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「世界の他にはない”薩長同盟的”ムーブメント」で、希望に満ちた日本にしましょう!!

書評的なことをしてくれる人が、ポツポツ現れて来ているようです。

まず、ある会員さんが教えてくれた、またその後星海社の柿内編集長もリツイートしてくれてた人なんですが。

内容の紹介は後でうんざりするほどしますけど、この本メチャクチャ面白かった!!
僕はホント、結構好きで新書を読むんですけど、これまで読んできた中でもトップクラスの面白さでした。
と言ってくださっていて、かなり多くの引用を含む熱い書評を書いてくださっています。

今、書店員さんをされておられるらしく、「良い本だから埋もれさせないようにうまく売らないと!!」と義憤的?な熱さを持ってくださり、
『とうとう現れた!!
本書はまさに、『日本人のためのビジネス書』だ!
どのビジネス書を読んでもしっくりこない人。
どのビジネス書を読んだらいいかわからない人。
とにかく読んでみてください!
日本人だからこそ出来るビジネスの形が、ここにある!』
というオリジナルPOPで店頭展開していただいているようです。

ありがとうございます!!


あと、この記事で少し紹介した、マッキンゼー時代に一緒に働いたこともある、現京大准教授の仙石慎太郎氏も、読了の上紹介ツイートをしてくださいました。

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彼とは、イギリス人がボスでヨーロッパの会社がクライアントのプロジェクトで一緒に働いた縁で知り合って、マッキンゼー在職中に顔を合わせたら話す間柄だったんですけど。

当時、彼は「研究開発の効率化マネジメント」っていうテーマのプロジェクトで、自分としても納得できる仕事ができた・・・という話をされていて。


でも、「研究開発の効率化マネジメント」って、ただガシガシギチギチに管理すりゃいいってもんでもないからね。そういうところに、ただ「数字で管理する根性論の焼き直し」みたいなんじゃない発想が必要となってくるんで。

だから、僕の本的な問題意識にも近いところにいらっしゃる感じが、昔からしてたんですよね。

ツイート以外の私信でも、彼は
小生が追い求めているイノベーションの理想的展開とも近いと感じました。 
ともおっしゃってくださっていて、そういう形でちゃんと響いていっているのは、なかなか嬉しいことだな、と思いました。


でね、最初に書いた「黒夜行さん」っていう方は、書店の現場的な世界で働いておられる方で、ご自身でもおっしゃられているように、「現場的・日本人の”和の集団”的価値観」の中で生きておられる方ですよね。

一方で、仙石さんは、経営コンサルティング経由で、今はアカデミックな世界で活躍されてる方でね。

あと、この前書いた藤井さんとか、まさに「グローバリズム側最前線」的な立場の方じゃないですか。

で、

「ちゃんと”両側の人”に、主体的な感情を巻き込む形で響いてもらうことが必要だ」

と思ってずっとやってきたんで、

それがちゃんと実現できている、しかも「自然に」実現できている

ってことが、凄く嬉しいことですね。

これ、簡単なことのようで、なかなか難しいことですよ。


で、そういう存在、そういう文体、そういう発想が生まれてきてるってこと自体が、日本特有なもののはずなんですよね。

普通の国では、もっと「グローバリスト側」と「アンチ・グローバリスト側」の間の距離が広がっていて、その両者を噛みあわせて、しかもそれをある程度「実務的な具体性」を持った形の一貫した発想としてまとめあげよう・・・なんて動きは、そうはないはずなんですよ。

もちろん、「社会起業家」さんやNPO的なムーブメントは、むしろ日本よりも盛んな国が沢山あると思いますけどね。でも、そういう「グローバリズム最前線」的なものに対して「批判的」な形になるようなものじゃなくて、「グローバリズム最前線」的なものを、「現地現物のリアリティ」と直結させる「薩長同盟」的関係に持って行こうとする動きは、日本特有なもののはずなんですよ。

NPO的なものや社会起業家さんたちも物凄く大事なムーブメントだし、凄く勇気を与えてくれる事例は沢山あるんですが、それは不可避的に「グローバリズム最前線的なもの」と「VS」的な価値観で立ち上がっているので、やはり最終的には焼け石に水というか、「一部の凄く良心的な人」だけの範囲のものになってしまうんですよ。

つまり、

「あれか、これか」っていう風に概念的に二分法になるものじゃなくて、「あれもこれも」っていう「同じ一つのもの」にする発想

っていうのが必要なんですよね。

「概念」で考えているとバラバラなようだが、「現地現物」で実際の工夫を積み重ねてったら結局同じことだったよね!!

