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お客さんのニーズ、世の中のニーズ。

事情があって昨日から実家の神戸に帰ってきていて、二週間ほど滞在する予定なんですが。

とはいってもやるべき仕事は結構あって、祖父の初盆だとかそういうイベント以外は部屋にこもってPCに向かわなくちゃいけないんで、あまり神戸の街を堪能というわけにもいかないんですけどね。

何が辛いって、結婚してからずううっと一緒にいた妻と二週間も離れるのがなんかさみしいみたいな話はありますね。いや、もう結婚して5年もたつのにこんなん言うと気持ち悪がられるんですけど。

ともあれ、そうなっちゃった以上その「意義」を考えたいなと思うタチなんですが、久々に実家に長期滞在するとなると、なんか自分の部屋(もう普段は父親が寝ているらしい)が他人の部屋みたいで面白いなと思います。

昔買った本とかCDとかが並んでるしね。

そういう本棚見てて思うんだけど、本棚は「その人を表現している」というよりは、その時々のその人の「恐れのパターン」だとか、「欠乏感のパターン」だとか、なんかそういうのを代表しているのかもしれないな・・・・と思ったりした。

当時の自分にはものすごく必要だと思って買った本だな・・・っていうのはわかるんだけど、今はもういらないな・・・とも思ったりする。

じゃあ根こそぎ捨ててしまえよ・・・っていうのも・・・・まあ、その実作業に必要な時間がとりづらいということだけじゃなくてなんか違和感あるんで、これはこれで放っておきたい気もするんですが。

とにかく、なんか2週間も実家にいなくちゃいけなくなった以上、そういう「過去の自分」と決別するというか、区切りをつけるというか、そういう時間にしたいなと思っているところなんですがね。


僕が独立してからかなり初期の会員さんに、ものすごい営業ウーマンがいたんですよね。

まあ、もともと凄い素質があったのかもしれませんけど、色々と人生的な課題を洗い出して世界観をシンプルにしてあげてからは無茶苦茶売るようになって、「倉本さん、もう今月の会社のノルマ達成したんで、これから自分のための仕事をします」ってメール来たりとかしてたな。

「え?まだ今月一週目も終わってないんだけど?」

みたいな感じだった。

リクルート系の会社に最初勤めてた頃に会員さんになってくれて、その後無茶苦茶売りまくるようになってから、ベンチャーに転職して、その会社でも売りまくるだけじゃなくて人事から何から牛耳りまくって半分自分の会社みたいにしてた。

まあ、僕のところの会員さんというのは、そういう「現世的成功」に直結しないところで遠回りしながらいろいろ積んでいる人が多いんで、彼女ほど「アッパーな成果」に突き進んだ例っていうのは珍しいんですけどね。

「その人の根幹的な部分」をちゃんと解きほぐして暴発させるように持っていったら、その人はそうなった・・・・という「結果」的なことではあるんで、誰しもにそういう方向の「圧力」をかけることはよくないと僕は思っているんですが。


ともあれ、その人は「あまりにアッパーに成果を出す方向」に行き過ぎて、でその人が生きている世界観から見てあまりに「マイペースすぎる」ように見える人たちとの関係をずっと続けている僕の会員組織との距離は離れていったんですけど。

というか、僕の会員さんには院卒の技術者で新規技術事業を立ち上げたおじさんやこういう営業ウーマンさんがいるかと思えば、プロボクサーとか病気で全然働けなくて完全ニート状態の人とか父親と喧嘩して実家と縁切って当時はスロプロで生きてた人(今は和解してカタギの仕事してる)とか・・・・とにかくほんとマジでいろんな人がいるんで、全体の雰囲気をうまく合わせるってのは常に悩みなんですよね。

でもまあ、そういう「会員組織」からは離れた人たちも、たまにメールくれたりするんですが、その営業ウーマンさんが一年前ぐらいに、最近さらなるスキルアップを目指して「営業スキル研修」みたいなのを受けた時の話をしてくれたのを、昨日ふと思い出したんですよね。

その研修で、ある参加者の人(再就職のコンサルタントみたいな仕事をしている人だったのかな?)が、

「よっぽど難関資格とかならまだしも、本当はあまり役に立たない資格を取るよりも、面接での印象とか、その人に無理のないキャリアを考えるとか、そういうことが大事だと思っているんですが、そういうことを言っても受け入れられなくて、むしろ資格系の講座ばかりお客さんが付くのが悩みだ」

