慰安婦もホロコーストも再検証ぐらいできないと世界平和なんて無理

今、中東のパレスチナ自治区ガザにおいて、イスラエルとパレスチナの過激派組織ハマスとの断続的な戦争が続いています。「事件」とか「紛争」とか言うよりは既に「戦争」のレベルで、断続的な停戦合意をお互いがなし崩しにしてしまったりして、過去の紛争とは次元の違う被害になっている。

この文章を書いている時点ではなんとか停戦合意が暫定的に維持できているようですが、今後どうなるかはまだわかりません。パレスチナ側の死者数は5日時点で1834人(ほとんどが一般市民)、イスラエル側は軍人64人と3人の市民だそうです。

今回の件がいままでと大きく違うのは、「イスラエル側」に対する国際社会の目がかつてないほど厳しいものになりつつあることです。

ニューヨークでは”イスラエルに抗議する在米ユダヤ人”のデモが1万人集まったそうで↓


ユダヤ人ですらこうですから、世界的に「イスラエルいいかげんにしろ」ムードは非常に高まっていて、欧州を中心に、宗教的に中東と無関心ではいられない地域ではイスラエル国家だけでない「反ユダヤ主義」感情も台頭しつつあるとか。

で、今回の「戦争」だっていつまでもやるわけにはいかないし、どこかで停戦することになるでしょう。というかしてもらわないと困ります。

しかし、「停戦合意」というのは、ありていに言えば何かを「ウヤムヤにして終わらせる」ということです。ウヤムヤにせずにいると、毎日死傷者が出続けるんですから、ウヤムヤにせざるを得ない。いや、一刻も早くぜひともウヤムヤにするべきだ。そのための努力は、現地周辺に生きる人達と、現地に既に深く関わってしまっているアメリカや種々の国際機関のやるべきことです。

しかし、ウヤムヤにした停戦は、いずれまた火を吹くでしょう。だから私達は、「ウヤムヤにしない解決の方向性」について、考えなくてはいけません。

そのためには、もっと長い時間軸と広い視野で物事を考えなくてはなりません。

最終的には、「パレスチナ自治区とイスラエルとの間の国境線をどこに引くか」という実務問題に決着するはずです。本当に「根っこの感情問題」が解消すれば、その「実務」はいずれ戦争に嫌気がさした若い世代によって粛々と進むでしょう。

つまり、まわりくどいようでも、その「根っこの感情問題」を、ウヤムヤにせずキッチリ線引きできるパラダイムこそが、今求められているのです。

それを私は、「あたらしいリベラル」ムーブメントと呼んでいます。「リベラルの側からの”戦後レジームの総決算”」と言ってもいい。



非常に巨視的に見てこの問題がなぜこうまでコジレるかというと、端的に言って第二次大戦以降の世界において公式にはユダヤ人にまつわる問題が「アンタッチャブル(一切の批判を受け付けない不可侵の状態)すぎた」からだと私は考えています。

二次大戦中にあまりにも大きなダメージを受けた代償として、ユダヤ人や彼らが持っている志向性に特権的地位を与えられてきた。その「特権性」があまりにも大きいから、それに対向する側に強烈な感情がかきたてられることになります。

結果として、「その地域に地続きに本当の利害を持っている人」とは全然関係ないレベルで世界的な感情問題を引き起こしてしまい、イスラエルに対立する過激派組織には際限なく資金が流れ込みますし、実際に危機と隣合わせのイスラエル人はやはり常に「やりすぎ」てしまうことになります。

世界における「ユダヤ人的志向性」への「不可侵さ」が弱まれば、人類が抱える感情的対立の「根っこ」がほどけてきて、世界中から「反イスラエル」過激派への資金援助が集まることもなくなり、自然な形で問題は終結するでしょう。

何も私はホロコーストがなかったとか言うつもりはありません。しかも”あの”ドイツ人が政策課題として「やるぞ」と決めてやったことなんですから、相当な規模で悲惨な事件があったのだろうと思います。

しかし、その「死」と、原爆被害者の死、東京大空襲の死、そして中国進出した日本人によって殺された中国人民間人の死は、どれも特権化されずに平等に扱われるべきです。

いまさら、どっちが勝ったとか負けたとか、どっちが攻め込んだとか攻めこまれたとかは関係なく判断されるべきだ。そうしないとこの感情問題は永遠に過激化していくでしょう。

ナチスが全部悪い。ヒトラーが全部悪い・・・という総括も反省されるべきだ。1次大戦の賠償があまりにドイツに厳しかったからその反動で起きた現象に対して、ドイツ以外の国が「責任」がないなんてことはありえません。

その秩序の中で私達何も悪いことしてない庶民はほんと何も悪いことしてないのに・・・と生きている多くの人間の生活の総体が当時のドイツに押し付けたものが、物理学的に疑いようもない作用・反作用的な因果関係として噴出しただけだからです(拍手喝采で選んだドイツ国民が悪くないなんてこともない)。

その「罪」を全部「ナチス」に押し付けて終わりにしようとするから、反発が起きて過剰なネオナチ運動にのめり込む人間が増えるわけですよ。

一方で、アメリカのハワイにある、真珠湾攻撃についての記念施設、アリゾナ記念館の展示は、戦争そのものでなく、海戦に向かう日米双方の背景を解説する内容に見直されたそうです。

そして、日米開戦の背景について「アジアにおける日米の権益が衝突したこと」を原因としてあげているらしい。また付近の真珠湾ビジターセンターには最近、ある広島の被爆者が生前に折った千羽鶴の常設展示がはじまり、「ノーモア・ヒロシマ」と「リメンバー・パールハーバー」が均等に扱われる展示になっているとか。