っていうように持っていくことが必要なんですよ。

で、そこに踏み込まない限り、日本はこれからもずっと「決められない国」で在り続けるんですよね。

「グローバリスト側」にいる人が何かやろうとしても、「和の国側」の日本人の「切実な事情」が押し戻し続けるので、結局永久に邪魔され続けるんですよ。

で、その「個々の論点」に関していえば、「グローバリスト」側の方が大抵は正しいことが多いと思うんですが、そのプロセスが消してしまうような「現場的な切実な事情」の方をちゃんと救い上げる動きが起きない限りは、永久に「どっちもどっち」の押し合いを続けたまま緩やかに衰退していくしかなくなりますからね。

で、そういうどちらにも行けない袋小路にブレイクスルーを起こすための方法についてまとめたのが、この本なんですよ。



具体的にはね、グローバリスト側の人はね、「あのムカつく既得権益者ども」のことぶっ潰してやりたいと思ってるでしょう?腸が煮えくり返るぐらい。

ただ、あなた方がただその方向性を押し出すだけだと、意地張って逆向きに動く感情ってのもありますからね。

でも、そこにこういう新しい「薩長同盟的ムーブメント」が広がったらね、「伝統的左翼ジャーナリズム風のなんでも反対してやるぜ的ムーブメント」の「持って行き先」が、「グローバリズムと噛みあった形」で形作られてくるようになりますから。

そのムーブメントが広がれば広がるほど、

「マトモな理屈が通るべき場所」に対する「そりゃ理屈はそうかも知らんがムカつくから嫌だ!!」っていうような感情

の、

『代替的な持って行き場』

が、しかも今度は

「新しい経済付加価値を産み、広い範囲の人の本当の幸福につながる形」

で生まれてくるんでね。

そしたら、あなた方が通したい「理屈」が、アメリカとかの身軽な国以上のスムーズさで通る国になりますよ。


一方で、「グローバリスト」的な小理屈野郎どもが大嫌いな「和の国日本人」のあなたもね。

あのムカつく売国奴とかをギッタンギッタンにしてやりたいと思ってらっしゃるでしょう?

ただ、あなた方が彼らを一緒くたに批判すればするほど、彼らとしても譲れないものをさらに先鋭化して主張せざるを得なくなりますからね。

でも、そこにこういう新しい「薩長同盟的ムーブメント」が広がったらね、彼らグローバリストの中の「良心派」が、ただの紋切り型の「既得権益者批判」じゃない形で、「日本人の本当の良さ」をシステム上に引き上げる工夫について真剣に考えはじめてくれるんでね。

その流れが確固としたものとなったら、ただたまたまグローバリズムと噛みあった位置にいるからデキル人ぶれてるけど、結局本当に自分が何をやってるのかも理解してないし、その仕事の広い範囲の波及先における相乗効果なんて発想が全然ないような奴らが、どんどん居場所を失うようになってきますからね。

そしたら、あなた方が大事にしたい「現地現物の工夫」を、ちゃんとグローバリズムの最前線で表現し、世界中に評価してもらい、正当な対価を得られる世界・・・がやってきますよ。


この構図は、結局、本の中ではページ数の関係でボツになった以下の絵がすべてなんですね。(クリックすると拡大します)





こういう「組み合わせの変化」を起こしていかないとね。

今は、「良心的知性派」の人は、「オベンキョウだけできたバカ」と一蓮托生になって「現場派」を批判してることになってしまっているし、「現場の良心さん」も、「バカ殿」まで一緒くたにかばいながら、「知性派全体」を非難している構図になってるんで。

グローバリズムっていうのは、この一枚目の絵において「左側が右側を押し切ってしまう」ところがある意味あるんで、でも、日本はそこで「押し切らせないまま20年も来てしまった」こと自体に特色があるわけなんで。

その「特色」自体は良くも悪くも「我々の性質そのもの」なんでね。

だから、「簡単に左が右を押しきれた国」に、同じ方法で対抗したって絶対勝てないんですよ。荷物が軽い国には荷物が重い国は勝てない。

だけど、この二枚目の図のような方向に動かしていければ、「現地現物的な工夫が圧殺されずに知性を噛みあう流れ」がどんどん起きるようになってくるんで。

だから、末端における現場的優秀性を犠牲にする形で知性のシステムを社会全体に通している国には不可能な「現地現物の即応性を大域的連動性が同時実現する国」になるんですよ。

っていうか、これは日本だけの問題じゃなくて、グローバリズム自体が、「そういう新しい成功例」が生まれてこない限りは、そのうち維持不可能になってきますからね。

アメリカみたいに、「16歳で物理の論文を書く知性」と、「もうどうしようもなくなってしまったスラム」的な部分との絶望的な断絶が、世界中に波及してしまったら、いずれそのメカニズム全体が維持できなくなりますから。

だからこそ、この「薩長同盟的関係」に持ち込むってことは、日本にとって目前の最大の課題であるだけじゃなくて、人類を代表した「今どこかの国がやらなくちゃいけない最大の課題」なんですよ。

