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書籍中の図を全て公開しておきますので、ご自由にお使いください。

新刊が出て数日経ちましたけど、なんかブログのアクセスもちょくちょく増えてるし、リンク元の表示を見るとフェイスブックとかからの流入もあるみたいなんで、紹介してくれてる人がいるんだろうなあ・・・と感じています。

で、前回の「21世紀の薩長同盟を結べ」の時も、かなり熱い紹介ブログを書いてくれた人とかがいたんですが、内容を毎回ぎっちり詰め込んで書いてるので、熱い紹介ブログ等を書いてくれる人は、凄い量の本からの引用文を書いて紹介してくれる人が多かったんですよね。

そういう熱い読者さんが「面白かったよ!」って紹介して下さる時のために、今回の本はかなり図が重要な要素になってるんで、本の中に使われている図のファイルを公開しておくことにします。(前回の本は図を用意したものの入れられなかったんですが、その絵も数枚ついでに公開します)

基本的にいわゆる「コピーレフト」的な感じで、出典を明記(本のタイトルとか僕の名前程度でいいです。このブログへのリンクもあれば最高ですが)してくれる限りにおいて、どのように使ってもらっても構いません。悪意のあるミスリーディングを企図したものでもなければ、コメントを書き込んだり等の改変もOKです。

別に僕の本の紹介ブログでなくても、たとえば「項羽と劉邦作戦」みたいなことについて共有してくれる人がいたりとか、日本と世界を良い方向へ向かわせようと企図することであるならどんどん使ってください。





ではまず、「日本がアメリカに勝つ方法」の図から。その後「21世紀の薩長同盟を結べ」のための用意したんだけど結局収録はされなかった絵を数枚置いておきます。(図はすべてクリックで拡大できます。右クリックして”名前をつけて保存”をするなどしてご使用ください)



図0-1↑ 「空気を読まない」社会の場合



図0-2↑「空気を読む」社会の場合



図0-3↑「空気を読まない社会」の場合と「空気を読む社会」の場合を重ねあわせた図



図1-1↑左上や右下を目指すような、「改革派と抵抗勢力」的な20世紀の価値観では日本は前に進めない




図1-2↑合意形成のM字カーブとデスバレー(死の谷)



図1-3↑ある人間集団のパフォーマンスを最大化する理想状態



図1-4↑荒い網目に収まる人だけが活躍できる社会



図1-5↑日本という「場」だけをまずどこまでも「高精細の網」で覆っていければ、それはグローバル経済を通じて世界中に広がっていく



図1-6↑20世紀のリベラルと21世紀のリベラルに求められるものの違い



図2-1↑ 両側から押し合う二股の注射器



図2-2↑欧米と日本におけるチェックアンドバランスの事情の違い



図3-1↑21世紀日本の希望のスパイラルと、女性の社会進出・出生率との関係



図3-2↑ アメリカという「デジタルすぎる異物」と生身の人間社会をシームレスに(継ぎ目なく)つなぐサスペンションとしての日本




『薩長同盟本』・第1章のあとの扉絵予定だったもの。その1↑



『薩長同盟本』・第1章のあとの扉絵予定だったもの。その2↑



『薩長同盟本』・第2章のあとの扉絵予定だったもの。その1↑



『薩長同盟本』・第2章のあとの扉絵予定だったもの。その2↑



『薩長同盟本』・第3章のあとの扉絵予定だったもの。その1↑



『薩長同盟本』・第3章のあとの扉絵予定だったもの。その2↑



このブログの人気の投稿

今更ですけど自己紹介を・・・その1.副題『原生林のような豊かでタフな経済を目指して』

このページはよほど倉本圭造に興味がある人のためのありえないほど長い自己紹介エッセイなので、サクッとコイツ誰なんだ?ってことが知りたい場合は、私のホームページの「Who?」欄をお読みください。(向こうにしかないコンテンツもありますし、とりあえずコンパクトに全体像がご理解いただけると思うので、かなりご興味を持ってくださっている方も、先に向こうをお読みいただけるとご理解しやすいように思います。その後以下の”長文”へと戻ってきていただければと)







最近出版の依頼を下さった人がいて、”出版社の女性社長さん兼編集者”としてギョーカイでは結構有名な人らしいんですが、「21世紀の薩長同盟を結べ」本体を読むまで、プロフィール欄を読んでも「???」って感じだったと言われたんですよね。

