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アメリカ人 『日本の女性は絶対権力を持っている』?

前回、ゴールデンウィーク中に半日話し込んだ「非常に政治的なアメリカ人青年との対話」についての記事を書きました。↓
http://keizokuramoto.blogspot.jp/2014/05/blog-post.html

そういう「政治的」な話以外で彼との対話で一番面白かったのは、

「日本の女性は(意外にも?)凄い権力を持っている」

という話でした。

その話は、彼ら夫婦(と私の妻)の若いころが写っている大学時代の写真のアルバムをみんなで見ている時に出たんですけど。

私: 君も随分印象変わったね。顔つきに深みが出てきたっていうかさ。
彼: そりゃあ日本人のオクサンと4年も暮らしていれば苦労もするさ。
私: そうなの?彼女優しそうじゃない?
彼: “あえてノーコメントですという表情”
(その態度に二人の妻が大爆笑↑)
私: よくアメリカ人女性の方が一緒にいるのは大変で、日本人女性は色々と受け入れてくれるから楽だみたいな話聞くけど・・・
彼: 最近覚えた漢字なんだが、日本語のオクサンという言葉の“奥”っていう字は本当に真実を突いている。
(おそらく“Sanctuary=聖域”的な意味だと思われる)
私: なんじゃそりゃ(笑)
彼: ジャパニーズ・オクサンたちは私は何もコントロールしていないですというフリをしながら実は全てをコントロールしている。巧妙な絶対権力的なものがそこにはある。

前回の記事で書いたように、彼は化学の博士号を取った年に金融危機があって就職が全然なかったため、当時遠距離恋愛をしていた日本人女性(この人が私の妻の長年の親友だったんですよね)と結婚することにして日本に来たアメリカ人青年(30代前半)なんですね。

だから「もともと日本が大好きだったガイジン」ではないし、言葉の問題があって彼らが住んでいる地方都市には奥さん以外に真面目な話相手が全然いないし・・・で、寂しい思いをしているので、話し相手に来てくれ・・・と言われて訪ねて行ったんですが。

でも行ってみれば、山奥にログハウスを建てて庭全体で何十種類もの作物を(作物ごとに最適なpHと湿度の管理をしているところがさすが化学者 笑)育てたり、自作のピザ窯を作ったり石炭を燃やして鉄を曲げてオブジェを作ってみたり・・・と、「こんなに楽しんで生きてる人なかなかいないぜ」ってぐらいだったんですがね。

で、彼との話の「真面目な話」の部分については前回の記事を読んでいただくとして、その余談的な話としての、彼が「日本の女性は凄い権力を持っている」っていう話をしてたのが凄い面白かったんですよね。

なんか、すぐに次の話題次の話題と移り変わっていく他愛もない半分冗談の話だし、近所の地方都市に通勤しながら企業に英語を教えている以外は、ログハウスの庭で好き放題DIY人生を送ってる彼も相当好きに生きている感じではある(むしろオクサンの方がわざわざ彼が日本に来てくれたっていう引け目ゆえに甘くしてあげてる部分もあるかも?)んですが、でもなんか凄く納得したんですよね。

で、だから日本の男は偉いんだとか日本の女性はズルいとかそういう話じゃなくて、

「こういうこと」も普通に言える環境の中で、「あたらしい時代の男女の役割分担」は考えて行ければいいな

って思ったんですよ。

と、言うのも、一人の女性と長らく一緒に住んでみたりする関係を持ってみると、世に言う「意識高い男女はこうあるべき的公式見解」・・・に従ってクールでも愛に満ちた関係を築きたいよね!と思っても残念ながら「それだけでは済まないな」っていう領域のことにしょっちゅうぶちあたるじゃないですか。

よくわからない理由で突然不機嫌になったり、逆に物凄く落ち込んでみたりして、で、必死に話を聴いたり色々してみるものの全然良くはならず・・・ってな感じだったのに少し時間がたったら何かのキッカケで台風が過ぎた後の晴天のように素晴らしい笑顔を見せてくれたりする。

「それが女性の素晴らしさだ!」

・・・とか言うと、伝統的なフェミニストの方や、「私はそういう非・理性的な女じゃないんだからね!」という挟持を持って生きておられる女性には苦々しく思われるのかもしれませんが、いやいや、そういう部分がない関係が持てるんなら俺だってそうしたいんですけど、でもなんかずっと一緒にいるとそうならないじゃん!という気持ちは、多くの男性の中にあるように思います。(もちろん、ヒドい気分屋の男だって世の中には一杯いるのはわかっていますよ!)

