋さんで僕の本をたまたま見つけて買って、徹夜で読んだ後次の日にSNSに加入し、メール送ってきて、「明日仕事休みなんで会ってください。名古屋まで行きます!!」っつって名古屋まで来られた新しい会員さんに会ってきた。

なかなか面白い人だった。

「覚悟見せるため」とか言って、真剣の日本刀(脇差)持参だった(笑)

いやいや、そこまで行くと「なかなか面白い」の範囲を超えてる感じもするけど。でも、なかなか良い出会いだったな。

英語教育のベンチャーをやりたいらしい。

ゆっくり、時間をかけて。

発売日から今日でだいたい一週間という感じなんですが、やっと気持ちが落ち着いて来ました。

アマゾンにもレビューがついたし、色んな場所経由で読んだ感想を送ってくれる方がポツポツ出てきて。
なんか、この記事で書いた藤井さんもそうなんですが、かなり年上で、しかも相当活躍されてる方の評価が高い感じが・・・していて、そのへん凄く安心して、きています。
言ってみれば「おじさんウケ」がいいというか。あと凄く若い人のウケもいいっぽい。
両方とも、速攻の派手な動きにはつながらないけど、持続的に内容を自分の中に留めてくれるタイプが多いと思うし。

最前線の切実な問題をサポートするための売文家でありたい。

凄い嬉しい応援メールを頂いた。

一個前の記事で書いたように、マッキンゼーの卒業生MLで、「日本の会社はどうしたら変われるのか」的な議論をしている場所に噛んでいきながら自著の宣伝をしてたんですけど。

そしたら、藤井清孝さんという、相当シニアな先輩からムッチャ熱いメールが来た。(長いんで、許可もらって、全文は記事末に転載させてもらいました)

ご著書を購入し一気に拝読しました。世の中にこんなに自分の考え方に似ている人がおられることに驚愕しました。
って、嬉しい言い方じゃないっすか?

確かに、藤井さんのインタビュー記事をネットで見てみると、



別に、僕が前もって読んだわけでもないのに、僕の本の中に出てくる喩え話と全く同じようなレトリックで同じような話をされてて、凄く似てるものを感じたんですよね。

同じ神戸出身っていうのもあるのかもしれない。神戸という土地というより、「震災という共有記憶がもたらす謎の危機感」という感じだというか。

草創期のマッキンゼーに入社して、ハーバードのMBAを取った後投資銀行で鳴らし、その後ルイヴィトンを始め色んな会社のCEOを経たあと今はベタープレイスという電気自動車のベンチャーをやっておられる方なんですけど。

何が嬉しいかというと、「人のタイプ」がね、凄く「バキバキのグローバル資本主義者」みたいなキャリアの人ですから、「そういう人に理解してもらえないと困るんだよな・・・」って思っていた領域にいる方に届いたって感じなんですよね。「そういう人」にわかってもらわないと困るんだよ!って本ですからね。

あと、なにより、今度オリンパスの社外取締役になられる方なんですよね。

で、オリンパスって、まさに、僕の本が問題にしているような、「グローバリズムのロジックと現地現物のリアリティとの間をどうやって繋ぐのか」っていう課題が、「世界最前線」的な形で噴出している場所ですからね。

凄い「縁」を感じた。嬉しかった。

本の内容のオリジナリティや、その実効性には凄い自信あったんですけど、特にこういう「バキバキのグローバル資本主義者」みたいな人に「ちゃんと受け入れてもらえるのか、しかも感情的な巻き込み感を持って受け入れてもらえるのか?」っていうのは、やっぱり最後までわからない部分でしたからね。