みたいなことを、質問したら、その営業スキル研修の講師は、

「それはお客さんのニーズに答えてないからですよ。」

って言ったらしい。

で、

「資格を求めているなら、資格を取らせてあげればいい。それが客観的に見たら無駄なことでも、その人がそれで自信をつけられたらそれでいい。そこで接点を持ちながら、あなたが思う、「再就職のために本当に大事なこと」を伝えていくようにしてあげればいい」

みたいなことを言ってたんだと。

で、まあ、この話を僕にわざわざメールしてくれたのは、僕の事業をもっとそういう形でわかりやすくしろよ!っていうゲキだったような気もするんですが、そのメールを読んだ時の僕は、

「いや、言いたいことはスゲーわかるんだけど、今それを自分の仕事にどう活かしたらいいかわからねえ」

って感じだったんですよね。今でもわかってるとは言い難い。


ただね、僕のこの仕事が最初立ち上がった時は、そういう「お客さんのニーズ」のこと

「だけ」

を考えてたなあ・・・って思ったんですよね。そのメール読んだ時も思ったし、昨日思い出した時もそう思った。

ブログを読んだ人が、「その人の切実なニーズ」として、反応してくれる内容だけを書いていた。

その内容に救われた、人生を変えてもらった・・・って言ってくれる人結構いるんですけど、そう言う古い会員さんのうち、かなりの頻度で「今のブログは難しすぎて読めない」って言ってる人いるんだよな。

それ、結構切実な悩みだなあ・・・って思ってたんだけど、かといって今はこれやっちゃわないといけないんだよ!という気持ちもあり、とりあえずはそのままになってたんですが。

ただ、そのままでは進めなかった理由は、やっぱり色んな意味での

「責任」

について考え始めたからなんですよね。

というのは、ある意味クライアントを「成功」させるのは簡単なところもあるんですよ。

ポジティブになればいい。

いや、ほんとそうなんですよ。ポジティブに自分を信じてやるべきことをやってれば「成功」はできる。

だけどね、その「個人」単体で見ればそれで良いとしても、もう少しマクロに見るといろいろ難しい問題があるんですよね。

「成功する」には「100%のポジティブさ」が、少なくとも「態度」においては常に必要とされるので、その人が「100%のポジティブ」になったぶん、不特定多数の他人に対して「悩むべきこと」を「つけかえ」ちゃってる部分があるんですよ。

だから、ある規模まで「個人のポジティブネス」で成功できるからといって、それを「みんなやりゃいいじゃん」というのでは、マクロに見た貧困問題には決して対処できないんですよね。

で、「貧困への対処」っていうのは、とりあえず現状としては「福祉」的なものとか「NPO」的なものとか、あるいはムハマドユヌス氏的な方法論でやっていくしかないというのはわかるんで、そういう活動をされている方を否定するわけでは全然ないんですがね。

ただ、やはり結局「市場原理主義」的なものの上に、「理想的なチームワーク」を再生することによって乗り越えるっていうような方策がビジョンにならない限りは、根源的な解決にはならないと思うんですよね。

とにかく、経済っていうのは、半径五メートル以内の素朴主義で考えたら簡単にできそうに思えることが、100万人単位、1億人単位、50億人単位になると全然できない・・・・っていう問題があらゆるところにあるテーマなんでね。


だから、「目指すべき経済の全体像」をビジョンとして持つことなく、というかそこの部分が曖昧なままで、「個人」を焚きつけてアクション起こさせて、「成功」なり「自己実現」なりをさせていくのは、限界だな・・・・って思ったんですよね。

当時、結構「このまま行ったら自分自身も”成功”してしまいそう」みたいな恐怖心があったりしてね。

「この態度のまま無制限にいろんな人を焚きつけていくことが、どんどん規模が大きくなっていったら、マクロに見るとものすごい無責任なことをやってしまうことになるだろうな」

っていうふうな恐怖心があった。

いろんな人を「焚きつける」時に、無制限になんでもありにとにかく「成功」に持っていくのではなくて、「あるべき全体像」ベースで、「こうだからこうですよ」「こうだからこうですよ」っていうような一貫した視座を持てるようにならないと、ちゃんと責任持っていろんな人と関わることができないな・・・・って思ったんですよ。


まあ、その結果、会員組織の新規募集はやめて、ブログも停止して、既存会員さんたちと「短期的な成功を追わない」形の大量の試行錯誤をしてって、で、とりあえず「この方向なら責任持って向き合えるな」っていうビジョンを示したのが、


