「新しい愛国心の形」にすべてを巻き込んでいきたい。

昨日、アゴラに投稿したんですよ。

『本気で脱原発だからこそ再稼働』的な落とし所を模索したい。

なんか、野田首相の再稼働容認演説について、今朝の新聞に色々な「知識人」の方々が寄ってたかって「詭弁だ」とかヒドイことを言ってたんですけどね。

僕は結構感動したというか。「よくやったと言っていいんじゃないか」と思ったんですよね。

各方面への配慮を示しながら、決めるべきところを決めた、そういう演説だったと思う。

大げさに言えば、一個前の記事で書いたような、「吉田茂とか岸信介的な決断」と言っていいようなものだったと思うんですよね。

どちらも、「最大限の理想論」は「押しつぶして」しまうことになった決断なんだけど、それによってとりあえず「社会の大枠」を崩壊させないように決めることが出来た。その上での経済的繁栄も謳歌できた。

岸信介が、安保改定騒動の時に、「なんだかんだ言って銀座や後楽園球場はいつもどおりじゃないか」って言って、「騒動を起こしてまで反対したがっているのは一部にすぎず、サイレントマジョリティは賛成してくれている」的な認識を示して凄いヒンシュクを買ったらしいですけど。

今だって、サッカー日本代表の試合とかは、原発稼働問題とは全然関係なく満員だし、普通の人の普通の生活は全然変化ないわけなんでね。

そういうのを「罰してやりたい」「もっと静粛で静謐な秩序に溢れた国になるようにお灸をすえてやりたい」みたいな本能的な欲望を、ついつい知識人は持ってしまいがちで、かつ「国民の大半は私と同じ意見なんだ」的な方向に持っていきたくなってしまうんですけど。

でもやっぱり、そういうのはね、良くないと思うんですよ。自分の理想を他人に無理やり押し付けることになるっていうかね。



でも、だからといって、ただ「圧殺するだけ」にも終われない時代ですからね。

だからこそ、「漸進的ではあるが純粋さは失っていない理想像」を共有するように持っていくべきだと思うんですよね。

スマナイが、急進的な理想は押しつぶさせてもらうけれども、そのかわりに漸進的な理想にみんなで取り組む流れにしていこうぜ・・・っていうような形に持っていきたい。

「急進的な理想」を唱えて、それに「現実的事情で反対する」ヤツを全員「自分のエゴしか考えてない巨悪さん」扱いする・・・っていうような、「20世紀的左翼の悪癖」に陥ることなくね。

だからといって、そういう理想主義的な動きをただ「夢物語」扱いして圧殺する「だけ」で終わってしまう「20世紀的右翼の悪癖」に終わることなくね。

そうじゃなくて、「漸進的だけど純粋な理想像」っていう旗印をちゃんと意識して掲げることで、「両方のエネルギーをど真ん中に結集していく」っていうムーブメントが、今凄く必要だと思うんですよね。

お互い、「相手側を非難して、味方側の人と慰め合うだけで終わる」ようにならないように。

そうしないと、結局、「言っていること」がいかに理想的だろうとも、実際に「多くの人をその動きに巻き込んでいく」ってことが結局できないからね。

「逆側の人」をいくら非難したって、「そういう人がいるという現実の世界」は変えられないわけだから。あくまでその「非難」をし続けるのは、「自分は正しい・相手は間違ってる」っていう構図に安住しているだけで、「そういうのが本当の”正しい意見”と言っていいんですか?」っていう疑問は物凄くある。



そのために、なんか、今更なんですけど、「愛国心」っていうか・・・なんかそういう方向性を、ちゃんと恥ずかしがらずに出していくことが大事なのかな?って、思い始めています。

今の時代の「愛国心」的な方向の言論って、普段そういうのを読まないタイプの人でも、実際に読んでみると6割ぐらいの「気持ち」とか「問題意識」の部分はかなり共感できたりするものではあると思うんですよ。

ただ、最後のところで、そういう「気持ち」が「実際の行動」に現れた時に、韓国人への差別だったり、南京大虐殺は無かった論だったり、あるいは日本政府はまだまだいくらでも国債発行できるからじゃんじゃん使ってしまえよ!的なものになってしまったりするんですよね。

で、だから「気持ち」はある程度共有できても、そこに「幅広いムーブメント」を乗せていけないというか、やっぱりそういう動きに「フタ」をする逆向きのエネルギーが常に必要になってしまっているので。