本を売っていくにあたっても、結局「薩長同盟的困難」ってのがあるものですなあ。

ちょっと空いてしまいましたね。

なんか、ほんと、情けないことに、結構色々と精神が不安定・・・というと大げさですけど、フラフラしてました。
なんとか「まとまった新しい方向性」を本として形にしよう・・・・それをやらなくっちゃ・・・・ってそればっかり思ってずっとやってきたんで。
それは「モノ」レベルではそれなりに実現してると思ってるんですが。で、その「モノ」自体を、読みやすく面白い形に・・・っていうチャレンジも、まあ出来る限りではやったと思うので。
でもそれを、「広い範囲のみなさんに届ける」ってことを、あまり真剣には考えてこなかった部分もあったのかな・・・と思った。
「世の中全体の本質的ニーズ」さえ捉えていれば、いずれちゃんと届いてくれるさ!!!
ってだけ思ってやってた部分があった。というか、
そう思ってやらないと自分にはできないチャレンジだったから、もうそう考えるしかなかった
って感じなんで、その事自体はもうご容赦いただきたいと思ってるんだけど。
なにはともあれ、これから頑張らなくちゃなあ、と思っています。

原点確認的な。

アマゾンさん在庫回復してるようです・・・・いや、でも「5-7日以内に発送」ってなってるから、多分倉庫にはないんだろうな。倉庫にあるけど残り個数が少ないときは「残り何個あります」とか書いてるし。

もしお買い上げ予定の方は、ある程度大きな本屋さんに行かれると、今は平積みで置いてあることが多いようなんで、ご利用ください。

そうそう、今日、生まれてはじめて自分の本が本屋さんに並んでいるのを(しかもかなり平積みで)見て感動してきた。

でもなんつーか、超当たり前の話ですけど、「ここからがスタートなんだよな」って感じなんで、ほんと気持ちの振幅が大きかったですわ。

アマゾンvs楽天と、ゲリラビジネスが生み出す「真の多様性」。

はじめてブログを一日二回も更新してしまった・・・・まあ発売日だしいいか。

実は発売日なんですが、いきなりアマゾンさん在庫切れ・・・・ってこれはいいことなのか悪いことなのか。

なんか2、866円で売ってる業者さんがいる(笑)

凄いな、目ざといというか、そりゃ品薄が予想される有名な人の本ならともあれ、どうやって発売日の夕方に既にこの本をフッかけて売る体制を作れたんだろうか?ちょっと気になる。

アマゾンの予約注文数を検索できて、そこから先取りするのかな。

ひょっとすると、新刊本はアマゾンでは品薄になりがちだけど都内なら本屋さんで普通にまだ買えることが多いという特性を利用して、新刊で在庫切れのものは全部出品登録をして、在庫は抱えずに、注文あったら本屋で買ってスコーンと郵送っていうビジネスを乱れ打ちにやってる人なのかな?

どちらにしろ商魂たくましいとはこのことですね。頑張っていただきたいです。

発売日にあたっての長い謝辞。

イメージ
昨日、23日から既に東京都内では本屋さんに並んでたみたいですね。

これは、友人が送ってくれた、池袋駅ビル7階の旭屋書店新書コーナーの写真。クリックすると拡大します。っていうか平積みありがとうございます!!!


何人かの友人から本屋さんで買ったよ!!っていう知らせが届いたりしてます。今日あたりからは、東京以外でも、ある程度大きな本屋さんには置かれているはずだと思います。

よろしくお願いします。

「先輩・後輩文化」と、アメリカンな決然性をどう使い分けるかという話。

イメージ
本の発売日は、24日だと思ってたんですけど、正式には23日から「取次搬入発売」っていう形らしく。

その「取次搬入発売」というのは何かというと、多分23日には取次さんから本屋さんへの配本が始まり、東京都内などのはやいところではもう23日夕方には並ぶ・・・・「本屋さんに搬入されしだい発売」ということらしい。(そのぶん地方の本屋さんは1-2日後ぐらいになったりするみたいなんですけど。)

と、言うことは・・・もう23日中に手に取られる方がいるかもってことか???

おおおおお。よろしくお願いします。アマゾン予約の方もいずれの到着をお待ちください。

自分の本に染みてきている日本思想史の流れに思いを馳せてしまった日。

なんか、妙に壮大っぽい話になっちゃうかもしれないですけど、予備知識ナシに読めるように書いていくんでついてきてください。

「誠実なショービジネス」とは、真実とウソの適切な配分から生まれるのかな。

なんか、ちょっと開いてしまいましたね。発売日が近づくと色々あって自分が何者かわからなくなってきてるってところがあったりして。

妻の友人の旦那(僕も会ったことあるし彼らの結婚式に妻と二人で参加した)に、阪神タイガース球団で働いてる人がいるんですよ。選手じゃなくてスタッフさんね。

その人が、「21世紀の薩長同盟を結べ」ってスゲー面白そうじゃん!って言ってくれているらしく。

でね、そのこと自体はありがたいねえ!って話なんですけどね、それを聞いてからね、本の中で、僕が愛知県に引っ越してから初めてナゴヤドームで野球の応援行って、中日ファンになったっていう話を書いてるんですけど、そのことが変に気になったりしてね(笑)

