商業主義の果てに立ち上がる、「ど真ん中の党派性」。

一個前の記事で書いたように、校了(編集者と著者が原稿イジれる最後の日)終わりました。今印刷所に持ち込まれて、2月24日発売に向けて印刷・製本されていってくれています。印刷会社の方、よろしくお願いします。


彼は金曜から会社にずっといて、終わったのが火曜の朝だったそうなんで・・・・

その間、僕は著者として確認したり訂正したりしないといけない内容だけ、メールその他で参加したって感じだったんで、ずいぶん楽させてもらったんですけど。

メール添付で送られてきたゲラ(印刷見本)のPDFを、プリントスクリーンしてウィンドウズの「ペイント」ソフトで赤入れしたりとか。

ジョジョの奇妙な冒険の岸辺露伴の台詞を引用するまでもなく、現在はいわゆる「表現」的な仕事っていうのは、ほんと遠隔地でも十分機能できるってとこありますね。

もちろん、いわゆる「ライター」さんとかは、ちゃんと受注生産的な感じで密なコミュニケーションが必要でしょうから、ここまで遠隔だと大変でしょうけど。

僕みたいな、「こっちの都合」も結構大事な感じのコンテンツの場合は案外、遠隔地の方が、無駄な会話でベタベタしないでお互いの本分を尽くせたみたいな感じになったかなと思っています。


でもほんと、プロの技見してもろたわーって感じでした。もうほんとあの本は既に彼の本と言っても過言じゃないなと思った。

最後の方修羅場になったのは、一個前の記事で書いたようにバージョン管理的な失敗が直前になって判明したからなんですけど。

それでも全然手を抜かずに細部まで手を入れていこうとする姿勢とかは凄い執念的なものがあったです。

結構、著者のテキストデータをそのまま流しこんでルビ振って終わりってことも、昨今の忙しい出版業界事情的には多くあると思うんですけど。

かなり細部まで読み込んで手を入れて色々提案されて、勉強になること多かったです。

実は、全体のトーンの問題やページ数の問題で、僕が古い友人に書いてもらった挿絵(この回の記事の真ん中あたりにある)は採用されないことになっちゃったんですけど。(ウェブページなどでは採用してもらえるらしいです)

まあ、残念っちゃあ残念でしたけど、最後の方の彼の鬼気迫る編集仕事はすごくって、なんかもう俺の本ていうより彼の本になりつつあるなって思ったんで、僕個人はスルッと納得してしまった。

納得しちゃうような仕事ぶりだったって感じで。(何日も泊まりこんだということを抜きにしてもね)

代わりに、星海社新書のデザインを一貫して手がけておられる吉岡秀典さんが腕を振るってくれて、なんかこう・・・・写真でちょこっと見ただけですけど、凄いモダンでカッコいいデザインになってました。

新書なんで、装丁とかはいつもの星海社新書ですけど、中身のデザインが・・・・なんか馴染みの関西人二人が寄り集まって悪ノリして作ったやつではない、「東京のマスコミから出るもの」って感じの、チャキーン・カシーン・シュピーン!!としたデザインだった(笑)

うん、なんかああいう「切断感」を大事にできるのが、東京のマスコミの良さだな・・・って思った。関西人が二人寄ってもなかなか出てこない「感じ」。

平安時代末期に、一回政権が鎌倉に移ったことって、結構日本の文化にとって「大きな転換」だったと思うんですけど、そういう「富士山以東」の文化を感じる、明晰なデザインで。

僕が一人でやってたら絶対ああいうデザインにはならなかったと思うんで、そのへんもう、「11冊目の星海社新書」になったんだなあ・・・・って思った。

ほんと、校了直前は、「自分の本を他人が必死になって完成させようとしてくれていて、自分にはやることがない」っていう状況に凄く居心地が悪い思いをしてたんですけど、「ああ、もう彼らの本なんだ」って思うことにしよう!!ってなったら凄く気が楽になったんですよね。

これはもう柿内氏の本だし、星海社新書の11冊目だし、そして出まわってからは読者になってくれた方一人ひとりの本なんだ・・・・そう思おう!と思った。

ら、楽になった。

とにかく、ああいうクールなデザインにしてくれたほうが、間口が広くなって入りやすくなると思って、そこが凄い良かったなと思ったんですよね。

もちろん、中身は、このブログみたいに、人によってはフザケすぎてるように見える文体で書いてるんですけど。

でも、そういうのも、「器」がちゃんとチャキーン・カシーン・シュピーン!!とした場でやるのか、それとも器ごとそういう悪ノリ感でやるのかっていうのでいうと、大分違うなって思うしね。

いやほんとね、僕は関西出身であることを誇りに思っているし関西を愛してますけど、関西を関西だけで放っておいたらちょっとアカンよねってとこあるからな(笑)

