日本をシリコンバレー的な「打てば響く場」にするための、「システムの整備」と「空気の整備」。

また、かなり好意的な書評ブログを書いてくださった人がいるんですが。

「21世紀の薩長同盟を結べ」—倉本圭造著(星海社新書)、という本を読みました。著者がMcKinseyの後輩ということもあり手に取ったのですが、大変興味深く哲学的深さもあり、また日本人の一人として大いに勇気づけらました。 
とくに—私の解釈が入っているもしれませんが、【「本当の豊かさ」の実現のためには、持ち味や価値観の異なる人たちの、互いのキャラクターを生かしたコラボレーションが重要。それは今の日本の力強い再生に必要だし、もしこれに日本が成功すれば、世界に先がけた成功モデルとして、21世紀以降の人類への大きな貢献になる】というメッセージに共感しました。


以下、たくさんの引用を含めて感想を述べていただいています。ありがとうございます!!

今のところ、星海社新書をレーベルとして注目されてる人や、あるいはマッキンゼー社繋がりでの話が多いのは、まだその「外側」への広がりに時間がかかってるなあ・・・という感じではあるんですが。まあ、それは仕方ないですね、一歩ずつ広がっていくしかない。

一つ思ったのは、マッキンゼーの卒業生MLでの議論に参加して、そこで新書の宣伝をさせていただいた時に、ちゃんと反応して、読むよと言ってくれて、今までにこういうブログ等を書いていただいたりした人は、

面白いぐらい、ほぼ”全員”シリコンバレー関係者

だなあ・・・ってことですね。

もともと直に知り合いだった仙石京大准教授他数人を除けば、多分「全員」シリコンバレーで働いたり起業されたりしていたことがある方だったと思う。今は全然違う仕事をされていても、ある時期深くシリコンバレーと関わっていたことがある人だったりとか。

この前凄い熱いメールを送って来てくれた藤井さんも、オリンパスの社外取締役以外の本業で、アジア・パシフィックのボスをやられているベタープレイスという会社はシリコンバレーの会社だしね。
また、著書によると、コンサルと投資銀行を経て事業会社のトップになった最初の会社も確かシリコンバレーの会社だったし、MBA時代の親友がシリコンバレーの有名起業家になっておられるそうですし。

リンク先の籠屋さんも、スタンフォード大学の院を出られているし、シリコンバレーでの起業経験もお持ちの方なんですよね。

いやいや、だからといって単純にアメリカは良いけど日本はダメとか言うわけじゃないんだけど、あまりにも特異に高い比率なのが、凄く印象的だったんですよね。

好意的な反応を返してくれる人がいるたびに、あれ?この人もシリコンバレーの人か。あれ?この人も?・・・・みたいな感じで。

やっぱ日本だと、既にある世評とかね、そこから来る序列感とかね、そういうのが大事になってくるんだけど、シリコンバレー関係者は、その人が言ってることと、作ったモノ(この場合は本)と、その内容とで、自分が「良いと思う!」となったらすぐそう言うし、他人にもホイホイ薦めてくれる、なんかそういうフットワークの軽さがあるなあ・・・という感じがしました。

しかも、やっぱり年齢的に言って、僕よりかなり「上」の人たちですからね。場合によっては僕と同い年の息子がいてもおかしくない、場合によっては孫がいることもありえる・・・・っていう世代の人たちも沢山いるので。

儒教風の年功序列感があるとちょっと「下」に見てきても当然ってところが日本社会ではあるわけですけど、でもそんなの全然気にしないよ・・・って感じでスコーンと動く感じが、なんかシリコンバレー的なものを感じるというか。

で、まあもちろんベンチャーキャピタル的なシステム面の整備も大事なんですけど、その「場」全体に、そういう「空気」が満ちてるってことが、凄い大事なことだと思うんですよね。

そういう「空気」が満ちてないと、個人レベルでどれだけ頑張っても、「得られるはずの協力関係」が得られないまま孤軍奮闘することになるんで、大きく育つべきものが大きく育たないで、ただただ「小さい話」ばっかりしか通らない世の中になってしまうんで。

やっぱ、「お互いの良いとこ伸ばし合っていこうぜ!!」ってみんなが自然に思ってる雰囲気の場と、「俺はこんだけ苦労してるのにあいつはその苦労をしてないのはけしからん、引きずりおろしてやれ」ってみんなが思ってる雰囲気の場じゃ、そこに導入されてる「システム」が同じでも、実際そこにあるものは全然違いますからね。

一企業単位で見ても、シリコンバレーみたいな一地域単位で見ても、国単位で見ても、プロスポーツチームみたいなレベルの話で見ても、やっぱちゃんと次々と成果が上がっているところでは、同じ「空気」があると思うんですよ。その「空気」を生み出すためのツールやシステムには、それぞれ特有のものが(むしろ形だけ見るとお互い正反対みたいなのすら)あるとは思うんですけどね。

結局、形はどうあれ、個人が「意味あることに集中できる」環境を整えるってことと、「意味あることをやっている個人」を、ちゃんと引き上げてみんなで共有するように持っていけるか、その2つがすべてなんですよね。


