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床に置いてある本を、一回持ち上げてクルッと回してもう一回床に置く・・・というような流れと一緒で。

日本の「空気で決める」感じって、ほんと知性派な個人主義者には凄い嫌なものがあって、日本の諸悪の根源的な部分があるように思えるし、それはある意味正しいんだけど、ただ、そういう部分が日本の優秀性の核心でもあるので、「良いところはそのままに、アメリカンなシステムだけを導入する」というのは、言うのは簡単だけど具現化は超難しい的な部分もありますよね。

アメリカンなシステムは、徹底しないと価値が出ないので、その「徹底する」ということを無理にやりすぎると、本場のアメリカのように、凄く「知的にうまく動いている場所」と、「かなり無茶苦茶になってる場所」との間のギャップが凄く開いてしまうので。

だからといって、今のまま何もできない日本でいるわけにはいかない!!ってなったときに、やっぱり大事なのは、「アメリカンなシステムが”無理なく通りやすい空気”を作る」ってことなんですよね。

結局「空気」の問題なんだけど、だけど、それが「やっぱこういう時はこうだよね」って感じでちゃんと通るように持っていかないといけないと思うわけで。

日本はコンセンサス過剰社会だからダメなんだ!!って主張することは、今までは凄い必要なことだったと思うんですよね。

おかげで、今の時代、「コンセンサス過剰も良くないよねというコンセンサス」までは、なんとか辿りつけてる部分はあるんで。

そこまでは、両派が対立をしまくって意地を張りまくって、なんとかたどり着いた場所って感じだと思うんですよ。

何か床に置いてあるもの(本とか)を裏返して再度床に置く・・・・って時に、とりあえず持ち上げてクルッって回転する手前ぐらいの感じ。

そこまで来たら、あとは流れに逆らわず、ただもう一回床に置けば作業完了だよね・・・というような。




なんか、そういう流れに持っていかなくちゃ・・・と思って僕はやってきたんですけど、それやってくるの凄い「寂しかったな!」って今凄く思っていて。

なんか、「どっち側」の人にも、最終的にはわかってもらえない苦しみ・・・みたいな。その真ん中のところで誤魔化し誤魔化しやってないといけない感じで。

で、本を書いてそれが出せた今だからこそ、今まで気にならなかったその「寂しさ」の、溜まってるものが凄い湧いてきてアワワワワってなってる。

「今まで意識してなかった寂しさを時間差で明確に味わってる」というか、もう一回「日本社会に抱きとめられたい」じゃないですけど、そういう気持ちが凄く湧いている部分はあります。

ビートルズの「ヘルプ!」みたいな気分。

今までは本を出すという「目標」のために孤独は全然気にならなかったんだけど、一段落したら、凄い寂しいな!って思うようになった。寂しさを誤魔化すツールに事欠くようになったというか。



日本を変える!!ってなった時に、「古い勢力をぶっ壊す!!」っていうエネルギーでここまでやってくることが、多かったと思うんですけどね。

で、それはたしかに必要なことだったと思うし、今や「なんとか変わらなくちゃっていう空気」まではある程度実現してると思うので。

これから必要なのは、「着地点のイメージ」を、今度は両派がそれぞれに描いていって、「空気」にしていくことだと思うんですよね。

それは、「アメリカンなシステム」そのものも、「日本の空気」で飲み込んでしまうことなんだというか。

アメリカは凄い参考になる国だけど、でも日本はアメリカには絶対なれないですからね。成り立ちから性質から全然違うんで。

結局、どんなシステムも、運用時には常に「その場その場」をどう仕切るのかっていうことが必要になってくるわけなんでね。

こういう時はこうだよね、こういう時はこうだよね・・・っていうのを積んでいくしかないわけなんで。

「古い勢力の意地」っていうのは、もう既に相当程度虫の息にまでなってると思うんですよね。でも、最後の一歩で彼らが崩れおちないのは、まだ「壊す側」も、「新しい着地点の模索」っていう方向の言説を積み上げるモードになれてないからだと思うんですよ。

もちろん、そういうのは「始めるタイミング」が難しくて、まだちゃんと「壊しきれてない」時期に、「対立を煽るだけじゃダメだよね」っていう風な空気になりすぎると、「壊れるべきものが壊れない」ままになっちゃうんで、気を付けなくちゃいけないんですけど。

床に置いてある本を、一回持ち上げてクルッと回してもう一回床に置く・・・というような流れと一緒で。

「クルッ」の後半になったら、もう「一回持ち上げて回転させるまでの段階」の時に「必要だった力の加え方」は全部不要になりますから。

今は「クルッ」の手前ぐらいだと思うので、「そろそろ安定させていこう」という動きと、「これを回転させきってやるぞ!」という動きが、バラバラに共存しながらだんだん同期していくタイミングなのかなと思っています。

みんなで協力して、一歩ずつそういう方向に、日本全体を持っていきたいなと思っています。



で、そういう流れに自分が参加していくとなった時に。

案外この、今感じてる「今まで寂しかったなあ!」っていう「気持ち」が大事なのかなと思ったりして。

過去には、どっちの派の人のことも「凄いわかる!」って思いながらも、とりあえず両者を繋ぐ起点をどっかに作らなくちゃと思って最終的に「だよねー」と心の底まで浸ることはできずに来た・・・・っていうそういう「溜まってるもの」について。

最近凄く痛切にその「感情」を実感する自分がいて、それをうまく形にできる今後の動きってなんなのかな?と考え始めているところです。


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っていうのがあって、このリンクからパワーポイント資料が読めるんですが。

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今更ですけど自己紹介を・・・その1.副題『原生林のような豊かでタフな経済を目指して』

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物凄く大枠での言い方をすると、過去20年にわたる日本の苦境はこの「老害さんをどう扱うか」について、思い切りの良い諸外国のように何のテライもマヨイもなくボコボコに権力を奪って放逐していくような思い切ったマネジメントができなかったから・・・と言ってしまっても悪くないかもしれません。

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