昔のような男女関係に戻るべきだ、って言ってるわけじゃないし、そんなことを望んでいる人は、「そういうことを言う人」の中でも実は多くないというか、実際にそうなっちゃうと結構お互い無理をしてしまうのでシンドかったりするんですよね。

だから、あたらしい時代のあたらしい男女関係のあり方、っていうのは一歩ずつ作っていかなくちゃいけないんですよね。女性の働き方とか、出産のサポートとか、そういうのも含めてね。

最近、「ハウスワイフ2.0」という本がアメリカで話題らしくて、アメリカの超高学歴女性がむしろ主婦としての生き方に新しい価値を見出している・・・みたいなムーブメントが一部にはあるらしく。

だから女性は家にいろ、っていう話では全然無いんですが、「あたらしい啓蒙的な意識が高い理想」を持ち出す時にご本尊サマ扱いされる国々でも、色々と難しい問題は抱えているんだ、っていう「事実」からスタートしないといけないんじゃないか、ってことです。

そうでないと、「遠くの国のほんの一部の恵まれた世界の人だけが物凄く無理をして実現している理想」を、日本人的な生真面目さで「みんなでマネ」しようとして自分たちがそうなれないことに「できないのは我々が欠陥品だからじゃないのか」的に絶望してしまったり、その絶望ゆえに逆に「だからやっぱり女をつけあがらせるとダメなんだ!」的な前時代的偏見に舞い戻ってしまう人が増えたり・・・という誰のためにもなっていない一人相撲を演じることになってしまいますからね。

例えば、(これはネットのどこかで昔読んだ話で、出典がわからなくなってしまっていて申し訳ないのですが、一方的に男社会を断罪する形でない取り組みでいいなあ・・・と思った話なんですよね)

ある会社が女性の登用をするとなった時に、今まで男ばっかりがやっていた職場に女性を一人だけ放り込んでしまうと、何かあったらすぐ「これだから女性は」って感じになる全ての責任をその女性に押し付けてしまうことになるから本人も回りも大変だよね。だから、転換するなら一気にある程度の数の女性をそこの職場に入れて、「女性ならではのその職場の回し方」っていうのをみんなでサポートしながら作っていくように、ちゃんとトップがリードしてあげなくちゃいけないよね・・・でも一回そうやって「女性ならではのその部署の働き方」をみんなで作っちゃえば、これこそダイバシティ!って感じの価値が生まれますよね

というような「正直ベースの話」を、みんなでやらなくちゃいけない時代なんですよね。

これ、最初に「だから女は!」っていう反応が「男社会」から出た時に、それが「彼らなりの責任感の現れ」であると言う風な理解をせずに、ただ「なんて無理解でゲスで内輪だけを守りあっている父権主義的な態度なんだ!ほんと日本の男って自己中心的で考えが古いよねえ!」っていう方向で紛糾させてしまうと、本来スムーズにお互いの意見を出しあえたらスルスルと進むようなことも全然進まなくなりますからね。

我々日本の男と女が、あたらしい「あまりに多くの男女の現状を無視したレベルに”意識が高すぎず”、でも我々が両性とも幸せになれる愛し合い方」を見つけ出して行くとき、「あまりに文明化された世界」と「その外側の野蛮人扱いされる世界」とが東欧や中東やアフリカで悲劇的な事件を巻き起こしてしまっている時代の、「あたらしい世界的な希望」を産み出すのです。

今、ナイジェリアでボコ・ハラムというイスラム過激派(というか”アンチ欧米的教育ムーブメント”)の集団によるヒドい拉致事件が起きているじゃないですか。

で、「あんなことするヤツは悪だ」ってのは疑いないことなんですよ。あんなことするヤツはダメです。極悪人ですよ。ほんとに。容赦無い断固たる決意を持って対処しなくちゃいけない。

でもそれとは別に、

「ああいうムーブメントが逆側に盛り上がってしまうような、地域の伝統的実情を無視した無理やりな欧米化」ってのが先にあったんじゃないか?ということは、考えてみる価値のある問い

ですよね?