で、そういう「まだ誰もやってないこと」に踏み込んでいってこそ、新しい可能性も開けるわけじゃないですか。

現状の成功例の後追いだけやってたって絶対日本は抜け出せないですからね。


で、結局そういう「薩長同盟的解決点」に対して感情が集まってこない限りは、日本は永遠に、「決めるべきことが決められずに漂流し続ける」ことになるんでね。

マトモな理屈を言う人は邪魔され続けるだろうし、だからといってただただ惰性の延長でやっていくこと自体も難しくなっていくだろうし・・・・っていう「どこにも行けない閉塞感」が。

お互いを縛り合い続け、罵り合い続け、通るべきものが通らず、ただただ無為無策のまま続く・・・・ことに飽きた感情が、いずれ水が低きに流れるように、「薩長同盟」的気運に集中してきてくれることを、お待ちしております。

っていうか、出口はそこにしかないんで、できるだけはやく20世紀型の罵り合いからは卒業する流れが起きてくればいいなと思って待っていますよ。




「はじめに」では、京大農学部演習林である、芦生の森っていう原生林に行った時のことが書いてあるんですけど。

そこには、「妥協のない生存競争」と、「近所の雑木林にはない圧倒的な多様性」が両立してたわけですよね。

で、今の時代、「グローバリズムとか資本主義とか」っていうのは、「自然界の生存競争」と比して語られることが多いわけですが。

「やればやるほど圧倒的な多様性が生まれる本当の自然の生存競争」と、「やればやるほど多様性が抑圧されていってスカスカになってくるように感じられる現代社会の生存競争」はどう違うのか?

という視点から。

「本当に現地現物の多様性が発揮される」形の、「妥協のない生存競争」を実現する・・・・ための方策を語り起こしていくことになります。

これは、さっきも言ったような、欧州左翼風の、「良心」の論理じゃないんですよね。

「あれか、これか」じゃなくて、「あれもこれも同じもの」って形にしなくちゃいけない。

「グローバリズムや資本主義の一切妥協のない運用」と、「左翼風の人間の感情を満足できる世界」が、「両立」するように持っていくにはどうしたらいいのか?

そういうのを、現地現物に考えていかなくちゃいけない時代なんですよね。


ところで、仙石准教授は、プライベートでは江戸前神輿の同好会とかもやられてるし、東大ボート部出身らしいんでね、「自分は”長州藩側(グローバリスト側)”的な仕事をしているが、”薩摩藩側(日本人の集団側)”の文化をプライベートでは非常に好んでいる」みたいなことをおっしゃってたんですよね。

で、日本人だったら、相当なグローバリストでも、そういう部分は必ずありますからね。

だから、「片側だけの論理を押し切る方策」だけでやって、アメリカに勝てるはずがないんですよ。「国内の守旧派の反発」っていうのは、大抵のグローバリスト側の日本人の「個人的な本能部分の反発」でもあるわけですから。

だからこそ、その「荷物が多い部分」まで巻き込んで生み出せるムーブメントじゃないと、アメリカには絶対勝てないんですよ。

でも、そういう「本能」部分まで巻き込みつつ、「グローバリズム的な論理の通用性」を一切落とさないような形の「薩長同盟的ムーブメント」が実現できたら、マジでこれからの日本は絶対明るいですよ。

「世界の他にはない新しいムーブメント」を、自前で起こしていける時代になったってことですからね。

希望に満ちた日本にしましょう!

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今更ですけど自己紹介を・・・その1.副題『原生林のような豊かでタフな経済を目指して』

このページはよほど倉本圭造に興味がある人のためのありえないほど長い自己紹介エッセイなので、サクッとコイツ誰なんだ?ってことが知りたい場合は、私のホームページの「Who?」欄をお読みください。(向こうにしかないコンテンツもありますし、とりあえずコンパクトに全体像がご理解いただけると思うので、かなりご興味を持ってくださっている方も、先に向こうをお読みいただけるとご理解しやすいように思います。その後以下の”長文”へと戻ってきていただければと)







最近出版の依頼を下さった人がいて、”出版社の女性社長さん兼編集者”としてギョーカイでは結構有名な人らしいんですが、「21世紀の薩長同盟を結べ」本体を読むまで、プロフィール欄を読んでも「???」って感じだったと言われたんですよね。

