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校了日によせて・・・・「わけわかる世界」と「わけわからん世界」を繋ぐもの。


明日の午前中が「校了日」らしいんすよ。僕の本。

「校了」っていうのは、多分、印刷会社さんに原稿が引き渡されるイベントのことで、そこからはもう著者&出版社は何もできない、ただ印刷され、綴じられ、カバーとオビがつけられ・・・という「生産工程」に入るよ・・・っていう日なんだと思います。

つまりは、もうあらゆる「コンテンツ部分の本づくり」の作業が終わる日って感じですか。これから「物体としての本づくり」がスタートされる日というかね。

かなり余裕を持って進めていたはずだったんですけど、ほんの数日前に、「過去にゴッソリやった改稿作業が、第三章以降反映されてないままルビその他の作業に入ってしまってる」ことに気づいてですね。

いわゆる「バージョン管理のミス」っていうか、つまり、ルビ振ったり色々太字にしたりアレコレやった作業が全部パーみたいな。で、もう一回元原稿からいれこんで・・・・っていうことになったりして。

結構ピンチだったんですけど、でも今、柿内氏が頑張ってくれて取り戻してってくれています。

僕もなんか、アワワワワって感じで協力したい気分はあるんですけど、僕がしゃしゃり出ても何もできないしね(笑)むしろ直前になって著者が口出すってことは作業が増えるってことでもあるんで。

だから我慢してこんな雑文書いたりしてる(笑)



実は、オビとかカバーとかも出来てきてるんですよね(クリックすると拡大します)。



なんか、「檄文」的なトーンのものを書かせたら、やっぱ柿内氏は才能があるなあ!って思ったんですけど。

今むっちゃ売れてる星海社新書第一号、瀧本哲史氏の本のオビが、「東大×京大×マッキンゼー!京都大学最強授業!!」みたいな感じだったんで、僕の場合も多少経歴的なものにフォーカスしたオビ煽り文になってます。

まあ、マッキンゼーや船井総研はともかく、それほど長い時間やってたわけでもないホストやら肉体労働やら書いてあるのはちょっと看板に偽りアリって感じですけど(笑)

要は、そういう「一般的に見るとアナーキーな価値観の世界」と、「大企業・グローバリズム的な世界」との間を繋ぐ一貫した視点を提供するっていうことがこの本の価値なんで。

その、「わけわかる世界」の外側の「わけわからん世界」的なものを広告文的に端的に象徴する単語が、ホストやら肉体労働やらっていうキャッチフレーズなんだとご理解ください。

でもまあ、どこにおいても、一応「これを一生の仕事にしたらちゃんとここでもやっていけるな」って感触がつかめるまではやってたけどね。

あちこちで、「その外見で(笑)」とか笑われたホストですら、ちゃんと街頭で声かけた女の子にお客さんになってもらったり、あとは先輩のお客さんにヘルプでついていた(あるホストに複数客が来てる日は後輩が代理でお相手する)時に、数十万円のドンペリのボトル入れてもらったりもしたし。

そういう「第一段階の成功体験」みたいなんは一応掴みつつ、「あとはもしこの世界で生きるってなったらこれをずっとやっていけばいいだけだな」っていうところまではやった。

ただ、「わけわからん世界」ってことで言うと、ホストや肉体労働はまだ結構「わけわかる世界」の一部だったんですよね。

カルト宗教団体とか、ちょっと詐欺っぽい訪問販売会社に潜入してた時が一番やばかったかな。

まあ、ヤバイ自慢したいわけじゃないんですけど、


なんでそんな奇特なことをしたかっていうと、やっぱそういうところまで踏み込んでみないと、経済ってものの、「全体像」がつかめないような感じがしてたから


なんですよね。

マッキンゼーで、「全体の帰趨を決定するイシュー(一番大事な問題)だけをマッシグラに目指せ」とかね、「一次情報(現場の生身的体験)を死守しろ」とかね、「自分の仕事の都合じゃなくてクライアントにとってのバリューを最優先にしろ」とかね、よく言われてたのをね、素直に受け取ったら、