どこまでもグダグダになってしまうところがあって。


死んだ祖父(一人だけ日蓮宗系)のキッチリするとこはキッチリしてた感じとは大分違うなあと思ったりして。

このグダグダ感もええけど、こんな人ばっかり1億人強の日本人やったらそらあかんやろ的なね。

日蓮さんは「真言亡国」とか言ってたけど、俺、スゲーあんたの言いたいことわかるぜ!!みたいな(笑)

そのへん、「内容」的には、「関西の気風の自由さ」をベースに、ポストモダンのグチャグチャになった世界の中に一つの大きな物語を再生させる・・・的な本ではあるんですけどね。

でも、そういう内容だからこそ、例えば石原都知事(やその支持者さんたち)にすらちゃんと読んでほしい内容でもあるわけなんで、体裁まであんまりフザけた感じだったら入りづらい部分があるだろうなっていう悩みはあったわけなんで。

だから、うまいこと着地させてくれたなあ!!って、完成品の写真をいくつか見せてもらった時に思ったんですけど。



でもほんとね、その石原都知事の例みたいな問題があらゆるところに発生するので、これから細心の注意を払って進んでいかなくちゃなあと思っています。

この本は、「読者個人」を考えるとあらゆる「個人」に向けて書いたつもりなんだけど、その他のあらゆる「党派性」みたいなのとぶつかる部分があるので、そのへん難しい部分があるんですよね。

最後には、「商業主義的風潮」に頼っていくしかない。それが「党派性」を超える力を持っていると信じるしかない。

そういう気分でいます。

と、言うのも、本の内容的に、「伝統的な右」の人を批判してるようにも聞こえるし、「伝統的な左」の人を批判しているようにも聞こえるし、「純粋なビジネスマン・商業主義礼賛者」にもちょっと批判的な感じに見えちゃう感じになってるからなんですよね。

「純粋なビジネスマン」的な観点で言っても、外資っぽい、グローバリズムっぽい立場の人と、「ザ・日本の組織の密度感代表」みたいな人と、「どちら側だけの立場」も代表してないから、だからこそ「どっちの立場性をも批判している感じ」に”見える”部分はどうしてもある。

だから、「党派性」の観点から言うと、なんか、「どこにも属さない」感じになっちゃうんですよ。

で、手に取りづらい・・・・ところがある。あるいは、良いなと思ってくれてもそれをスピークアウトしづらい状況になるんじゃないかっていう懸念があって。

でも、その「党派性」を脱した部分での「読者さん個人」で見ると、その「ど真ん中」に向けて書いてる本なんですよね。

あなたの、「パーソナルな部分の根っこ」にはキッチリ届くように書いているはず。

でも、その「個人のパーソナルな部分の根っこ」っていうのは常に「あらゆる党派性」とぶつかっているので、そこんところが難しいんですよね。

ただ、今の時代、あらゆる党派性はグジャグジャドロドロの商業主義によってネコソギに説得性を失ってきてるんで、だからこそ、本当に「あなた個人」に書いた内容を、「党派性を超えた場所」で受け取ってくれる人の輪が、広がっていってくれたらいいなあと思っています。

というか、もうそこにしか活路はない。僕の人生の活路もそこしかないし、日本国も、っていうか大きく言ったら人類も、そこを通じて共通了解を再生するしかもう道はないですからね。

本当に「ど真ん中」なことっていうのは、「党派性を超えた個人」ベースで立ち上げないといけないし、それはやっぱり「商業主義の最前線」で立ち上げるしかないんですよ。

なんとか、そういう道を進みたいと思っている。

そういう道を通りきれれば、「本来協力しあえるはずなのに罵り合っている」ような関係にあふれたこの世界に、「本来的な美しい協業」が道あふれた世界に転換できるはずだし。


でもほんと、そういう狙いを、柿内氏はうまく形にしてくれたなあと思いました。


彼は、今の時代の「商業主義的出版の申し子」的存在としてポジションを築きながら、こっちにロングパスを投げてくれた」って感じですからね。

で、僕もなんとかそれを引っ掴んでタッチダウンまで行けた。とりあえずは。

それが何点ぐらい入る(どれくらい売れるか)はわからないですけど、とりあえずこの組み合わせが完成しないと僕は世に出ることができなかったんで、僕はこの時点で「100%満足」って感じはしてます。