それに、「グローバリズムに対応して自分たちの強みを出していく」っていうときにも、ただアメリカの真似すりゃいい・・・ってわけじゃないですから。

その中から取り入れるものを取り入れ、そして自分たちならではのものを提示するために逆張りするべきところは徹底して逆張りして・・・っていうような「したたかな戦略」が必要になってくるわけですけど。

で、そういう「ど真ん中な方向性」っていうのを、明確な旗印にしていく・・・っていうことを、やらなくちゃいけない・・・っていうのが僕のずっと長いこと持ってきた問題意識で。

そういうのがないと、政治レベルで大きな決断ができないっていうだけじゃなくて、経済・経営レベルでも、自分たちの力をちゃんとストレートに発揮できないし、やればやるほど「なんか自分たちに合ってないことを無理やりやらされてる感」が出てくるからツライ思いばっかり積み重なるし・・・ってなるんですよね。

広域的な「風潮」を、「自分たちらしさ」に対してちゃんと真っ直ぐ相対するように持っていかないといけない。

今は「昔のままでいいんだよ!ここは日本だ馬鹿野郎!!」ていうのと、「なんでアメリカやシンガポールみたいにできないの?日本人って馬鹿じゃないの?」みたいな意見の両極端しかない。

だから、グローバリズムに対応しようとすると自分たちの強みに抑圧的になり、自分たちの強みにこだわろうとするとグローバリズムにうまく乗れない・・・・っていうジレンマになってるんで。

その「ど真ん中」に持っていくような議論を、あらゆるレベルで共有していかなくてはいけない状況で。

ある意味、今の「日本の大企業のどっちつかずさ」の中には、その「萌芽」ぐらいはあると思うんですよね。

それを大きく育てる必要がある。

最終的には、今のシステム全体は崩壊して新しい日本が生まれると思うんですが。

それが、ただ「アメリカのやり方に合わせるだけ」で終わってしまわないように・・・・っていうか、実際にはそんなことやろうとしても無理だからこそ、そういう「グローバリズム方面からだけのゴリ押し」には「抵抗勢力さん」が最後まで反対して膠着状態になってしまうわけなんですよね。



で、そういう「漸進的で現実的だけど理想の純度は失っていない旗印」っていうのを、なんとか掲げなくちゃいけない・・・と思って今まで僕はやってきたしこれからもやっていくわけですけど。

それ、なんか具体的な方策の中身自体をちゃんと説明しようと思うと、どうしても多少は長くて複雑になっちゃうからね。

「日本はダメだねえ」とか「日本はこのままでいいんだ」の方が単純明快なんで。

もちろん、ちゃんと考えて準備してあるんですよ、この本を読んでくださいね・・・って話ではあるんですけど。

でも、その「新しい旗印」に一目見てわかる名前を付けるとしたら「愛国心」ってことでいいんじゃないか?っていう風に思い始めた。

こんなことを言うと愛国者の皆さんは怒るかもしれないが、でも僕みたいな人間にとって「愛国心」とか言うのは凄く照れることなんですよ。

で、妙にしゃちほこばった形にもしたくないんだけどさ。

でも、僕がここまで何かにこだわって一貫して動いてきたのは、やっぱり「自分の父親とかが持っていた確かにあった良さ」が「失われていく」っていうことに対して「許せない」っていう気持ちなんですよね。

もちろん、グローバリズムの単純な延長の中に、「そういう良さ」があって、ちゃんと新しい文化が成立していくんならいいんだけど。

でも、そうなってないと強く感じるし。

「本当の良さ」をストレートに発揮するような、オリジナルのアイデアが必要なはずなんですよ。ただオベンキョウして他人基準で優秀になりました・・・っていうものではないような。



やはり、


・いわゆる「右翼」な人たちの純粋な理想を求める気持ち
・いわゆる「左翼」な人たちの純粋な理想を求める気持ち
・「経済至上主義」な人たちの純粋な理想を求める気持ち


っていうのが、ちゃんと吸収できるように考えた旗印を、掲げなくちゃいけない・・・と思ってるんですよね。

その「内容」だけを見ると、どの立場の人にとっても、「自分たちだけの論理」を叫んでいる時に比べると不純物が混じったように感じるかもしれないけれども。

それでも、そういう風に「先に三位一体を考え尽くしてある」方向であれば、現実的にそれを社会全体で実行しようと思った時に、「逆側の立場の人の賛同」も得られるようになるから、最終的にウソみたいにスムーズに動き始めるはずなんですよ。

ただ「敵を非難」している「俺は完璧に正しいことを言ってる。あとは知らん」みたいな立場は、「左翼的良心」から見ても「愛国心」から見ても、そして、実際のレベルで見れば「経済合理的」でもないわけなんでね。



