燃料電池車による水素社会実現と格差問題の意外な因果関係

昨年末に発売されたトヨタの燃料電池車(FCV)MIRAIは、官公庁を中心に受注が好調で、発売後一ヶ月で1500台(既に当初の年間目標の約4倍)に達したそうです。その他にも、関連特許を無償公開して参加者を募る戦略や、2020年東京オリンピックに向けて「水素社会実現」を官民挙げて目指す機運も高まっています。

しかし一方で、燃料電池車は本当は全然エコじゃないし、インフラを整えるのが大変だから世界では普及しないだろうというシニカルな意見もある。

特に批判の急先鋒なのは、電気自動車ベンチャー・テスラのCEO、イーロン・マスク氏で、「フューエル・セル(燃料電池)はフール(愚かな)・セルだ」などと上手いこと言いながら批判、トヨタの上級副社長と舌戦になったというニュースも見ました。

まあ、電気自動車ベンチャーのCEOは当然そういう話をするよな・・・という問題もあるので、実際にはどうなんだろう?ということを少し調べてみると、

「めっちゃウマく行けば凄い可能性があるが、中途半端にやると最低の技術になる」

というような状況のようです。この記事は、そのあたりの問題と、日本の可能性について考えてみる記事です。

結論的を端的にまとめると、

1)FCVはちゃんと社会が活用できなければエコ的に最悪の技術になる
2)しかし、本当に活用できれば凄いエコになる。
3)かつ、現代社会の核心的課題である”格差問題”などにまでポジティブな影響を与えうる可能性があるし、ここ20年絶不調だった日本の良さを提示していける可能性を秘めている

というような内容になります。特に、この「技術動向」的な話だけじゃない、「3」の話が今回の主題なので、12はもう知ってるよ・・・という方も「3」だけ読んでいただければと思います。




1)燃料電池車(FCV)vs電気自動車比較(EV)をするとFCVは全然エコじゃない?・・・かもしれない。

細かい技術的な数字は開示する人の立場によって全然違うし、今後も変わっていくと思われるので、ざっくりした話をすると。

●FCVが有利な点
・ミライは既に一回の水素充填で650キロ走行できるが、現行の電気自動車はせいぜい200キロ程度である。(これを読むと実際にはそれより短いし、次の充電ステーションまでかなりドキドキすることになりそう)
・電気自動車は充電に時間がかかる(通常は8時間程度。急速充電でも30分程度)。これは将来もすぐには解消されないだろう。水素はガソリン車より少し長い程度の短時間(数分間)で満タンにできる。

これは大枠として今後も変わらない構図のようです。

基本的に、夜ゆっくり充電して通勤に使うとか、都市部での短距離移動だけの目的に買うならいいが、たまに長距離移動に使いたい・・・となると結構キビシイ状況は将来も変わらないだろうというのが電気自動車の最大のネックになっている。航続距離自体は無理すれば比較的カンタンに伸ばせる(重くなってエネルギーロスになってエコじゃなくなってもいいのなら超巨大なバッテリーを積めばいいだけとも言えるから)んですが、それより問題なのは急速充電でも30分程度かかる・・・というのが、地味ながら決定的な感じに、実際の「実用性」を考えるとネックになるかもしれない。

さっきもリンクしましたが、ここに日産リーフ(EV)で実際に遠出してみた・・・というルポがあるんですが、常にバッテリー残量を計算しながらドキドキして走っていて、また急速充電機があるところで別の人が先に使っていたりすると、30分×人数分時間がかかるわけで(これは将来的にもかなりツライと思われる)、ガソリンでも走れるプラグインハイブリッドは充電すんじゃねえとか口論になったりすることがあるらしく(笑)、ドキドキ感がゲームとしては面白いかもしれないが、将来に渡っても本格普及するのは結構辛そうだなという感じもしました。

じゃあ、ガソリン車と似たような感じにすぐ充填できて使えて、走行中は水しか出さない、究極のエコカーFCVっていいじゃん!?ってなりそうなんですが、色々と難しい点があるんですよね。