で、そういう「空気」を醸成していくときに、日本においてはアメリカのように単純にいかないのは、「一つの業界」内での共通了解ができるだけじゃダメだってことなんですよね。

世界で最も強固な学歴システムに守られた、「ガッチリとした共通了解」の中での、人工的なコンセンサスさえ得られれば、そのままツーカーに世界中に敷衍化できる・・・・っていうのは、ある意味本質的にはアメリカ陸海空軍の全世界的プレゼンス(存在感)があるからこそできることなんだ・・・・ってぐらいに、「アメリカだからできること」なんで。

日本でそれを直輸入するようなことだけをやっても、「システム」は輸入できても「空気」が輸入できない。

「ツーカーな共通了解」に入り込んでくるノイズが凄く大きくなるんで、小石一つ落ちてない滑走路をスイーーーっと加速させてもらえるのがシリコンバレーだとすれば、日本だとジャングルを一歩ずつ切り拓きながら進むことが必要になったりするんで。

そこで、ちゃんと「知性派側の仕切り」がスカンと通るようになった方がいいのは、本質的には「どの立場にいる日本人」にとってもそうなんだとは思うんですが、その「やり方」がアメリカンに大雑把だと、結局自分たちの本来の強みまで失ってしまうから、「現場側」としても抵抗せざるを得ない・・・ってことになるんでね。

それを「ぶっ壊すぶっ壊す!!!」って言い続けるのも、なんというか・・・・まあ、以前、「北風と太陽」の話をしたように、「ぶっ壊すといえば言うほど逆向きに意固地になる人たち」が沢山いるのが日本ですからね。

それを続けていても、最終的には「日本ってほんと嫌だよねえ」って言うしかなくなる感じじゃないですか。

その「嫌だよねえ」をいかに知的でクールな感じで言えるかレースみたいなんをやりこんでる感じになってきたりして(笑)


そこで、大事になってくるのが、「日本なりの共通了解」を作るってことなんですよね。

日本における言論っていうのは、「日本の旧社会憎し」的なモードが極まりすぎて、「新しいことを考えている人らを潰す老害どもがダメなんだ」とかね、そういう方向に行きがちじゃないですか。

で、「ある程度安定したポジション」にいる人を不安定にしてやろう・・・・っていう動きは凄い熱心なんだけど、「新しいことを考えている人」を、「みんなで引き上げよう」っていう動きがどうも弱い感じで。

でも、大事なのはそっちですからね。ある程度「ここから新しい可能性が生まれてくるな」っていう目算が共有できるぐらいになるまで、「幻想だろうと維持されてる安定」みたいなのがあった方がいい場合もあるわけなんで。

もし本当に「新しい流れ」が湧いて出てくれば、「既得権益的なもの」に対する憎しみみたいなんは既に溢れるほど共有されてるんで、「本質的な役目」が終わりさえすればすぐに葬られるはずなんですよ。

だからね、「古い社会の既得権益」がムカつくからぶっ壊してやりたいと思っておられる方は、「古い社会のナアナアさが持っていた副産物的な価値」であるところの、「最初わかりづらいんだけど長期的に見て凄い可能性を秘めているものをちゃんと引き上げる機能」っていうのを、自分たちが代替してやろう・・・・っていう風に動いてくれたらいいんですよね。

で、その、グローバリスト側の、「力を集中するべきWHATの目利き力」が、「古い共同体のナアナアさ」よりも高くなるところまで持っていけたら、あなた方が心底憎んで恨んでいる「旧社会の既得権益者」なんて、すぐに自分の権力が維持できなくなって消えていきますよ。

逆に言うと、無理押しに、「北風と太陽の北風作戦」をやろうやろうとしても、決して前進せずにここまで来た20年のグダグダの背後には、とりあえずその「ナアナアさが担っていた本質的機能」ってもんがあったんだっていう風に、考えるべきなんだと思うんですよね。

確かに、そういう問題への「反対者」は、かなりこう・・・ちょっと、現実的に考えるとムチャなことを言ってる場合も多いと思うんですが、そこで問題なのはその「論点自体」じゃないんですよね。その「ナアナアさが回りまわって保護している機能」を守るための暴走なんで。

だから、その「論点」について議論するんじゃなくて、そういう「暴走が生まれる真因」の方を根絶やしにする方向にいかないと、結局日本はこのまま何も決められずに沈んでいくだけなんですよね。


で、日本において、そういう「新しい空気」を作っていくには、「今の言論パターン」から抜けだした形をつくって行かなきゃダメなんですよ。

グローバリストはグローバリスト内だけで通じるように話し、逆側の人を全否定するだけ。アンチ・グローバリストは、自分たちの内輪だけで通用するように話し、逆側の人を全否定するだけ・・・・では、何も解決しない。

大きく割ってこの二つってことになりますけど、今の日本はさらに細分化された「自分たちの仲間」だけの言論空間が、いわゆるタコツボ的にバラバラに存在していて、共有できるストーリーが全然ないんですよね。