経営における「モジュールの切り方」っていうもののやり方の文化的背景の一つとして、日本における野球文化を例示として使ってる部分があって、で、そこでちょこっと小ネタ的に挟んだんですけど。

それが、「いや、中日ファンとか言わんといたらよかったかなー」とか、「いや、サッカーしか触れずに育った自分がいかに野球ファンになったかっていう部分だけ取ったら好感なはずだ!」とか考えたりして(笑)。

まあ、別に、僕が中日ファンだから嫌いだ!!とか言うような人じゃないんで、半分冗談で言ってるんですけど、この程度のことですら結構真剣に悩んでる(というほどじゃないが少なくともアタマの中でグルグル考えてなんとか納得できる形を探しちゃう)んで、他に有形無形のこういう話があるんですよ今。

ホイットニー・ヒューストンとセリーヌ・ディオンとエルビス・プレスリーと山崎まさよし。

ホイットニー・ヒューストンさんが亡くなったそうで・・・・ご冥福をお祈りします。

で、なんかね、いや、凄い歌い手だったな・・・って思うのは思うんですけど、誰かが死んだら「お前昨日まで全然好きでもなんでもなかったやろーが!!」っていう人まで完全に「絶賛モード」に入るのってちょっと違和感あるんですよね僕は。

マイケル・ジャクソンの時もスティーブ・ジョブズの時もそう思ったんですけど、故人の一個一個の活動に対して「あれはこういうところがいいよね!」っていうような「リアルな個人の感覚」なしに、死ぬ前は全無視だった癖に死んだら一気に「完全に絶賛!!」って感じになるのって、ちょっと逆に死者に対する冒涜的なものを感じる。

いや、もちろん、亡くなったことによってみんなが注目し、それを機会に聞いてみたらこんなに良かったんだねえ(しみじみ)っていうのはいいんですけど、なんかね。違和感があるんですよね。

ほんとに君はその故人の業績そのものを自分のパーソナルな思いとして良いと思ってるのか?それとも、故人が死んだっていうイベントに後乗りして騒ぎたいだけなのか?

みたいな・・・・いやそこまで言うとアレで、やっぱ故人としてもそういうムーブメントが巻き起こってくれた方が嬉しいのかもしれないですけど。

商業主義の果てに立ち上がる、「ど真ん中の党派性」。

一個前の記事で書いたように、校了(編集者と著者が原稿イジれる最後の日)終わりました。今印刷所に持ち込まれて、2月24日発売に向けて印刷・製本されていってくれています。印刷会社の方、よろしくお願いします。

星海社新書の柿内編集長のエディターズダイアリーで、その最後の修羅場の様子が語られてますけど、いやほんと、最後は大変だったっぽいです。
彼は金曜から会社にずっといて、終わったのが火曜の朝だったそうなんで・・・・
その間、僕は著者として確認したり訂正したりしないといけない内容だけ、メールその他で参加したって感じだったんで、ずいぶん楽させてもらったんですけど。

校了日によせて・・・・「わけわかる世界」と「わけわからん世界」を繋ぐもの。

イメージ
明日の午前中が「校了日」らしいんすよ。僕の本。

「校了」っていうのは、多分、印刷会社さんに原稿が引き渡されるイベントのことで、そこからはもう著者&出版社は何もできない、ただ印刷され、綴じられ、カバーとオビがつけられ・・・という「生産工程」に入るよ・・・っていう日なんだと思います。

つまりは、もうあらゆる「コンテンツ部分の本づくり」の作業が終わる日って感じですか。これから「物体としての本づくり」がスタートされる日というかね。

"So I showed him how people in the Far East get down"なモジュール戦略が、欧州左翼風理想主義の本当の具現化ツールとなる。