●FCVに不利な点
・インフラ整備にお金がかかる
・水素を作る時点から考えると全然エコじゃない可能性がある

インフラ整備には相当お金がかかりそうです。既にある送配電網とか既にあるガソリンスタンド網とは全然違うものを作るわけですからね。ただ、現状では一箇所数億円・・・という話もありつつ、将来的には10分の1にできる技術が既に見えているとか、色々言われているので、本当に普及するようになればコストも相当下がるでしょう。

実際問題として、現代の経済は「なんかみんな納得できる大きなプロジェクトがある」ってこと自体が実は凄く「みんなが必要としていること」であったりするので、最初期を公費補助で賄いつつもある程度採算が取れるようになってきたら、「インフラ整備が大変」なこと自体が各国経済にとって「福音」になる可能性がある。

でも最後まで残る問題は、「・水素を作る時点から考えると全然エコじゃない可能性がある」の方なんですよね。

一番最悪なのは、現状発電の大半を火力に頼っている日本が、「火力発電で作った電力で水素を作ってそれでFCVを走らせるインフラにする」ことです。こうなったらもう目も当てられない。「トータルなエコ」を考えるとやらないほうがマシな世界になります。

将来に渡って技術進歩もあるし、現時点でも業界団体ごとに自分たちに有利な数字を発表するので、とりあえずウィキペディアのFCVのページ下段、「エネルギー効率」の項を見ておけばだいたいのことはわかります。

物凄く単純にいうと、

水素を作ってそれを圧縮して輸送して充填するプロセスに物凄くエネルギーを使うので、そもそも火力発電で作った電気で直接充電する電気自動車や、火力発電に使う化石燃料(ガソリンで発電するわけじゃないから厳密には違うものだけど)の分をそのままガソリン車で燃やして走ったほうが効率的

ということです。

つまりさらに単純に言えば、

・既に発電されている電気がある時に、それを使って水素を作って圧縮して輸送して充填してFCVを走らせるみたいな遠回りをするより、その電気で直接充電して電気自動車走らせた方が効率的
・化石燃料が目の前にある時に、そこから火力発電してその電気で水素作って圧縮して輸送して充填してFCVを走らせるような遠回りをするより、その化石燃料でそのままガソリン車を走らせた方が効率的

ということになる(以下の絵参照)。



ダメじゃん!?

・・・しかし、少し考えてみると、ここに「本当に凄いエコ」になる可能性が隠れているんですよ。それは次項。



2)しかし、物凄くうまくいけば、FCVが凄いエコになる可能性もある

FCVが凄いエコになる可能性というのは、要するに今のエネルギー消費システムにはあっちこっちに無駄があるってことなんですよね。

特に電力網は「その瞬間のトータル」でちゃんと需給が完全に合ってないといけないので、せっかく再生可能エネルギーを入れ込んでいこうとしても、天候に左右される再生可能エネルギーをちゃんと需要側に合わせることが難しくて、結局かなりの部分を無駄に捨ててしまっている状況もある。

もちろん、その問題を解決しようと電力会社や色んなベンチャーがそれぞれ頑張っているのですが、やはり安定供給を担う側の「伝統的電力会社」の人間は最大限保守的な対応にならざるを得ず、そのあたりが、「再生可能エネルギーをもっと導入したい」という人たちの気持ちとうまく噛み合わない結果になる。

結果として陰謀論的なものまで含めて、「伝統的電力会社」への憎悪が募ったりもするし、そういう憎悪が募るほど、さらに「伝統的電力会社(や彼らと連動した官僚システム)」の参加者は保守的な対応にならざるを得なくなる・・・という問題がある。

こういう「言論の二極化」こそが現代日本の最大の問題で、それを乗り越える風潮づくりこそが本当に日本が自分たちの強みをスルスルと自然に発揮して活躍していくために大事なことだという話を広い範囲にわかってもらうことが私のライフワークでもあって、興味のある方は、例えばこの記事→安倍批判をすればするほど安倍政権は過激化する矛盾を超えてなんかから入って色々な関連文章を読んでいただきたいと思っているのですが。

ともあれ、そこで水素インフラが整備されるとどうなるか?