出版の次回作について色々考えていて、前の本をもっと「軽い感じ」にした本にしようと最初は思ってたんだけれども。

でも色々試しに書いているうちに、そうじゃなくてむしろ、最近ブログやアゴラ投稿で書いてきたような方向性をさらに「純化」することで、言ってみれば

「新しい愛国心」の形

を提案するようなものにしたいと思うようになった。

そういう方向って、やっぱね・・・ちょっと入っていくのに覚悟がいるっていうか、そういう方向でありながら、「グローバリズムの中の経済合理性」っていう文脈をうまく引きこむのって凄く難しいからね。

でも、できるはずだ・・・っていうか、既に内容レベルで見れば前の本でもできてると思うし。

なんで、逃げずにど真ん中をさらに進むようなものにしようと思った。



今の「愛国者」の方々も、例えば「教科書をつくる会」あたりから連綿と続いてきた流れが、「そのままでは現実的に多少機能不全気味」であることを薄々感じていると思うし。

今の「左翼的理想主義者」の方も、やっぱりそれを現実的に具現化しようと思うなら、もうちょっと「作戦」が必要だな・・・と思っている部分があると思うしね。

経済合理性至上主義者の人だって、「やれやれ、この国はいつまで変われないんだろうねえブツブツ、嫌だねえ」みたいなことを言っているだけでは結局この国は変わらないし、そしてその「この国の変われなさ」の後ろ側に、「消えかかっている自分たちのコアコンピタンス」を保存するための本能的な機能性が潜んでいて、だからこそ「抵抗勢力が全部悪いと言う形の改革」は進まないんだ・・・ってことも薄々気づいてると思うし。

っていうかね、正直言えば、僕としてはその三つの方向性を代表する論客さんが、「ど真ん中の論理」に対してちゃんと賛同してくれると思ってたんですよね。前の本を出すまでは。

本当に「現実に対する責任感」があったら、ここで反応してくれるはずだろ?っていう思いがやっぱ凄いあるんですけど。

なんかね・・・明らかに読んでるはずの人にも凄い遠巻きに見られてる感じで、そのへんは凄い失望したところがあります。お仲間の中で褒め合ったり「知的な議論」をしたりするのにはお忙しいようなんですが。

普段の言動からしたら、ここでサポートする責任があるんじゃないの?って思ったりして。そこは凄い義憤っていうか、何かを感じるところですよね。

でも、そこにある「憤り」自体が、結局「愛国心」ってやつなのかもしれないな・・・って思うんですよね。

「自分は正しいこと言ってる」っていう「既得権益」に安住してる人・・・に対する怒りっていうか。やっぱちゃんと「日本を良くするっていうこと」を真剣に考えたいじゃないかみたいな。



ともあれ、そういう感じで、まだまだ躊躇する気持ちは残ってるんですが、次回作の原稿を仕上げていく流れの中で、

「新しい愛国心」の形

をど真ん中に結晶化するような言論を続けて、徐々に



・いわゆる「右翼」な人たちの純粋な理想を求める気持ち
・いわゆる「左翼」な人たちの純粋な理想を求める気持ち
・「経済至上主義」な人たちの純粋な理想を求める気持ち



を一箇所に巻き込んでいくような活動をしていきたい、するぞ!!と決意を新たにしています。

それは結局、日本国だけの問題じゃなくて、「欧米的に単純化した方向性の無理」を、「内的に抱き込んで一段上に昇華する新しい文明」の成立・・って感じでもあるしね。

それができたら、マジでグラミン銀行どころじゃない新しい光っすよ。なんとか実現させたい。

っていうか、最近グラミン銀行(とユヌス氏)について調べれば調べるほどマジで凄いな・・・って思うんですよね。

めっちゃ感動する。凄いなこのオジサン・・・って思う。

でも、日本なら、「さらに一歩先」のことができるという予感があるんですよ。なんとかそれを形にしたい。

そういう「左翼的良心」を本当に「現実レベルで煮詰めていった時」も、あるいは「国レベルで見た経済合理性」をちゃんと「現実レベルで煮詰めていった時」も、

「同じ場所」

に突き抜けられる、そういう可能性が今の日本にはあるんですよ。

ハッキリ言ってそれ以外にこの国の未来はない。「どこかの巨悪さん」に全部なすりつけて自分は正しいこと言ってるから無問題・・・っていう構図から抜け出さないとね。

そういう「新しい愛国心の形」を提示しなくちゃ・・・と思うし、「愛国心」って言葉を使うのに照れてしまう自分の気持ちは、徐々になんとかしたいと思っています。

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