「じゃあまずこれせなあかんな」


的にやることになっちゃったんですよね。

日本経済ってものを考えた時に、「学歴的にマトモな仕切りが行き届いている世界」だけで物事を見ていたら結局本当のイシューは叩けないんじゃないかと思ったし、そういう部分で「何が起きてるのか」っていうのを知っておかないとちゃんと「経済の一次情報に肉薄した」とは言えないんじゃないかとか、やっぱそういうところから発想しないと本当のクライアントファーストじゃないんじゃないかと思った。

そこまでやらんと、俺にとってのマッキンゼークオリティは満たしたとは言えねえ!!みたいな(笑)



というのもね、

日本経済を語るってなったときに、みんながみんなトヨタやソニーの経営者であるかのような視点で語るのは良くない

と思うんですよね。

そういう、一部の目立った輸出大企業の景気=日本経済じゃないからね。

もちろん、重要なファクターではあるんだけど。

例えば、単純化した話として、大企業経済に参加してる雇用者数は全体の3割で、残りの7割は中小・零細企業の従事者ですよと。

で、この「3割の大企業経済」のことだけを見て舵取りをしてると、「残りの7割」が「お荷物」にしかならない世界観になるじゃないですか。

そしたら、結局格差社会がドーダコーダ的に出口のない議論をすることになる。

でもね、例えばその「3割の大企業経済」をうまく行かせる方策が、

「残りの7割に良い影響を与えるタイプの戦略なのかどうか」

を真面目に考えてみるべきだと思うんですよね。

大企業経済が例えば年率数%は成長する戦略・・・と「数字で見る」と同じだけれども、「残りの7割への影響の種類」まで考えると、「中身は全然違う」ってことがあるわけですよ。

で、「残りの7割が自立して経済が成立するような方向」の、「3割の大企業戦略」を考えれば、全方位的にハッピーな世界になるじゃないですか。

「7割」が「下請け」じゃなくて「自立した経済」として成立するようになったら、大企業は大企業で色んな社会的制約から自由になれるしね。

日本の大企業が、「日本社会の密度感」を強みの源泉として利用してるのは確かなんで、だから現状は法人税とかも結構高めに払ってもらわないと割に合わないというか、一種のフリーライド(タダ乗り)問題的なものがあるんですよね。

で、「3割の大企業側」としたら、グローバル競争の中で俺たち頑張ってんのに文句ばっか言いやがって的な恨みを持つことになるし、「残りの7割」側からすると、あいつらは自分たちばっかり儲けやがって全然還元しねえ!って感じに恨みを持つことになる。

でも、その大本のところで、ちゃんと「残りの7割がそれぞれの役割を持てる」ように動かしていけば、所得再分配的に大企業にタカる必要がなくなるんで、法人税的なものも少なくてすむようにいずれなっていくはずなんですよ。

とにかくそういう「トータルな転換」を起こさない限り、今はどこの先進国の経済もたち行かない時代になりつつありますからね。

で、そういう時に、やっぱちょっと「わけわからん」と言うたら失礼ですけれども、「学歴的に光があたっているマットウな世界」の「外側」で何が起きているのか・・・・を実体験的に知っておかないと、「今ある枠組み」の内側での発想しかできないなと思ったんですよね。

特に、カルト宗教団体とかね、詐欺的な商売してる人たちとかとね、ジカに接して、彼らがどういう事情でどういう世界観で生きているからこういう経済が成立してるんだろうか?っていうようなことを、ぜひとも知っておかないと、「トータルな経済観」とは言えない感じがしたんですよね。

いや、「7割の方」って言っても、どんな大企業にも負けない真っ当さのところから、ほとんど犯罪寸前ってところまでピンキリなんで、一緒くたにしたら怒られるかもしれんけどね、要するに、「”その7割の中でも特に”一番わけわからん領域」でどういう状況なのかがわからないと、「全体をネコソギ転換する方策」とか立てられないってことなんですよ。