水素インフラが整備されると、これが「バッファー」になることで、あっちこっちでやりたいだけエコなことができるようになる。

これは例えると、

今まで物々交換しかできなかったから自分たちや近所の人が食べられる分以外の食料を生産してもうまく消費しきれなかったが、”お金”という仕組みができたら広域でスムーズにやりとりができるようになったので、沢山生産できる土地があるなら生産できるだけやればいい・・・という風になれた

というような状況です。以下の絵のようになるわけですね。



この絵、私はかなり気に入ってます。今の世の中の不愉快な陰謀論とか幸薄い罵り合いの大部分が解決する可能性を感じる。下側の絵みたいに生きていきたいですもんね。

あっちこっちで、あんまり安定はしないけど調子が良い時の最大発電量では結構イケル時もある・・・というような発電システムをバンバン作れるようになる。余ったら全部水素に変えておけばいいわけだから。そうすると「送配電網の安定性」を必死に気にしてるような人と、できるだけエコな発電システムをどんどん作りたい・・という人の利害がぶつからなくなる。

このことのメリットは実は物凄く大きいので、その電力を実際に使う時の効率性といった数字で多少の差があっても吹き飛ばせる可能性があるわけですね。保存食にしたら多少栄養は減るかもしれないが、だって今日食べきれなかったらどっちにしろ腐っちゃうんだからこっちの方がいいじゃん・・・というようなメカニズムがあるということです。

国内における話だけではなくて、「広大な砂漠にメガソーラー」とか「洋上に沢山浮かべる風力発電」といった、可能性あるかもしれんけどどうやって消費地まで運ぶのさ?という数々のアイデアのボトルネックを解消する方法になる可能性がある。

もちろん、あなたがあくまで再生可能エネルギーに批判的で、男は黙って原子力!という人であっても、その結果どうしても出てしまう「需要側の谷」において余った電力を水素という「通貨」に変えて保持しておくことができるようになります。(個人的には”核融合”に物凄く期待してるんですが、それでも同じことです)

また、水素というのは非常に単純な化合物なので、色んなものの副産物として生成したり、あるいは最近話題の「人工光合成」など、それを作り出すプロセスにも多種多様なチャレンジが可能になる。それらが全部「水素」という通貨に転換されることで、それぞれのチャレンジ同士を無理に同期させなくても良くなるんですね。

こういう「本当にうまく行く」流れができれば、水素社会というのは「考えられる限り物凄いエコ」な社会になる可能性があるってことなんですね。(最大限良いシナリオでも社会全体でみて環境的に負荷がかなり残り続ける電気自動車だけの未来よりも、もっと根本的なエコに進める可能性がある)

だから、もし人類が(とりあえず日本が)「水素社会」を実現しようと動き出すのなら、中途半端にやって火力発電で作った水素でFCVを走らせるみたいな壮大な無駄をやるのではなくて(過渡期的にはそうなることも必要な可能性はありますが)、「水素というエネルギー通貨」を作ることでその先の「物凄くエコな社会」実現を目指すんだ・・・という気合いが必要なんだということです。

そして、日本という社会が必死にこの「水素社会実現」に向かうことによって、世界人類の共通課題である「格差問題」にまで、影響を与える可能性があるんですよ。

それについて次項でお話します。


3)FCVと格差問題の意外な関連性

日本がFCVを普及させたい気持ちの裏には、FCVはEVに比べて「すり合わせ技術」が大きく必要になってくるからだ・・・という事情があります。

つまり、EVは単純な構造で部品点数が少ないので、深い技術蓄積がなくても汎用品をポンポンと「組み合わせ」れば作れてしまう。そうすると、今をときめく日本の自動車メーカーが持っている競争優位がなくなってしまって、新興国やベンチャー企業の追い上げに負けてしまう可能性がある。