結果はまあ・・・・この本についてはわからないですけど、長期的に見れば全然安心してるしね。それだけの「真実」を捉えているという確信があるし。

でも、彼の編集作業はほんと緻密に「商業主義」的仕切りがあって勉強になりましたわ。

なんかね、こんな細部まで?ってぐらい見るんですよね。そのへん、凄いなって思った。

大枠として、改行を増やして読みやすい文体に変えていく・・・っていう作業については、さっきリンク貼った記事で書いたけど。

それ以降も、凄い細部まで、「読みやすさとは何か」っていうのについて指導されて、そのへんが勉強になった。


例えば、僕って流れで書いてるんで、かなり「表記ゆれ」するんですよね。

本の中で、組織や国の中における、「思想家(そもそも何をやるのかを考える存在)」「革命家(それを無から具現化できる行動力のある存在)」「実務家(革命家が作った大枠を密度感持ってこなす存在)」の「バランス」が大事で、今は特に「思想家」が大事なのにそれがちゃんと保護されてないのが問題だ・・・的な趣旨の部分があるんですけど。

そういうのと、「原生林の森の生態系」と、「貧困な人工林」との違いを並べてイメージ化して、で、結局「革命家」ばっかり持て囃してちゃダメなんだよって話になるんですけどね。

でも、僕こうやって「思想家」「革命家」「実務家」って区切ったとしても、そのことすぐ忘れちゃって、どんどんパラフレーズ(言い換え)してっちゃうんですよ。

で、例えばね、昔のブンガク系の評論なんかを大学の入試国語問題とかで取り上げたらね、こういう「パラフレーズされたキーワードを同じものとして繋ぐ」こと自体が「入試問題」になったりするじゃないですか。


文中で作者が「思想家」と呼んでいるものと同じ意味の言葉をXX文字以内で書きなさい

答え
「混乱の時代に”そもそも何をやるべきなのか”を考える存在」


みたいな感じで(笑)

で、こういう時に柿内氏に、

「思想家」「革命家」「実務家」って区切ったんだから、ちゃんとその用語を毎回使うようにしてください

って言われて「へええ!!」と思った。その発想はなかったなと。

でも確かに、そうやって入試問題になるっちゅーことはその問題を解けない層がいるってことなんで、だからそういうのが良い文章かどうかっていうと、少なくとも「商業出版という観点で見たわかりやすさ」という意味では「悪文」と言っていいんだなと思った。

むっちゃ文字数多いにもかかわらず、そういうレベルで色々意見を言ってくれたんで、かなり風通しの良い文章になってると思います。


で、これは「文中の文言の訂正」って話だけじゃなくてね。

彼が自分のキャリアを作っていって、次々と新書業界でのポジションを築いてきたってこと自体が、こういう「方向性」の蓄積じゃないですか。

「数は出す」「内容も妥協しない」両方やらなくっちゃあならないってのが、出版の難しいところだな・・・って感じの部分で。

彼が僕と同い年にして、ちゃんと新書部門のボスっていうポジションを得てるってこと自体が、「ちゃんと思想家っていう用語を切ったら毎回使ってください」っていう「スキル」と不可分なものだと思うんですよね。

そういうのを着々と発展させてきてくれたから、僕の本の位置までロングパスが投げられる・・・・っていうポジションを得ることができたっていうか。

「数」を出せないと「権力」が得られないし、「権力」がないと「価値あるもの」に対して「一本釣り的なロングパス」を出せたりしないですからね。

結局、「今の売れ筋の後追い」以外の領域にズバーンと一本釣りのロングパスが出せたっていうこと自体が、やっぱ彼の全キャリアをバックにして成し得たチャレンジってことだったと思いますし。

なんか、そういう「キャリア全体の流れ」自体に、凄い感謝したっていうかね。そういうのは、文言の変更的な細部の意見から、出版プロセス全体の仕切りにいたるまで一貫して感じられたことだったんで。

だからもうこの本は彼の本と言っていいぐらいだなって今は思ってるんですけど。あとは煮るなり焼くなり好きにしてください的な。


でも、こうやってちゃんと「パスが通った」からこそ、本以外の部分においては、これからもっと「自分の地」の部分を素直に出していくことが、「幅」を見せることにつながるのかな・・・っていう風にも思い始めてますね。

ちゃんと「文脈」が繋がったからこそ、これからは「内容」の充実に専念できるというような。

ともあれ、そんな感じで過ごしております。

「党派性」を超えた「個人」へのアクセスは、「商業主義の最前線」でなんとか立ち上がる道を選ぶしかない。

そういう道を通ろうと思ってるので、これから、今まで僕がいた文化なんて大嫌いなんだよ!!っていうような、「党派性で見ると嫌いだ」と思っておられる方でも、「個人」として「この本」と向き合っていただければと思っています。

よろしくお願いします。

僕とあなたの間に、そういう「党派性を超えた個人同士の繋がり」を作っていけるかどうか・・・・そういうチャレンジをこれからやっていきたいと思っています。


おお、ついに書影も登録されてる!!どきどき・・・・

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