そこが「ブラックボックス」のままだと、結局「今あるやり方をさらに推し進める」以外の発想は生み出せないからね。



で、例えば日本人はリスクを嫌うチャレンジできない国民だから、ベンチャーが育たないんだ的な、超紋切り型の議論する人いるじゃないですか。

「やっぱ、俺のアメリカ時代の同僚とかはみんなリスク取るアニマルスピリットがあってさ、ほんと日本って事なかれの出る杭打つ社会だからダメだよねー」的な。

でもね、それはそれ言ってる人のまわりにリスクを嫌う人しかいないってだけの話で、行くとこ行ったらヤバイぐらいリスク取ってる人がたくさんいるのが日本なんですよ。

っていうかどんな離島にすらパチンコ屋さんがあって大盛況になってる国が、「リスクを心底嫌う羊みたいな国民」なんてわけないやろ・・・って話ですしね。

僕が一瞬入った訪問販売会社とか、「リスクテイカーの塊」みたいな人ばっかいたしね(笑)

毎日夜に、ゼンリンの地図をコピーして切り抜いてね、明日は高槻の方行くかーとか言って、車に分乗して出かけていって、で、公園の隅とかに車止めてね。

で、一日中そのへん浄水器の訪問販売してまわるの。終わったら事務所戻ってまた地図を切り抜いて・・・・「最近八尾の方行ってないなーまた行くかー」とか言って、次の日はまた別の地域に行くの。

ってなんつーか、アマゾンの奥地で狩りをしてる民族みたいなアニマルスピリット(笑)

ネット上でもね、色々と次から次へと詐欺っぽい商売流行ってるじゃないですか。オレオレ詐欺とかも含めてね。

だから、「アニマルスピリットがない」なんちゅーことは絶対ないんですよ。

ただ、そのアニマルスピリットだけあったってしゃあないんですよね現代は。

その「アニマルスピリット」が、ちゃんと「広域的にOKな知的な仕切り」と噛み合わないと具現化しないんですよ。

で、そういう

「実は余るほど溢れてるアニマルスピリット」

と、

「本当にみんなのためになる新しいことを考えている人」

を、出会わせて噛み合わせるにはね、

ただアメリカンなベンチャーキャピタル的な「システム」を用意したってダメ

なんですよね。

もっと、

日本社会の広域的な連動性を再度確保するための「文化的なもの」「儀式的なもの」が必要

になってくるんですよ。

要は、「新しいこと」を「具現化する」方向に、「みんなの納得感」を引き寄せていくような仕切り方が必要になってくる。

そういう時には、

「わけわかる世界」の中だけで議論してても無駄で、「わけわからん世界」の奥底まで踏み込んでいって、「その本能レベルの連動性」を再度「わけわかる世界」と接続することが必要

なんですよね。



でね、詐欺っぽい訪問販売とかね、よく訴えられてるカルト宗教団体とかね、やってる人が、「どんだけあくどい奴なんだ?」って思って接してみたら基本的に普通の人だし、単体で見ればそんな悪い奴じゃないんですよね。

公立小中学校の同級生にいたタイプなんですよ。普通に。

彼らも普通に子供育ててるしね。

で、一回、「この商品がこの値段って詐欺っぽいよね」的なことを言ったら凄いケンカになってですね。


「喜んでくれているお客さんがいるんだから詐欺じゃあない」


的な感じで、深夜の大阪の下町で殴り合い寸前みたいな。

最後、辞めるときには「俺はお前を信頼して仕事教えてやったのに辞めるってことは、一回殴ってもええってことやな?」「よっしゃ殴ってみろ!それで気ぃ済むんやったら殴れや!」っつって殴られてから辞めたし。