だから是が非でも、わざわざフクザツな構造のFCVを普及させたいのだという話になる。・・・などと書くとメチャクチャ腹黒いことを言ってるように聞こえますね(笑)

自分たちの優位性が崩れないように、もっと簡単に作れて比較的エコな電気自動車を排除しようとしている悪どい既得権益の塊がFCVのように見えてきます。もちろん、イーロン・マスク氏を含めて電気自動車ベンチャーの人は是が非でもそういうストーリーを普及させたいと思っている。

しかし、ここで考えてみて欲しいのは、「すり合わせ」的であるということは、「そこに関われる人間の数が増える」ということでもあるのです。

複雑な部品が増えるということは、そこに「イノベーションのタネ」が沢山含まれるということです。

単純な構造を無理やり全体に普及させると、それは凄く「今の社会的に良いこと」のように見えますが、そこに「関われる人間」が物凄く一部の人間に限られてしまうということでもあるわけですね。

一方で、複雑な製品を一歩ずつ普及させると、そのシステムの中で吸い上げられる「人間の工夫の余地」が圧倒的に大きくなることになります。そして「物凄く勉強ができる人」の力だけでなく、「ものづくり」に近いレベルの裾野の広い多くの人間が関われる余地がある。また、アメリカンになぎ倒すようなビジネス力だけじゃなくて、ある意味で「政治的な調整力」を発揮していくことが得意な人間の活躍する余地も大きく生まれてくる。

つまり、「物凄く頭の良い超絶理論家」と「物凄い行動力のあるベンチャー起業家」しか関われないのが電気自動車だとすると、燃料電池車の場合は、もちろん「頭の良い超絶理論家」も参加するし、一方であんまり勉強は得意じゃなかったけどもっと実体のある部品レベルに深い見識と経験がある多くの人間が関わって主体的な工夫を載せていける可能性が生まれる。

子供の頃から神童と呼ばれて東大の理系研究室で最先端の研究をしている人の力も当然取り入れられるし、トヨタの下受け中小工場で働く元ヤンキーの工業高校卒社員の工夫も取り入れられる余地が生まれるのが燃料電池車の世界なんですよ。

こういう構造の違いは、「格差問題」に決定的に関わってくるんですよ。

世界的に、グローバリズムの進展とともに経済格差の広がりが問題になっていますが、これはとりあえず「世界に共通ルールをゴリゴリ押し通していく」時代には、「具象的なレベルに深い体感のある性質」よりも、「勉強が出来て記号的なルールをバンバン回していける才能」が活躍できる余地が圧倒的にあったからなんですよね。

むしろ、後者が前者をいかになぎ倒していけるか、そこで余計なことを考えない単純な人間かどうか・・・が、過去20年間の経済的勝利のポイントだったと言ってもいい。

こういう構造をそのままにしたまま貧困層の教育格差を問題にして、「貧困層も勉強ができるようになれば格差問題が解決する」という方向に向かう議論には、その価値を否定するわけではないものの私は懐疑的です。(結局順位付けをすれば偏差値的に誰かは落ちこぼれることになるし、勉強が得意な人に向いている仕事の量は常に限られているからです)

そうではなくて、実現している経済全体において、「抽象度の高いレベルの思考をクルクル回せる才能」も、「具象レベルでシッカリとした体感と責任感を持てる才能」も、両方バランス良く含まれるような経済を目指すことが、格差問題解消の「根本的問題」だろうと私は考えています。

結果として、今後世界中に「水素社会」が普及するのか、それとも「電気自動車」が普及していくのか・・・(もちろんこれは二分法ではなくてそれぞれが選択肢として普及していくのでしょうが)、単純化していうと、

・水素社会になる
抽象度の高い話が得意な人間と、具象度の高い問題が得意な人間も含めた、多様なタイプの人間が関われる余地が生まれて、それぞれの経済価値を導入できるので格差がなだらかな経済が実現する

・電気自動車中心の社会となる
ごく一部の”システムに乗りやすい”タイプの性質を持った人間だけが巨大な経済価値を発揮できるような、格差がより深刻になる経済が実現する

という、人類にとって大きな分水嶺になっているんですよね。それをまとめたのが以下の絵です。



こりゃあ、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、ぜひとも争いに勝たねばなりませんな!