その「???」になったっていう文章は、本の著者プロフィール欄に記載されているコレなんですが。

1978年神戸市生まれ。兵庫県立神戸高校、京都大学経済学部卒業後、マッキンゼー入社。国内大企業や日本政府、国際的外資企業等のプロジェクトにおいて「グローバリズム的思考法」と「日本社会の現実」との大きな矛盾に直面することで、両者を相乗効果的関係に持ち込む『新しい経済思想』の必要性を痛感、その探求を単身スタートさせる。まずは「今を生きる日本人の全体像」を過不足なく体験として知るため、いわゆる「ブラック企業」や肉体労働現場、時にはカルト宗教団体やホストクラブにまで潜入して働くフィールドワークを実行後、船井総研を経て独立。「個人の人生戦略コンサルティング」の中で、当初は誰もに不可能と言われたエコ系技術新事業創成や、ニートの社会再参加、元会社員の独立自営初年黒字事業化など、幅広い「個人の奥底からの変革」を支援。星海社新書より『21世紀の薩長同盟を結べ』発売中です。
で、「なるほど、意味わからない・・・かもしれないな」と思ったんで、それについて、一度まとめた文章を書いておいたほうがいいのかな・・・と思って、これから書きます。

『逃げ恥』が教える「自分らしく生きる」の本当の意味

あけましておめでとうございます。昨年の私は普段の仕事的にはそれなりに一歩ずつ経験積んで進歩してこれた感あるんですが、いかんせん本出したりネットに上げた文章が広く読まれて・・・という方向での活動としてはなんだか何もやってないも等しいような印象になりそうで、正直ちょっと焦ってもいます。

ただ今は、焦って本やブログを書いても、よくある「右や左の紋切り型」にしかならない難しい状況に世界がどんどんなっていくなあと感じていて、そうじゃなくて「個別の事例」と仕事で向かいあう中から立ち上がってくる何かを信じて積んでいきたい気分だというか・・・ま、もうこの歳になると自分はマイペースにしか生きていけない人間だってところは骨身にしみてわかっているので(笑)、相変わらずそういうペースで今後もやっていきますので見捨てないでたまに気にかけてやって下さい。

ちなみに、ブログ再移転しました。ブックマークされてる方は変更をお願いします。

新ブログトップページ↓
http://keizokuramoto.blogspot.jp



で、久しぶりのブログ更新、しかもブログ移転一回目・・・がテレビドラマの話題ってなんてミーハーなって感じもしますが、2016年最大の(たぶん)ヒット作となった『逃げ恥』が超よかったので、年末だしそれについて書きます。

全体的に言って、「自分らしく生きる」っていう現代的に超超超言い古されたことについて、ちゃんと一歩ずつ考えて一歩ずつ実現していかなくちゃね!っていう気持ちになったところが凄く良いドラマだったと思ってます。夫婦で見てて毎週二回は泣いてました。

このブログはそういう方向で、

・『逃げ恥』のどこにこんな感動するのかって話
と、
・それはある種「運命へのニーチェ的向き合い方」なんじゃないかって話(より正確には”一連の実存主義哲学”)
と、
・「他人の人生を生きないで、自分の個別性(自分らしさ)を生きること」っていう「言い古されたこと」を私達が本当にちゃんとやりきるにはどうしたいいのか?
というような話に広がっていく予定です。

日本から老害を一掃して残業を減らす唯一の方法

なんか挑戦的なタイトルになってしまいましたが、ただ最近「老害」っているんだよなァ〜と物凄く実感することがあって、その詳細をそのままは言えませんがそのやるせない思いをより広くて皆様と共有できるテーマとして昇華して書いてみたいと思っているんですが。

あなたは、「老害」って言葉、キライですか?好きですか?

私は最近まであまり好きではなかったです。老害扱いされてる人にも、うまく使ってあげればそれなりの価値やら色々あるんだぜ・・・と言いたい気持ちが結構あって。

ただ、そんなこと言ってると「老害さん本人」が「自分の老害性」を一切意識せずにノウノウと暮らし続ける反面、困ったことにその「老害さん」は権力持ってたりするのでその集団全体の適切な運営がどんどん滞り、直接的には「ヤル気のある若手」さんが、そして結果的には「その組織の人全員」が非常に困った状況にみんなで追い込まれていくことになってしまう。

物凄く大枠での言い方をすると、過去20年にわたる日本の苦境はこの「老害さんをどう扱うか」について、思い切りの良い諸外国のように何のテライもマヨイもなくボコボコに権力を奪って放逐していくような思い切ったマネジメントができなかったから・・・と言ってしまっても悪くないかもしれません。

ただね。現状の日本は、老害さんたちを腫れ物に触るように扱って捨てずにいたので、社会全体が「トランプvs反トランプ」みたいにどこまで行っても平行線な対立に落ち込んだり、スラム街がどこまでも悲惨なスラムになっていくようなことは避けられたり・・・というプラス面もあったんだろうとは思います。アメリカに比べたらまだ貧富の格差もまあマシなレベルに留まっている。

つまり、なぜ日本が「老害さん」たちを諸外国のようにはボコボコに斬ってしまえないかというと、「その老害さんが代表しているものの中に自分たちの良さの根幹も混ざっている」からだと言えるでしょう。