なんか、最近昔好きだった音楽を物凄く聞くようになってる自分がいますね。特に本出るの決まってから、さらにはアマゾンのアカウントができてからさらに特に。

「The Yellow Monkey」の、「未公開のエクスペリエンス・ムービー」とか「8」とか、あるいはインディーズ時代の「Bunched birth」とかね、彼らの中でもあんまり売れなかった方のアルバムをひさしぶりに聞いたら凄い良いなあ!!ってなって、なんか聞きながら家の近所走りに行ってしまいましたわ。

「すみません」と「ありがとう」の間。

この回のブログで、後輩キャラってものの重要性について話した時に、最後の部分で、「すみません」って案外良いよね、ガイジンから見たらなんか変だけど的なことを書いたんだけど。

なんか、あれからちょっと時間たってきて、やっぱ「ありがとう」の方がいいなあとか思ったりしてきた。

「ありがとうと、君に言われるとなんだか切ない」って宇多田ヒカルさんの歌があるけど。

あれ、「”愛してる”よりの”大好きだよ”の方が君らしいんじゃない?」って歌詞もあるし、なんかこう・・・・大雑把に言うと「欧米風の生活の仕切りと、その裏側にあるリアルな感情」の間の相互干渉が切ない人生の味・・・・って感じの歌なのかなと思うんですけど。

「愛してるvs大好き」「ありがとうvsすいません」

みたいな、そういう二分法的な文化のあり方ってのがある気がする。

いや、「すいません」とか言うと二人の愛を語るモードにはありえない感じになるけど、志村けん風に「いつもすまないねえ」「それは言わない約束だよお父つぁん」みたいな(笑)のを考えると、結構この「二分法的な感じ」がイメージできるんじゃないかと思うんだけど。

「イシューからはじめる」ための薩長同盟のあり方について。

イメージ
新卒で入社した会社が、かなりその人の職業人生のキャラクターを決める的なことってよく言われているし、確かに結構そういう部分もあるなと思うんですが。

もちろん、そういうみんなが乗っかるエスカレータ的なものとは違うところからスタートした人の方が、色々大変だろうけど自由でもあるだろうし、逆に最初に入った会社があまりにダメダメなところだったからこそ奮起して今の自分があるとか、そういう色んな事情はあるんで、だから最初の会社に影響を受けるのが良いか悪いか、っていうのは一概には言えないと思いますが。

ともあれ、僕自身は凄く影響受けてるなーと思うところがあって、で、思い返してみるとですね。

マッキンゼーにいたころに、当時既にボス中のボスぐらいまで出世してた人にはあんまり知りあう機会がないまま辞めちゃったんですけど、よく一緒に時間を過ごすことが多かった中ボスぐらいまで出世してた人の中に、「うわーこれは天才やな」って思った人がいてですね。

それが、安宅和人さん(現ヤフーCOO室室長)なんですね。(あともう一人物凄く影響受けた人をあげるとすればツイッター日本支社代表のジェームス近藤さんなんですが・・・まあこれは全然違うタイプの人なんで別の機会に)

コブクロと馬場俊英の間・高杉晋作と西郷隆盛の間に真っ直ぐ伸びる、「純愛と経済合理性が一致する特異点」を狙え。

こんな話、日本の音楽全然聞かない人には全然伝わらないじゃないかという話なんで、こういうのはクラシック以上に例に出すとき難しい問題があるように思うんですが、最近「馬場俊英」さんっていう人の歌が好きなんですよ。

「人生という名の列車」「ボーイズ・オン・ザ・ラン」とかが有名ですけど、他にも「男たちへ・女たちへ」「旅人たちのうた」とかいいなあ!って思ったりして。

とはいっても、「人生という名の列車」っていう昔買ったアルバム(初回版だったんでオマケで”男たちへ女たちへ”その他ライブ4曲が入ってたんですよ)しか持ってないんですけどね。

曲調は、まあ一応ロックの体裁にぎりぎり載せつつも(でもこれがロックだとか言ったら普通の洋楽ロックファンとかは怒るかもしれない)、もう、なんつーか、フォークと言っていいぐらいまで、あるいは「男版・中島みゆきさん」ってぐらいな感じなんですけどね。