最後に・・グローバリズム2.0と日本の可能性

この問題を、より広く見ると、「グローバリズム的に共通したシステム」が世界中に行き渡っていくグローバリズムの第一期が終わった今、その「とりあえず作ったデジタルな共有システムははじき出してしまっている現地現物のリアリティ」を、「システムと無矛盾になるように入れ込んでいく」ことが鍵となる時代が来てるんですよ。

私はそれを「グローバリズム2.0」と呼んでいます。

・グローバリズム1.0の世界のゲームのルール
単純なルールをいかにバンバン現地事情をなぎ倒して押し通していけるか?が勝つ条件
・グローバリズム2.0の世界のゲームのルール
「とりあえず行き渡った単純なルールの中に、それを否定することなく現地の事情をどんどん入れ込んでいくこと」をいかに上手くできるか?が勝つ条件

この違いについては、この記事や、その後半のいくつかのリンクを参考にしていただきたいのですが、日本が本当にこの道に進んでいくためには、なによりも日本国内における「分断」を超えるあたらしい発想が必要になります。

ここまでの話を読んで、あなたはFCVとEVのどちらが「好き」ですか?

ここまでの話を読んでもやっぱりEVの方がシンプルで「好き」だと感じる人も、一定数いらっしゃるように思います。

そもそも、まず水素社会実現に向けて「官民一体となって取り組んでいく」という文章自体に強烈なアレルギーを持っているあなたもいるはず。過去20年の色んなアレコレを思い出すと悪い予感しかしませんね(笑)

そうなんですよ、基本的にある程度の勉強ができる頭の良さと経済的行動力がある人にとってみたら、「わけわからん有象無象」との関わりが生まれるFCVよりも、「話がはやい人」の間だけで仕事が完結するEVが実現する社会の方がシンプルでいいな・・・と思いやすい。イーロン・マスク氏の発言にかなりの説得力が感じられるのもそのためです。

なので、日本国内における「個人主義者」の人は、「官民一体の水素社会実現」とか言われると、天邪鬼的に「FCVなんて全然エコじゃねえ」という方向で論陣を張っていきがちになる。で、この記事で見てきたようにそれは半分ぐらいは正しいわけです。

日本国内における「個人主義者」だけじゃなくて、欧米における技術動向自体も、「FCVなんて全然エコじゃねえ」的な方向で進みやすいです。

トヨタは既にドイツBMWとFCVで提携していますし、ホンダもアメリカGMと提携しています。だから、ある程度国際連携が生まれてきている感じもする。しかしこれは、トヨタがハイブリッドで一人勝ちになってしまった教訓があるので、「将来水素社会になっちゃった時においていかれないために、様子見的に参加」しているという見方があるらしい。

なぜなら、欧米人のインテリも基本的に、

「わけわからん有象無象」との関わりが生まれるFCVよりも、「話がはやい人」の間だけで仕事が完結するEVが実現する社会の方がシンプルでいいな・・・と思いやすい

からです。

この先日本が「水素社会実現」に向けて邁進するのはもう決まったような状況です。もう日本はその「運命」から逃れられない。

これが「孤立無援」状態になって結局「あたらしい壮大なガラパゴス化」になるのか、それとも米欧を巻き込んで人類全体を「より多くのタイプの人間の価値が吸い上げられる社会」に進化させることができるか?・・・という分水嶺がここにはあるわけですね。

で、ここで重要なのは、「EVの方がいいという感性」の人間をいかに巻き込めるかだと私は思っています。彼らにいかに「我慢させない」形で、「トータルな豊かさ」が実現できるように持っていくか・・・が一番重要。