今思うとなんだその安い青春ドラマわみたいな感じですけど(笑)。



そういう体験を大量にしてきてると、なんかこう・・・・自分でも何を信じて何を言ったらええんかわからんみたいなことになってきてたんですよね。

「人生戦略コンサルティング」でも、かなり「普通な人」のゾーンから外れたお客さんも多かったしね。

でも結局、その色んな「個別性」を生身で体験したあげく、経済理論とかグローバリズム的な経営の思考法とかとゴチャゴチャにかかわらせてみた結果、


「やる価値のある事業のネタ」を、必要なだけ十分に考えだすことが最大のイシュー


だなって思ったんですよ。

「やる価値のある事業のネタ」さえ十分にあって、そこに「人々の納得感」さえ引き寄せられれば、日本社会は、その「やる価値がある」っていう感覚自体を物凄く明確に共有して人々を動員する力があるんで、すべてがうまく行くんですよね。

その詐欺っぽい訪問販売やってる人もね、根はみんな良い奴だし、純朴なところもあるから、だからできれば「どこの誰にも恥じることのない商売のネタ」でやりたいと思ってるんですよね。

だけど、「人間の数」に対して、「誰にも恥じるところのない商売のネタの数」が足りてないから、ああいう風になってるだけなんですよ。



で、問題はね、

「アニマルスピリットがあるタイプ」と、今の時代に「本当に必要なことを突き詰めて考えるタイプ」っていうのは違うことが多い

ってことなんですよね。

ここが、「実践面における最大の障害」なんですよ。

そこさえクリアーできる文化的ソフトウェアができたら、あとは日本は思う存分「空気に任せる」って感じにやっていけばいいんですよね。

システムの問題じゃないんですよ。生身の人間関係のレベルで、「空気」をどう持っていくかっていう話なんですよね。

そこに資金需要があって、そこに「意義と納得感」がちゃんとあるなら、そこを融通する仕組みなんかはほっといたってできるんですよ。

で、よく「日本は新しいことを考えたってつぶされる社会だから」とか言うけどね、「本当に新しいこと」が出てきたら絶対通るはずなんですよ。

確かに、ホワイトボードにちょちょっと書いた思いつきのビジネスモデルを、アメリカンな突撃力で「ゴーゴーゴーゴーゴー!!!ムーブムーブムーブムーブムーブ!!!」っつって動かすのにはついてきてもらえない世界ではあるんですけど。

でも、そういうアメリカンに単純な仕切りに、世界が飽きてきつつあるからこそね。

「じっくりネットリ準備するPQ的大道楽のモード」の優位性が今後生きてくるんですよね。

本の中に、うちの会員さん(特にバリバリ仕事するタイプじゃあない普通の50代のおじさん)と一緒に、最初は誰もが無理って言ってたエコ系の技術新事業を立ち上げた話とか出てくるんですけど。

そういうの、考え始めてから動き出すまで5年もかかってるんですよね。

でも、そうやって「時間かけて準備する」ってことは、アメリカじゃあなかなかできないですからね。

そういうふうにやらなくちゃいけない、「理屈の向こう側」における「現実とのラストワンマイルの密着感」が決定的に必要になるビジネスにはね、日本には凄い優位性があるはずなんですよ。

そういう、「アメリカンな世界観よりも長期的スパンでの思考の蓄積が必要なタイプ」のビジネスを、「一人ひとりの個人の内奥から準備する」プロセスを、ちゃんとバックアップしていけばいいんですよね。

それには、今のビジネス界的・グローバリズム的に「短い話」だけじゃダメで、むしろ「長い話」を、「個人の内奥」で、じいいいいいいいいいいいっと熟成させるようなモードが必要で。

そんなことはアメリカ人にはできまい?っていうような。

一個前の記事的に、「So I show you how Japanese people ・・・」で言うなら、

「日本人が人生一個の旗印を掲げるときには、お前ら欧米人みたいに”アタマで考えた仮の”ってようなもんじゃない、本当に人生一個の”血が通った生身のもの”であるってことを見せてやる!!」