もっと漸進的に、「日本のオクサンってああ見えて結構凄い権力持ってるよね(笑)」とかいう「正直ベースの話」もできるムードの中で一歩ずつ転換していけたなら、彼らの価値観もだんだん変わっていったはずです。

そういうプロセスが丁寧に行われれば、父親が自分の娘に対して

「まあ今はもう女に教育がいらないとか言ってた時代じゃないからな。(上の世代の他の物分かりの悪い男どもとは違って)お前の父さんはお前には自分の可能性を思いっきり試して欲しいと思ってる」



「言える自分であることを納得できる」流れを完全に平和的に導くことだってできたはず

です。

そしてそういう流れに反発するような男を、「男社会の空気」によって排除するところまで行ける。社会の安定性を崩壊させることなく、一歩ずつ「やっぱ今の時代こうだよね?」というコンセンサスを作っていくことが可能になる。

もちろん、そこには難しい問題をはらんでいます。

というのは、古い男社会の抑圧力というのは物凄く強固なので、やっぱり一度は「過激で一方的であろうとも欧米風の”意識の高い”啓蒙主義ムーブメント」で動かしていくことも必要だよね・・・という事情もあるからです。(今の日本だってまだ少しはそういう問答無用なメッセージが必要とされる領域も残っているかもしれないので、そう考える伝統的なフェミニストのあなたは、”こういうゴール”を横目に睨みつつ、適切なバランスを維持しながら動かしていっていただければと思います)

だから、アメリカはアメリカとしてのスジを通さなくちゃいけない。彼らはスキを見せるわけにはいかない。

彼らが彼ら流にアメリカンな、ある種一方的な押し付けを辞めてしまったら、今度は逆に「現地の普通の人にとってもあまりにも息苦しいぐらいに復古主義的な締め付け」が暴走してしまったりするからです。

その「アメリカ文明vsアンチアメリカ文明」がお互いに全力で押し合ってしまって解決の糸口が見つからない時代・・・・それが「今」なんですよ。

しかしそこにこそ、21世紀の日本が世界に提示できる希望の領域があるのです。

とりあえずの「共通了解」を作るために、グローバリズムと欧米的な啓蒙思想が世界中を制覇し、引き返せないレベルにまでなるまでは、人類はそういう「無理矢理な人工性によって生身の多くの人間を断罪するムーブメント」に、大きな力を「一時的に信託」していたんですよ。

でも、今まさにグローバリズムと“意識が高過ぎる啓蒙主義”が世界中を覆い尽くした時に、今度はそれをバージョンアップして本当に「我々の本当の気持ち」にピッタリフィットするような、愛には愛で感じあえるような世界に変えていく段階に来ているのです。

私の著書「日本がアメリカに勝つ方法」の図を引用すると、


20世紀と21世紀の最初の10年において、人類は「大阪から東京の新宿に行くには、まず新幹線に乗らなくちゃ」っていう段階だったんですよね。

でも今や人類は(国によって発展度合いに時間差がありますが少なくとも日本では)品川に着いてしまってるんですから、「東に行けば行くほどいいぞ!」的なことを叫んでいるだけでは紛糾して余計に前に進めなくなるんですよね。

女性の皆さんにわかって欲しいのは、特に日本の「男社会」の、「啓蒙的な意識の高い女性に対して抑圧的な部分」には、「一周回って来て社会の安定を保ったりハジキ出されてヒドい目に合う人がいないようにしようとする」メカニズムがあって、日本人の男は「それ」に縛られて生きているんだってことです。

で、それはただ前時代的で抑圧的で男のメンツしか考えていないエゴのようでいて、一方であなたが夜道を歩いている時に変なヤツに襲われたりしないような「空気」を維持しようとするための、

あなたに対する決死のI LOVE YOU

でもあるんですよ!