そういう「知性派の個人主義者」の力を日本人の「集団の力」と噛み合わせるスキルを社会全体が磨くことこそが、日本経済再生の鍵だという話をあなたにわかってもらうのが私のライフワークなんですよ。

そこでの最大の問題は、まだ「EV的な世界観」で動いた方が個人レベルで言うと経済的に報われる可能性が高いということなんですよね。それは、個人レベルでの経済パフォーマンスとしては最適解なんですが、社会全体でのパフォーマンスという意味では相当イビツに「可能性を限定しすぎてしまう」部分があるだろうというのが私の長年の問題意識なんですよ。

私は大学卒業後、マッキンゼーというアメリカのコンサルティング会社に入ったのですが、その「グローバリズム風に啓蒙的過ぎる仕切り方」と「”右傾化”といったような単語で一概に否定されてしまうような人々の感情」との間のギャップをなんとかしないといけないという思いから、「その両者をシナジーする一貫した戦略」について一貫して模索を続けてきました。

そのプロセスの中では、その「野蛮さ」の中にも実際に入って行かねばならないという思いから、物凄くブラックかつ、詐欺一歩手前の浄水器の訪問販売会社に潜入していたこともありますし、物流倉庫の肉体労働をしていたこともありますし、ホストクラブや、時には新興宗教団体に潜入してフィールドワークをしていたこともあります。(なんでそんなアホなことをしようとしたのかは話すと長くなるので詳細はコチラ↓をどうぞ。)
http://keizokuramoto.blogspot.jp/2012/07/blog-post_18.html

その結論が、今の時代的に最先端のスタイルで「個人の優秀性」を発揮していくと、「広範囲の人の力を吸い上げた時」よりも「個人レベルでの経済的成功」は得やすいが、全体としての貧困が生まれてくるという問題意識なんですよ。

時代の変化とともに、今まではそれぞれの会社の中にいた「個人主義者の知性派」が、コンサル会社やファンドといった「単体の機能で売れるプレイヤー」になっていくことで、その「集団」と「知性」の組み合わせ方が難しくなってきているんですよね。

つまり、コンサルはプロジェクトを取ったら「さすがコンサル!」と思わせないといけませんから、時間をかけてボトムアップに出てきた流れをなぎ倒してでも「頭良さそうに見える仕事」をちゃんとしなくちゃいけない難しさがあるんですよ。

社内でくすぶりつつも折り合いを付けて現場感も磨いてきた「知性派の個人主義者」が、いざという時に大きな権限を得て10年来の持論をついに実行するぞ!となって大改革をする・・・というパターンにあったような「最適な連携」がなかなか生まれない。

でもその「断絶」に架け橋をかけて、「本当に集団の底力を引き出せる」ような「知性派の働き方」を自前に生み出していくことが、今の時代の日本に一番大事なことで、同時に人類全体の「格差問題」に、「一歩先の解決」を見出していく道になるんですよね。

この記事で書いたように、日本のコンサルの先輩方も、ついつい「やりすぎ」てしまう可能性が高い欧米風のプロジェクト単位のコンサルティングでなく、継続的な経営者との関わりや、あるいは「コンサルというよりファシリテーション」的な関わり方をすることで、「凄い頭の良い人だけの力を取り入れてトップダウンに押し付ける」ものではない形の関わり方を模索している人たちがいます。私もまあその流れの中で仕事をしていると言っていい。

まだまだ現状は、小さい範囲ではともかく、ある程度大きな仕事となると、なかなか「頭の良い個人がそれ以外をなぎ倒すタイプ」の仕事をせざるを得なくなることが多いです。その方が個人レベルの経済的成功を考えると断然有利なので。

そういうのを「彼らのエゴ」として切り捨ててしまうのは良くないです。彼らを「否定」すると、この水素社会的なビジョンは結局ガラパゴスに終わるし、日本人は果てしなく閉塞感を感じながら沈んでいくことになるんですよね。