っていうような、そういうモードが大事なんですよ。

IQ的に抽象化された「グローバルシステム」と、「どこまでも奥行きのあるリアルな生身の現実」との間を、フィジカル・フィロソフィシャル・パーソナルな「個人の内奥」でジックリネットリ熟成させてね。

5年10年かけてやっと「卵」ができる・・・・っていうタイプのビジネスを生み出すこと・・・・それを、「失われた欧州左翼思想(実存主義とか)」的な熱さでエンパワーすること。

そういうムーブメントが起きれば、今みたいに、「一握りの大企業が考えたこと」に「みんなが自分を殺して従事してる経済」じゃないような、100人いたら100通りのビジネスがネットを通じて具現化していくような経済になるからね。

そしたら、カルト宗教団体や詐欺的商売に噴出してしまっているアニマルスピリット的エネルギーの「マットウな噴出口」もできるしね。

そういう転換を起こしていかないといけないんですよね。

そういう転換の起点になる本になってるはずなんで、ぜひお読みいただければと思います。2月24日発売です。

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ちなみに、ブログ再移転しました。ブックマークされてる方は変更をお願いします。

新ブログトップページ↓
http://keizokuramoto.blogspot.jp



で、久しぶりのブログ更新、しかもブログ移転一回目・・・がテレビドラマの話題ってなんてミーハーなって感じもしますが、2016年最大の(たぶん)ヒット作となった『逃げ恥』が超よかったので、年末だしそれについて書きます。

全体的に言って、「自分らしく生きる」っていう現代的に超超超言い古されたことについて、ちゃんと一歩ずつ考えて一歩ずつ実現していかなくちゃね!っていう気持ちになったところが凄く良いドラマだったと思ってます。夫婦で見てて毎週二回は泣いてました。

このブログはそういう方向で、

・『逃げ恥』のどこにこんな感動するのかって話
と、
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と、
・「他人の人生を生きないで、自分の個別性(自分らしさ)を生きること」っていう「言い古されたこと」を私達が本当にちゃんとやりきるにはどうしたいいのか?
というような話に広がっていく予定です。

日本から老害を一掃して残業を減らす唯一の方法

なんか挑戦的なタイトルになってしまいましたが、ただ最近「老害」っているんだよなァ〜と物凄く実感することがあって、その詳細をそのままは言えませんがそのやるせない思いをより広くて皆様と共有できるテーマとして昇華して書いてみたいと思っているんですが。

あなたは、「老害」って言葉、キライですか?好きですか?

私は最近まであまり好きではなかったです。老害扱いされてる人にも、うまく使ってあげればそれなりの価値やら色々あるんだぜ・・・と言いたい気持ちが結構あって。

ただ、そんなこと言ってると「老害さん本人」が「自分の老害性」を一切意識せずにノウノウと暮らし続ける反面、困ったことにその「老害さん」は権力持ってたりするのでその集団全体の適切な運営がどんどん滞り、直接的には「ヤル気のある若手」さんが、そして結果的には「その組織の人全員」が非常に困った状況にみんなで追い込まれていくことになってしまう。

物凄く大枠での言い方をすると、過去20年にわたる日本の苦境はこの「老害さんをどう扱うか」について、思い切りの良い諸外国のように何のテライもマヨイもなくボコボコに権力を奪って放逐していくような思い切ったマネジメントができなかったから・・・と言ってしまっても悪くないかもしれません。

ただね。現状の日本は、老害さんたちを腫れ物に触るように扱って捨てずにいたので、社会全体が「トランプvs反トランプ」みたいにどこまで行っても平行線な対立に落ち込んだり、スラム街がどこまでも悲惨なスラムになっていくようなことは避けられたり・・・というプラス面もあったんだろうとは思います。アメリカに比べたらまだ貧富の格差もまあマシなレベルに留まっている。

つまり、なぜ日本が「老害さん」たちを諸外国のようにはボコボコに斬ってしまえないかというと、「その老害さんが代表しているものの中に自分たちの良さの根幹も混ざっている」からだと言えるでしょう。