なんですよね。

で、その本が出てからも、世の中の色んな「経済についての立場」の人たちとの違いを自分なりに説明するために、ブログとかでもそういう「全体像」の話がメインになってやってきたな・・・っていうところはあるんですよね。

一応、自分のなかでは、インフレやデフレや円高・円安とかについてとか、そもそもどういう分野に政府がどの程度支出するべきかとか、そのほかにも「リフレ」「地域通貨」「消費税」についてどう考えるか・・・みたいな色んなトピックについて、いろいろの経験と実験と考えてきたことベースでの見解はあるんですけど。

ただ、最近は急激に、そんなこと「議論」しても仕方ないな・・・・と思い始めてますね。

むしろ、その「議論」ベースで考え方が180度違う人とだって協業していけるようになっていかないと、自分が目指すべきビジョンは共有できないわけですから。

で、とにかくもっと「個人」の話に戻っていきたい。最初この仕事が立ち上がった時みたいなシンプルさに戻っていきたい。


結局、会員さんたちと話していることは、実際に何か新しい事業をやる時にその「事業の内容」だけを話してるんじゃないんですよね。

そういうのは、だいたい1割ぐらいなんですよ。個人差はあるけど。だいたいそういうのは「寝かし」が大事だしね。

残りの部分は・・・・まあ色んな話してますけど、親の話がやたら多いんだよな。

「薩長同盟本」でも、「親」の話やたらしてる部分あるんですけど、それは別に「家父長的なもの」とか、「イエ」みたいなのを再生したいと思ってるんじゃないんですよね。

むしろ、そういうのは相当右翼風の人だって面倒くさいと心底では思ってる世の中なんで。

ただ、「そこにあった価値」を、ちゃんと「現代風に再生」させたいと思っているというかね。

そういうふうに「イエ」レベルの独立したシステムがあることは、社会全体を一個の方向に無理やり動かしてしまえない形での、「本当の多様性」を保全する機能があったはずなんでね。

今、グローバリズムが世界全体を「均一化」しすぎて、そこに「本当の豊かさ」「本当の付加価値」が乗りづらくなっちゃってるわけですから、それを「補完」するときに、やっぱ「イエ・システム」的なものの「記憶」とか「残滓」みたいなのを利用することはかなり大事なことなんですよ。

それベースで立ち上げていくからこそできる、「システム外の価値」ってのがあるからね。

そういうようなところから時間かけて語り起こすことで、その人にとっての「特有の物語」が成立していって、その「物語の独自性」ゆえに、「システム外の方向への一貫した行動」が可能になるんだよな。

で、それは「イエ」を再生するんじゃなくて、むしろ「父親」と「平等な同志感」を持てるようにする試みなんだよな。

ただ「アンシャンレジーム(古い体制)」を「打破する新しさ」みたいな、欧米的な二項対立にするんじゃなくて、

「親の親になった視点」

でフェアに状況を把握することで、

「イエ」や「国」を本当の意味で「客観化」

できる。

「否定する」のではなくて、自他の両方を否定しない、「包含する物語」を提起していく

みたいなことができれば、それがやっぱり本当の意味での

「客観化」

だと思うんですよね。どっちかの立場だけを主張してないという意味では。

で、その「客観化」した対象との、新しい

「平等な連帯」

を作っていければ、「個人」の中からものすごい可能性が生まれてくるんですよ。

それはもう、ほんと

ものすごい可能性

がね。

「無茶苦茶売れるようになった営業ウーマン」の人も、結局「自分が自分の親の親の視点に立つ」ってことが、あらゆる対象について適切にできるようになってから、なんだってできるようになった・・・・って言ってたし。

でも、その子も、もともとの「無茶売れるタイプ」じゃあないからね。だから、色々と「今売れてるタイプ」じゃない価値を、「売りまくれるようになる」ことによって「新しい経済」に繰り込むことができたと言っていいと思うんですよね。

やっぱり、「活躍できるタイプ」が限定されすぎてる状況をなんとか打破しないと、今の社会の閉塞感は絶対抜け出せないんですよね。

で、「ポジティブに頑張ろうぜ!」的な方向だけで押し出していくと、結局「目先は変えた多様性っぽいもの」はたくさん生み出せるんだけど、根底的なところでのニーズからどんどんかけ離れた経済が実現されてしまうので、「ほんの一部の人のから騒ぎに、大多数の人が無理やりひきずられている」みたいな経済になっちゃうからね。