現代日本では、色々と「右傾化」だったり「全体主義的傾向」と呼べるような風潮も多少出てきていますが、それは「あまりに個々人バラバラにするだけだと、全体としての経済パフォーマンスも落ちるし何よりみんな寂しくなっちゃうし」という、欧米社会の限界を超える可能性の模索でもあるんですよ。

ただ、それを「個人主義者に我慢させる形」で共産主義やファシズム的なものになるのか、「天空の城ラピュタを木の根が覆う」ように、「欧米由来の大雑把すぎるシステムをより高度に有機的なものに転換する」ことができるかが、今問われているんですよね。

以下のシシュポスの苦役の絵・・・のような「山」を、日本人が人類代表として超えられるか?が、今問われているんですね。



過去20年の「オールジャパンで●●」的枕詞が不吉な印象しかないことを考えると、これは非常に難しいチャレンジのように見えます。

しかし、「あまりにもアメリカンな経済」への疑念というのは今世界的なレベルで渦巻いていて、今後は常にテロのような「暴力的な異議申し立て」の脅威にさらされていくことになります。

これからの世界では、「過激派組織自称イスラム国」のような存在が、たとえ”あの”イスラム国を壊滅させたとしても次から次へと現れることによって、「単純すぎるアメリカンな経済」に対する疑念が常につきつけられ続けることになる。

かといってこれだけ緊密に結びついた世界人口70億人の社会を何らかの明確なグローバル・システムなしに成立させるなんて無理だよね(古いタイプの左翼の人は凄い脳天気なことカンタンに言ってくれちゃうけどさぁ)・・・となった袋小路にこそ、「グローバリズム2.0」の時代の日本の可能性が生まれてくるわけです。

つまり、過去20年と今後とでは、そういう意味での「風向き」が全然違うわけですね。

その「グローバリズム2.0の風」をうまく捉えて、その最先端の解決策のスタイルとしての「水素社会」であれば、欧米社会のインテリさんたちの中にも「そっちの方が好きだ」と思ってもらえる可能性が生まれてくるはずです。(そうすることで、対立する極論同士がぶつかりあってどこにも進めない現代世界の問題を本当に解決する道を日本が提示することも可能となります)

その「分水嶺」さえ超えられれば、あまりに物事を単純化しすぎるシリコンバレー流がハジキ出してしまったものへの批判が高まってきているこの20年、「ドイツ人やアメリカ東海岸(デトロイトのエリート)」が、むしろ「日本側へのシンパシー」を感じるように持っていくことは、さほど難しいことではないでしょう。

そして、ある程度「価値を分け合う」形になれば、最近欧州で盛り上がっているシリコンバレー型ベンチャーへの無理やりな規制といった動きも、「まあそこまでせんでも」という形で落ち着くようになるはずです。

そういう意味ではシリコンバレー型ベンチャーにとっても、「自分たちがやるより得意な人がいる分野」を世界の他者が補完してくれる形になっているほうが、彼ら自身の力を他人に邪魔されずに発揮するために有益な道にもなるわけですね。

そしてこれは大きく言えば「アメリカという病を人類が克服」するプロセスなんですよ。

過去20年のようなアメリカ一極支配がだんだんできなくなってくることは、世界のあらゆる不確定要素を全部アメリカのせいにしてりゃよかったような「反米」が通用しなくなるってことなんですよね。

でも、「アメリカの足りない部分を補完して世界に新しい安定の道筋をつける」ことを日本ができたら、沖縄の基地問題で心底腹を立てているようなタイプのあなたの気持ちだって堂々と主張できるようになる。

世界も「ちゃんと責任を果たしてくれている人の話」なら聞いてくれますよ(こういうトータルに見た世界の転換については、最近出した私の著書「『アメリカの時代の終焉』に生まれ変わる日本」をお読みいただければと思います)。