あなたに『ベルサイユのばら』のオスカルのセリフを2つ贈ります。

あまりにも静かに、あまりにも優しく、あなたが私のそばにいたものだから・・・。私は、その愛に気付かなかったのです・・・。

心優しく温かい男性こそが、真に男らしい頼るに足る男性なのだということに気付く時、大抵の女はもう既に年老いてしまっていると…

アメリカ人ほど堂々としてないしフランス人ほどロマンチックなことは言えないし、韓国人ほど熱情を持って強引に迫ってはこれない彼らの静かに見守るような確固とした愛情について気づいてやっていただきたい。

あなたがたが本心から「嫌だ」と思うようなことは、日本の「男社会」の大勢としてもどんどん辞めていきたいと思ってるわけなんですよね。

でも「彼らが彼らの本分として守りきらねばならないもの」を理解してあげながら改革を進めていかないと、「ほんの一部の恵まれたインテリさんのカップル」で可能なことも、「多くの人間」が巻き込まれていった先で非常な不幸をまき散らしてしまいますからね。

あまりに理想化された外国の事例を振り回して身の回りの人を断罪するのではなくて、「正直ベース」で、自分たちにとって一番良い愛し合い方を創りだしていきましょう。

そうすることで、再度「日本がアメリカに勝つ方法」からの図の引用をすると、


あまりにデジタルすぎ、啓蒙的に意識が高すぎて世界中の生身の多くの人間に息苦しい思いをさせているアメリカ文明とグローバリズムを、日本人の男と女の毎日のいっぱい泣いていっぱい笑っていっぱい話して・・・積み重ねていく毎日の集合体が柔らかく受け止めることで、どちらも一方向的に押し合っているだけで解決の糸口さえ見えない東欧や中東やアフリカの血なまぐさい悲劇を根底的に解決する道が開かれるのです。

私は大学卒業後アメリカのコンサルティング会社に入ったのですが、その「グローバリズム風に啓蒙的過ぎる仕切り方」と「東アジア人の美点を支える集団的本能」との間のギャップをなんとかしないといけないという思いから、「その両者をシナジーする一貫した戦略」について一貫して模索を続けてきました。

そのプロセスの中では、その「野蛮さ」の中にも実際に入って行かねばならないという思いから、物凄くブラックかつ、詐欺一歩手前の浄水器の訪問販売会社に潜入していたこともありますし、物流倉庫の肉体労働をしていたこともありますし、ホストクラブや、時には新興宗教団体に潜入してフィールドワークをしていたこともあります。(なんでそんなアホなことをしようとしたのかは話すと長くなるので詳細はコチラ↓をどうぞ。)
http://keizokuramoto.blogspot.jp/2012/07/blog-post_18.html

そういう「文明社会の外側の野蛮性」と「文明社会の窮屈さ」との間をあたらしい信頼関係で繋ぎ直すことが、「アメリカ的秩序が踏みにじってきたもの」が、東欧や中東やアフリカで紛糾している現在の喫緊の課題なのです。

前回の記事で書いたように、そのアメリカ人の彼も、「昔は全然疑念を持たなかったアメリカ的な理想主義の一面的過ぎる部分に最近は疑念を持っているが、かといってどうしたらいいかはわからない」って正直に言ってましたからね。

「彼らだって困っているが、彼らは困っているとは口に出せない立場」なんですよ。

でも、日本はバランスが取ることが凄い上手い国だから、「アメリカvsアンチアメリカ」の時代の「あたらしい中道」を具現化する特等席にいるはずだ・・・っていうことについては強くお互いに「だよねー」って言いあえたんですよね。