だからこそ、「一般的に活躍できるタイプ」じゃないところの人に、「埋まっている価値」をどれだけ引き出せるか・・・・っていうのが、日本の今の最大の課題だし、結局グローバリズムの限界を突破する唯一の方法なんですよ。

そういう「今の売れ筋」じゃない、できるだけそこから「遠い」タイプの人が、その「本性」を消さずに成功すると、そこに絶対「芋づる式で把握できる大きな付加価値」が生まれてきますからね。

そこのところを、「奥底からかき回す」ようにしていかないと、水面近くだけでパチャパチャやってるような経済は空騒ぎになっていずれ推進力が枯渇して破綻するんですよ。


またなんか、やたら大きな「全体の話」に戻ってきちゃったな(笑)

でも、こういう

「社会の全体的な構造」があるからこそ、「君は今前に進むべきだし、進んでいいんだよ」って言われないと納得できないタイプ

っていうのは確実にいるんですよね。

「みんなそれぞれ、世界にひとつだけの花だよ」

だけでは・・・・結局、それでは納得できないだけの「思考の深さ」がある存在がいつまでも「引き上げられずに埋もれ続ける」みたいになるんでね。

そういうのに「疑念を持たない単純な人」だけが成功して、で、「そういうのも世界にひとつだけの花だよな」みたいな感じで全てを飲み込もうとしている苦労人は苦労し続ける・・・・みたいなのになりますから。

だから、「全体像ベースで話せる準備をしてきた」ってことは、無駄じゃないはずなんだよ。ですよね?というかそう思わないとほんとやってられないので、そこに価値があると僕は信じさせてもらいますよスイマセンけど・・・・って感じなんですが(笑)


でも、結局その「大きな話」を、もっとシンプルに、単純に、「ちょっとした背景説明」みたいにしていけるようにしたいんだよな。

いくら緻密で膨大な設定資料があるアニメ作品とはいえ、冒頭から登場したメカの細部の説明書きがズラズラ続いてるようなのだったら、ちょっと見る方からすると困っちゃうもんな。

で、一歩ずつ、「世の中のニーズ」ではなくて、「読者個人のニーズ」のために文章を書けるようになっていきたいと思っています。

実家に帰ってきて、色んな本棚とか見てると、「昔の自分」(独立するよりももっと前、学生時代の悩んでた自分とか)がありありと浮かんで、「あの時はこんなことで悩んでたなあ」的なことがわかっていいですね。

そういう「個人の悩み」に、もう一度向き合っていけたらいいなと思います。


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今更ですけど自己紹介を・・・その1.副題『原生林のような豊かでタフな経済を目指して』

このページはよほど倉本圭造に興味がある人のためのありえないほど長い自己紹介エッセイなので、サクッとコイツ誰なんだ?ってことが知りたい場合は、私のホームページの「Who?」欄をお読みください。(向こうにしかないコンテンツもありますし、とりあえずコンパクトに全体像がご理解いただけると思うので、かなりご興味を持ってくださっている方も、先に向こうをお読みいただけるとご理解しやすいように思います。その後以下の”長文”へと戻ってきていただければと)







最近出版の依頼を下さった人がいて、”出版社の女性社長さん兼編集者”としてギョーカイでは結構有名な人らしいんですが、「21世紀の薩長同盟を結べ」本体を読むまで、プロフィール欄を読んでも「???」って感じだったと言われたんですよね。

その「???」になったっていう文章は、本の著者プロフィール欄に記載されているコレなんですが。

1978年神戸市生まれ。兵庫県立神戸高校、京都大学経済学部卒業後、マッキンゼー入社。国内大企業や日本政府、国際的外資企業等のプロジェクトにおいて「グローバリズム的思考法」と「日本社会の現実」との大きな矛盾に直面することで、両者を相乗効果的関係に持ち込む『新しい経済思想』の必要性を痛感、その探求を単身スタートさせる。まずは「今を生きる日本人の全体像」を過不足なく体験として知るため、いわゆる「ブラック企業」や肉体労働現場、時にはカルト宗教団体やホストクラブにまで潜入して働くフィールドワークを実行後、船井総研を経て独立。「個人の人生戦略コンサルティング」の中で、当初は誰もに不可能と言われたエコ系技術新事業創成や、ニートの社会再参加、元会社員の独立自営初年黒字事業化など、幅広い「個人の奥底からの変革」を支援。星海社新書より『21世紀の薩長同盟を結べ』発売中です。
で、「なるほど、意味わからない・・・かもしれないな」と思ったんで、それについて、一度まとめた文章を書いておいたほうがいいのかな・・・と思って、これから書きます。