その「???」になったっていう文章は、本の著者プロフィール欄に記載されているコレなんですが。

1978年神戸市生まれ。兵庫県立神戸高校、京都大学経済学部卒業後、マッキンゼー入社。国内大企業や日本政府、国際的外資企業等のプロジェクトにおいて「グローバリズム的思考法」と「日本社会の現実」との大きな矛盾に直面することで、両者を相乗効果的関係に持ち込む『新しい経済思想』の必要性を痛感、その探求を単身スタートさせる。まずは「今を生きる日本人の全体像」を過不足なく体験として知るため、いわゆる「ブラック企業」や肉体労働現場、時にはカルト宗教団体やホストクラブにまで潜入して働くフィールドワークを実行後、船井総研を経て独立。「個人の人生戦略コンサルティング」の中で、当初は誰もに不可能と言われたエコ系技術新事業創成や、ニートの社会再参加、元会社員の独立自営初年黒字事業化など、幅広い「個人の奥底からの変革」を支援。星海社新書より『21世紀の薩長同盟を結べ』発売中です。
で、「なるほど、意味わからない・・・かもしれないな」と思ったんで、それについて、一度まとめた文章を書いておいたほうがいいのかな・・・と思って、これから書きます。

『逃げ恥』が教える「自分らしく生きる」の本当の意味

あけましておめでとうございます。昨年の私は普段の仕事的にはそれなりに一歩ずつ経験積んで進歩してこれた感あるんですが、いかんせん本出したりネットに上げた文章が広く読まれて・・・という方向での活動としてはなんだか何もやってないも等しいような印象になりそうで、正直ちょっと焦ってもいます。

ただ今は、焦って本やブログを書いても、よくある「右や左の紋切り型」にしかならない難しい状況に世界がどんどんなっていくなあと感じていて、そうじゃなくて「個別の事例」と仕事で向かいあう中から立ち上がってくる何かを信じて積んでいきたい気分だというか・・・ま、もうこの歳になると自分はマイペースにしか生きていけない人間だってところは骨身にしみてわかっているので(笑)、相変わらずそういうペースで今後もやっていきますので見捨てないでたまに気にかけてやって下さい。

ちなみに、ブログ再移転しました。ブックマークされてる方は変更をお願いします。

新ブログトップページ↓
http://keizokuramoto.blogspot.jp



で、久しぶりのブログ更新、しかもブログ移転一回目・・・がテレビドラマの話題ってなんてミーハーなって感じもしますが、2016年最大の(たぶん)ヒット作となった『逃げ恥』が超よかったので、年末だしそれについて書きます。

全体的に言って、「自分らしく生きる」っていう現代的に超超超言い古されたことについて、ちゃんと一歩ずつ考えて一歩ずつ実現していかなくちゃね!っていう気持ちになったところが凄く良いドラマだったと思ってます。夫婦で見てて毎週二回は泣いてました。

このブログはそういう方向で、

・『逃げ恥』のどこにこんな感動するのかって話
と、
・それはある種「運命へのニーチェ的向き合い方」なんじゃないかって話(より正確には”一連の実存主義哲学”)
と、
・「他人の人生を生きないで、自分の個別性(自分らしさ)を生きること」っていう「言い古されたこと」を私達が本当にちゃんとやりきるにはどうしたいいのか?
というような話に広がっていく予定です。

日本から老害を一掃して残業を減らす唯一の方法

なんか挑戦的なタイトルになってしまいましたが、ただ最近「老害」っているんだよなァ〜と物凄く実感することがあって、その詳細をそのままは言えませんがそのやるせない思いをより広くて皆様と共有できるテーマとして昇華して書いてみたいと思っているんですが。

あなたは、「老害」って言葉、キライですか?好きですか?

私は最近まであまり好きではなかったです。老害扱いされてる人にも、うまく使ってあげればそれなりの価値やら色々あるんだぜ・・・と言いたい気持ちが結構あって。

ただ、そんなこと言ってると「老害さん本人」が「自分の老害性」を一切意識せずにノウノウと暮らし続ける反面、困ったことにその「老害さん」は権力持ってたりするのでその集団全体の適切な運営がどんどん滞り、直接的には「ヤル気のある若手」さんが、そして結果的には「その組織の人全員」が非常に困った状況にみんなで追い込まれていくことになってしまう。

物凄く大枠での言い方をすると、過去20年にわたる日本の苦境はこの「老害さんをどう扱うか」について、思い切りの良い諸外国のように何のテライもマヨイもなくボコボコに権力を奪って放逐していくような思い切ったマネジメントができなかったから・・・と言ってしまっても悪くないかもしれません。

ただね。現状の日本は、老害さんたちを腫れ物に触るように扱って捨てずにいたので、社会全体が「トランプvs反トランプ」みたいにどこまで行っても平行線な対立に落ち込んだり、スラム街がどこまでも悲惨なスラムになっていくようなことは避けられたり・・・というプラス面もあったんだろうとは思います。アメリカに比べたらまだ貧富の格差もまあマシなレベルに留まっている。

つまり、なぜ日本が「老害さん」たちを諸外国のようにはボコボコに斬ってしまえないかというと、「その老害さんが代表しているものの中に自分たちの良さの根幹も混ざっている」からだと言えるでしょう。