でも、実際にある程度以上に大きな経済行為を起こしていこうと思ったら、その「言論レベルでのタコツボ」の「外側」の人との関わりが当然必要になってくるんで。

そこが分断されたままだと、結局、個別には物凄く頑張ったとしても、得られるべき協力関係が全然得られないまま、各個撃破されちゃうんですよね。

厳しい言い方をすれば、そういうのって、結局「今ある言論パターンの既得権益に安住している」ってところがあるんだと思いますよ。「本当に変えよう、相手に伝わるように言おう」とはしてなくて、「カッコイイ批判を凄く知的に言える俺カッケー」って感じになってるっていう部分はあると思うんですよ。

・・・・とはいえ、とりあえずそういう形で噴き出している「圧力」が、今すぐ一切なくなってしまったら、ただただ、老朽化した惰性のシステムが、何の変革もされないまま温存されてさらに沈むことになるんで、その「批判」自体を突然やめたらダメなんですけどね。

だから、一歩ずつ一歩ずつ、「薩長同盟的言論」の方に、色んな立場の人が参加できる流れに持っていきたいと思ってるんですよね。


例えば、最初に貼ったディシジョンマインド社の籠屋さんのブログの「イノベーションマネージメントについての項目」と、思想家・武道家の内田樹氏の最新のブログ記事とか、おっしゃってること自体は凄い似てるじゃないですか。

「落とし所の方向性」が対照的ではあるけど、「問題意識の所在」で言ったら完全に同じといっていいぐらいですよね。

片方は、グローバリズム最前線でやってこられたバリバリの経営コンサルタントで、片方は、「アンチグローバリズムの象徴的論客」といっていいぐらいの方ですけどね。

そういう両者の間が、「概念論争」的なことをすると、とにかくお互いムカつく!!!って感じになるんですけど、現地現物的な部分をちゃんと見て、

「どうしたら一番潜在能力が開花するように持っていけるのか」

っていう問題を、実践的に考えていけば、「今までの言論パターン」の、「自分が属しているタコツボ」の外側の人とも共有できるような話になっていくはずなんですよ。

で、そういう「タコツボから出て、共有できる物語」が出来上がってきたら、広い範囲の働き手の現在にとって、「そうだよね」って自然に共感されて広がっていく「文脈」ができるんでね。

そうやって「打てば響くような空気」を再生しない限り、日本から、「新しい自分たちならではのもの」が湧くがごとく生まれるなんてことはありえませんからね。

で、アメリカで特異的に成立しているコミュニケーションのツーカーさっていうのは、その「アメリカ的世界観」が、その「最大公約数的性質」ゆえに不可避的に持っている「弾きだしてしまっている個別的リアリティ」を、アメリカ国家と軍隊のプレゼンスで圧殺し切ることによってやっとこさ成立している「奇跡」なんでね。

でも、その「透明性が確保された世界」が、例えば中東でアメリカ軍が問題起こしたりする流れが続くたびに、「外側からのノイズ」に脅かされてくる可能性は常にあるんですよ。

ただ、「圧殺しているものが多いシステム」だからといって、「システム外のもの」が「システム」を全征服したらみんなが幸せになるなんてことは絶対ないからね。

だからこそ、

「システム全体が崩壊しないようにすること」と、「システム外にあるリアリティをシステム上に乗せるように工夫をしっかりすること」は、どちら側の立場の人にとっても最重要課題

なんですよ。

そうじゃないと、

「システムごと全部ぶっ壊してやる」っていうエネルギーが強くなりすぎると、「システム運用側」の人としたら、全部ぶっ壊されるわけにもいかないから、「本来有り得たはずの柔軟なシステムの運用」よりも、「遥か手前の杓子定規さ」で運用しなくちゃいけなくなったりして、とにかく、どっちのためにもならなくなる

んですよ。

だからこそ、「グローバリスト側(知性派の個人主義者の”長州藩側”)」と、「現地現物ベースの和の国を生きている”薩摩藩側”」の、両方の立場の人のためにこそ、「薩長同盟的」な解決をしていくことが必要なんですよね。

それは、国内だけの問題じゃなくて、結局世界で共通の課題なんですよ。だから、そこに先鞭をつけられたら、そこから生まれるムーブメントは世界最先端に超儲かるムーブメントになるはずなんですよ。

それが、「21世紀の薩長同盟を結べ」なんですよね。


そういう流れを起こしていくときに、ツールとして使って欲しいのが僕の本なんですよね。

この複雑な経済社会の中で、「お互い全く違う立場の人」が、「俺はこうやって成功したんだからお前もこうやれ」って言い合ってるだけでは、お互いの凸と凹が噛みあうような新しい連携が生まれてこないですからね。

それを「両側から共有できる形」に持っていくために、プロフィール欄をご覧いただければわかるとおり、僕としてはかなり特殊な苦労をしてここまでやってきているし、それゆえにできている「両側を繋ぐ起点としての機能」が込められていると思いますし。

ぜひうまく使ってやってください。


よろしくお願いします。

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