「一貫して連続した"非合理的"決定」が「次の時代の合理性の中心」を作るという話と、「案外後輩キャラ」の重要性について。 (後編)

これ、件名は「後編」になってますけど、まあ、3連作続きの同じテーマの別々のエッセイみたいになったんで、これ単体で読んでも意味あるものになってると思います。(というかそのほうがシンプルでわかりやすいかも 笑)

さて。
少し期間があいてしまいました。
星海社新書編集長の柿内氏の指導で、「新書という形式」になった時に読みやすいような改行の量、「」のつけかた、小見出しの数・・・・のような「柿内フォーマット」に改稿する作業を、昨日の深夜にやっと終えたところです。

「一貫して連続した"非合理的"決定」が「次の時代の合理性の中心」を作るという話と、「案外後輩キャラ」の重要性について。 (中編)

神戸に戻って、祖父の通夜と葬式に出て、で、また名古屋に帰って来ました。前回の続きを話す前に、ちょと今回の葬儀その他で感じたことを一回分寄り道してまとめます。

・・・というつもりで書いてアップロードしてたんですけど、読み返してみると案外同じテーマについての話になってるなって思ったんで(これが無意識の才能か! 笑)、同じ件名で3つ続きの連作エッセイってことにしようと思います。



なんか、神戸の実家に戻るときも、名古屋に帰って来る時も、どっちに行くときも「帰る」って使っちゃう流れになってるんですけど、でもやっぱり、今暮らしている名古屋周辺の町に帰ってきて、最寄り駅についた時の方が、「帰ってきたなあ」って感じがしますね。

僕にとってこの町は、妻が生まれ育った町という以上の縁は一切ないんですけど、でもなんか、そこがいいなって思うんですよね。ゼロから縁を積み重ねていっている感じがする。

神戸や関西は、自分の原点ではあるけれども、色々なものが絡まりあいすぎていて、僕の場合はちょっとそこでゼロから何かをやっていくことはできなかった。

「一貫して連続した"非合理的"決定」が「次の時代の合理性の中心」を作るという話と、「案外後輩キャラ」の重要性について。 (前編)

なんか凄い長いブログになりそうです。

ブログであまりに長文書くのってどうなんだってとこもあるんですが、しかし、言い訳するけど、普段は全然関係ないように分節化されて語られているものごと同士も、特に経済と我々の生身の人生というものは密接にお互い絡まり合って生きているので、バラバラに「よくある形」で語ってても決して真実はつかめないという時もあるのだよワトソンくん。

というわけで、あっちこっち話が飛ぶように感じるかもしれないけど、最終的には一つの軸に沿ったお話みたいに読めるように書いていこうと思うんで、呆れずについてきていただきたいんですけど。

謹賀新年に寄せて・・・・勝間和代さんと実家の近所のオッサンの話。

あけましておめでとうございます。今年も・・・というか今年はほんとマジで色々とご協力をよろしくお願いいたします。

今、実家の神戸に帰ってきてるんですが、今さっき紅白でレディガガのステージやってて、いやーよかったなあーと思いました。

うちの母親はあんまりこういう新しい音楽に詳しくない方だと思うんですが、「レディガガっていう人はすごいよ!聞かなあかんで圭造!あれはただの変な格好してる人ちゃうで!言ってることやってることに魂があるわ!!」とか言ってた(笑)うんうん、いや別にあんたに言われんでもファンやで。

うちの母親は、色々問題ある人だと思うんですけど、ことなんか「やたらポジティブでめげない」ところだけはかなり凄いレベル(妻があんな人見たことないとびっくりするぐらい)の人なんですよね。

そういうのって普段は結構疲れる部分があると思うんですが、今年みたいに「来年はマジで勝負の年やで!」ってなってる時には、あの暑苦しいポジティブさも、まあまあ受け流せる感じで。

「出版おめでとう!」ってわざわざ書いてあるケーキの蝋燭を吹き消させてもらったりしてたんですけど(笑)

近所のオバチャンネットワークに宣伝しまくってくれてるそうで、まあ、それも昔なら暑苦しすぎると思ってたと思うけど、まあ、今年はええかなという感じです。