「日本には今のアメリカみたいには絶対になって欲しくない」という彼の言葉を、重く受け止めたいじゃないですか。

つまりこれは、日本の男と女の愛のかたちの問題であり、分断された世界にあたらしい諸国民の公正と信義に信頼する世界平和のコンセンサスを作り出す道であり、そして「日本社会がその本当の長所」を活かしながら経済発展をしていくためにどうしても超えなくてはいけない試練なのです。

私はこの「外交・政治・経済・経営」のあらゆる側面に関わりつつ、根底的には「男女の愛のかたち」のあたらしい展開によって前進する日本の今後の戦略のことを、「項羽と劉邦作戦」と呼んでいます。

その「転換の戦略」についてご興味があれば、以下の記事もお読みいただければと思います↓。
http://keizokuramoto.blogspot.jp/2014/02/blog-post_2905.html


倉本圭造
経営コンサルタント・経済思想家
公式ウェブサイト→http://www.how-to-beat-the-usa.com/
ツイッター→@keizokuramoto

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ちなみに、ブログ再移転しました。ブックマークされてる方は変更をお願いします。

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で、久しぶりのブログ更新、しかもブログ移転一回目・・・がテレビドラマの話題ってなんてミーハーなって感じもしますが、2016年最大の(たぶん)ヒット作となった『逃げ恥』が超よかったので、年末だしそれについて書きます。

全体的に言って、「自分らしく生きる」っていう現代的に超超超言い古されたことについて、ちゃんと一歩ずつ考えて一歩ずつ実現していかなくちゃね!っていう気持ちになったところが凄く良いドラマだったと思ってます。夫婦で見てて毎週二回は泣いてました。

このブログはそういう方向で、

・『逃げ恥』のどこにこんな感動するのかって話
と、
・それはある種「運命へのニーチェ的向き合い方」なんじゃないかって話(より正確には”一連の実存主義哲学”)
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・「他人の人生を生きないで、自分の個別性(自分らしさ)を生きること」っていう「言い古されたこと」を私達が本当にちゃんとやりきるにはどうしたいいのか?
というような話に広がっていく予定です。

日本から老害を一掃して残業を減らす唯一の方法

なんか挑戦的なタイトルになってしまいましたが、ただ最近「老害」っているんだよなァ〜と物凄く実感することがあって、その詳細をそのままは言えませんがそのやるせない思いをより広くて皆様と共有できるテーマとして昇華して書いてみたいと思っているんですが。

あなたは、「老害」って言葉、キライですか?好きですか?

私は最近まであまり好きではなかったです。老害扱いされてる人にも、うまく使ってあげればそれなりの価値やら色々あるんだぜ・・・と言いたい気持ちが結構あって。

ただ、そんなこと言ってると「老害さん本人」が「自分の老害性」を一切意識せずにノウノウと暮らし続ける反面、困ったことにその「老害さん」は権力持ってたりするのでその集団全体の適切な運営がどんどん滞り、直接的には「ヤル気のある若手」さんが、そして結果的には「その組織の人全員」が非常に困った状況にみんなで追い込まれていくことになってしまう。

物凄く大枠での言い方をすると、過去20年にわたる日本の苦境はこの「老害さんをどう扱うか」について、思い切りの良い諸外国のように何のテライもマヨイもなくボコボコに権力を奪って放逐していくような思い切ったマネジメントができなかったから・・・と言ってしまっても悪くないかもしれません。

ただね。現状の日本は、老害さんたちを腫れ物に触るように扱って捨てずにいたので、社会全体が「トランプvs反トランプ」みたいにどこまで行っても平行線な対立に落ち込んだり、スラム街がどこまでも悲惨なスラムになっていくようなことは避けられたり・・・というプラス面もあったんだろうとは思います。アメリカに比べたらまだ貧富の格差もまあマシなレベルに留まっている。

つまり、なぜ日本が「老害さん」たちを諸外国のようにはボコボコに斬ってしまえないかというと、「その老害さんが代表しているものの中に自分たちの良さの根幹も混ざっている」からだと言えるでしょう。