『逃げ恥』が教える「自分らしく生きる」の本当の意味

あけましておめでとうございます。昨年の私は普段の仕事的にはそれなりに一歩ずつ経験積んで進歩してこれた感あるんですが、いかんせん本出したりネットに上げた文章が広く読まれて・・・という方向での活動としてはなんだか何もやってないも等しいような印象になりそうで、正直ちょっと焦ってもいます。

ただ今は、焦って本やブログを書いても、よくある「右や左の紋切り型」にしかならない難しい状況に世界がどんどんなっていくなあと感じていて、そうじゃなくて「個別の事例」と仕事で向かいあう中から立ち上がってくる何かを信じて積んでいきたい気分だというか・・・ま、もうこの歳になると自分はマイペースにしか生きていけない人間だってところは骨身にしみてわかっているので(笑)、相変わらずそういうペースで今後もやっていきますので見捨てないでたまに気にかけてやって下さい。

ちなみに、ブログ再移転しました。ブックマークされてる方は変更をお願いします。

新ブログトップページ↓
http://keizokuramoto.blogspot.jp



で、久しぶりのブログ更新、しかもブログ移転一回目・・・がテレビドラマの話題ってなんてミーハーなって感じもしますが、2016年最大の(たぶん)ヒット作となった『逃げ恥』が超よかったので、年末だしそれについて書きます。

全体的に言って、「自分らしく生きる」っていう現代的に超超超言い古されたことについて、ちゃんと一歩ずつ考えて一歩ずつ実現していかなくちゃね!っていう気持ちになったところが凄く良いドラマだったと思ってます。夫婦で見てて毎週二回は泣いてました。

このブログはそういう方向で、

・『逃げ恥』のどこにこんな感動するのかって話
と、
・それはある種「運命へのニーチェ的向き合い方」なんじゃないかって話(より正確には”一連の実存主義哲学”)
と、
・「他人の人生を生きないで、自分の個別性(自分らしさ)を生きること」っていう「言い古されたこと」を私達が本当にちゃんとやりきるにはどうしたいいのか?
というような話に広がっていく予定です。

日本から老害を一掃して残業を減らす唯一の方法

なんか挑戦的なタイトルになってしまいましたが、ただ最近「老害」っているんだよなァ〜と物凄く実感することがあって、その詳細をそのままは言えませんがそのやるせない思いをより広くて皆様と共有できるテーマとして昇華して書いてみたいと思っているんですが。

あなたは、「老害」って言葉、キライですか?好きですか?

私は最近まであまり好きではなかったです。老害扱いされてる人にも、うまく使ってあげればそれなりの価値やら色々あるんだぜ・・・と言いたい気持ちが結構あって。

ただ、そんなこと言ってると「老害さん本人」が「自分の老害性」を一切意識せずにノウノウと暮らし続ける反面、困ったことにその「老害さん」は権力持ってたりするのでその集団全体の適切な運営がどんどん滞り、直接的には「ヤル気のある若手」さんが、そして結果的には「その組織の人全員」が非常に困った状況にみんなで追い込まれていくことになってしまう。

物凄く大枠での言い方をすると、過去20年にわたる日本の苦境はこの「老害さんをどう扱うか」について、思い切りの良い諸外国のように何のテライもマヨイもなくボコボコに権力を奪って放逐していくような思い切ったマネジメントができなかったから・・・と言ってしまっても悪くないかもしれません。

ただね。現状の日本は、老害さんたちを腫れ物に触るように扱って捨てずにいたので、社会全体が「トランプvs反トランプ」みたいにどこまで行っても平行線な対立に落ち込んだり、スラム街がどこまでも悲惨なスラムになっていくようなことは避けられたり・・・というプラス面もあったんだろうとは思います。アメリカに比べたらまだ貧富の格差もまあマシなレベルに留まっている。

つまり、なぜ日本が「老害さん」たちを諸外国のようにはボコボコに斬ってしまえないかというと、「その老害さんが代表しているものの中に自分たちの良さの根幹も混ざっている」からだと言えるでしょう。