そのためには、まず文系の知識人が「大きなビジョン」としてこういう転換を売り込んでいくことも必要になってくる。

また、先ほどもリンクしたこの記事で書いたように、コンサルやファンドや”プロ経営者”さんや・・・といった「集団から切りだされた知的個人プレイヤー」の力を、「集団側の日本人の底力」と最適連携させて発揮していくための特注品のスタイルを作っていこうとする動きに付随する難しさを、「日本人の集団側」にいる人達がちゃんと理解してうまくサポートしてあげることも大事になってくる。(ある程度の”良心”を持っちゃって、完全にグローバリズムの威を借る狐じゃないポジションになると誰も守ってくれなくなってヒドイ扱いを受けたりするんですよ!彼らの本当の価値をちゃんと引き上げてやってください)

で、一番大事なのは、こういう「グローバリズム的にわかりやすい話」を日常的にシャワーのように日経新聞やビジネス誌やネットから受けて、「そうだ!その通りだ!」と思いつつ、普段の働き方といえば「実に日本的、あまりに日本的」な状況の中でくすぶっているあなたです。そう、これを通勤電車の中でスマホで読んでいるあなたですよ!

私の最初の著書、『21世紀の薩長同盟を結べ』では、「知性派の個人主義者」を幕末の長州藩、「ザ・日本人の集団の強み」を生きている人を幕末の薩摩藩にたとえて、その両者を最適な協力関係に持っていく「薩長同盟」こそが今の時代に一番必要なことなんだ・・・という筋書きで書きました。

それを考えると、コンサルやファンドや・・・といった形でもう完全に分離して動いている人は「長州藩」型だと言えます。同時に、もう古来からのお百姓さんのような姿勢で日々何か技術を蓄積して生きているような日本の「集団の強み」側にどっぷりハマって生きている人が「薩摩藩」型だと言えます。

でもなあ・・・俺いちおう会社に勤めてるけど、あの「集団にどっぷり」って奴ら正直言うと

”生理的に嫌い”

だしな・・・やっぱアメリカで活躍してる起業家の話とか聞いたらスカッとするんだよな・・・というあなた!

そういう、実は凄い大事なんだけど今の時代的に「あんまり評価されてない」どっちつかずのあなたこそが、この現代社会の最大の断絶に橋をかける「坂本龍馬的存在」となって、日本における「徹底した個人主義者」に「無理に我慢をさせる」んじゃない形での「最適連携」を生み出していくことが、今の日本にとっての最重要課題なんですね。

そこで「日本人の集団の価値を発揮するために個人主義者に我慢をさせる」モードでやると、結局日本はどこまでも前に進めず衰退していくし、生きている閉塞感は果てしなく高まっていきます。

でも、その「日本の中の個人主義者が我慢しないで済む」形での「日本人の集団の強み」が発揮できるようになれば、その「日本のあたらしい経済スタイル」を国際的に広めていくことができるようになる。そういう分水嶺に我々はいるんですね。

坂本龍馬的存在のあなたが、「日々ビジネス系コンテンツとして触れるカッコ良すぎる話」と、「あまりにも日常的な普段の同僚や上司」との間を、自分たちならではのやり方でつないでいく試みを毎日ちょっとずつでも積み重ねていくとき。

『知に働けば角が立つ,情に棹させば流される」的な悩みに単純化した答えを出さずにいたあなたの、ちょっとずつの模索が日本人全体で積み重ねられるかが、この分水嶺を超えた社会になれるかどうかの鍵を握っているのです。






今後もこういうグローバリズム2.0とそこにおける日本の可能性・・・といった趣旨の記事を書いていく予定ですが、更新は不定期なのでツイッターをフォローいただくか、ブログのトップページを時々チェックしていただければと思います。

倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
・公式ウェブサイト→http://www.how-to-beat-the-usa.com/
・ツイッター→@keizokuramoto
最新刊『「アメリカの時代」の終焉に生まれ変わる日本』発売中です

(当記事の絵や図は、出典を明記する限りにおいて利用自由です。議論のネタにしていただければと思います)

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