もちろんまだまだ色々問題はあるし、所詮日系人の多いハワイだからでしょ・・・ではありますが、アメリカっていう存在の価値の面目を果たす展示だと思います。

そう、そこが「均等」にならない限り、”諸国民の公正と信義に信頼する世界平和”などありえません。絶対にです。



いいですか、これから私は「問題発言」ぽいことを言います。しかし、これは本当に大真面目な話なので、脊髄反射的に否定しないでよく聞いてください。

アメリカと、大日本帝国と、ナチス・ドイツと・・・に、”均等に”「それぞれの正義・大義があった」ことが当然な世界になるべきだし、今、世界はその方向に動き出しているのです。

その上で、それぞれの存在がその「大義」ゆえに犯した個別の罪について・・・・広島について、中国進出した日本軍による民間人殺傷について、ホロコーストについて、冷静な事実検証が行われた上で、均等に裁かれるべきだ。

前者の部分でアンフェアさがあるからこそ、後者の部分で水掛け論がどこまでも続くし、実際の「被害者」の問題を解決に向かわせることができずに感情的対立だけがどこまでも続くんですよ。

逆に、「それぞれの信じていた大義」さえ十二分に認めてやれることができれば、その「大義を求めたがゆえの過ち」については、「大義を信奉するからこそ補償しなくてはならない」という方向に当事者を向かわせることすらできるようになるのです。

過去70年近くの間はそれができませんでした。それは、「戦勝国」側を「絶対善」におき、「敗戦国側」に「絶対悪」にすることで、とりあえず全人類に、「自由・平等・民主主義」的な「開かれた社会」のシステムを導入するフェーズだったからです。

「悪役扱い」されることによって、人類はひとつの価値観を共有する方向に動くことができた。「悪役扱い」された国の人間は、いわれなき差別を受け続けながら、しかしその犠牲によって、とりあえず人類共通の「開かれた社会システム」を導入してこれたわけです。

女性の社会進出とか、透明性を確保するチェックアンドバランスの思想とか、民主主義とか、人権思想意識とか・・・これらの道は既に多くの先進国の人間にとって「当然」なものとなり、引き返されないだけの確定感を得るところまで来た。ならば、敗戦国側になった人間についての「いわれなき差別」も、もういらなくなってきているんですよ。

今回のイスラエルに対する「世界的な(特に若年層のアメリカ国民の)印象の変化」は、そういう「節目」を表しているんですね。



何度も言いますが、世界は既にその「新しい均衡点」に向けて動き出しているんですよ。しかし、そのプロセスの中では「とりあえずの安定」を生み出す役割の存在の力が弱まってしまうので、世界は不安定化しているのです。

今後のプロセスにおいては、「敗戦国側」の扱いを受け続けて来た存在を代表し、その名誉回復に向かうポジションの人は、どうしてもあくまでその道を完遂していただかねばなりません。

あなたがたは伝統的なリベラル的国際了解からすると「許されざる暴走」をしているように思われてしまう不幸を背負っていますが、しかしそれを途中で辞めてしまっては、世界はこの「根底的なアンフェアさ」を抱えたままあちこちで紛争を続けることになるからです。

あなたがたは使命感を持って、あたらしい時代への突撃隊長として進んでいただきたい。

過大に報告されがちだった「敗戦国側の罪」について冷静な検証を行い、過少に報告されがちだった「戦勝国側の罪」について冷静な検証を行い、そして全く同じテーブルで評価することで、「根底的なアンフェアさに対する人類の感情問題」がこれ以上過激化しない領域にまで行く必要がある。

しかし、「そのポジション」だけでは、いずれ「理性的な検証者」のあなたの声を乗り越えてしまうほどまでに大衆的感情を引き寄せてしまうことで、「自分たちは何も悪くない」という着地点にまで勢いが止まらなくなってしまって、結局他国との冷静な関係が築けなくなってしまいます。それは、安倍政権的な「戦後レジームの総決算」を目指しておられる人々の中でも、理性的で視野の広い方なら薄々感づいておられるはずです。

そこで、いわゆる「リベラル」の立場の人が、それをとりなすことが必要になる。

「20世紀的な古いリベラル」は、ここで「敗戦国側」の扱いを受け続けて来た存在を代表し、その名誉回復に向かうポジションの人を「全否定」する方向に動いてしまいがちでした。

そしてそれは過去70年は必要だった。彼らを「絶対悪」の存在に貶める犠牲によって、人類は「開かれた社会」というビジョンを共有することができたからです。

しかし、今後求められる「あたらしいリベラル」は、「彼らを包含」できなくてはならない。

彼らがどうしてもそれを主張しなくてはならない事情を理解し、彼らがどうしても守りたいと思っているものの価値を理解し、しかし、彼らが陥りがちな独善性について優しく角度を変えてサポートしてやることで、対立する隣人たちとの間に共通了解を生み出せる文脈を創りだしてあげることが必要になってくる。



つい昨日、”あの”朝日新聞が、慰安婦問題に関する再検証記事を掲載したことが話題となりました。

とりあえずこの吉田氏についての検証が終わったわけですが、色んな意味で雪だるま式に展開している現象への検証はまだ始まったばかりと言えそうです。それが終わってこそ、本当に「被害者への償い」を行うことにちゃんと力を注いでいける。

しかし、あの朝日新聞がそれを始めた・・・ということの「潮目」としての意味は非常に大きい。

まさに、「そういうタイミング」なんですよ。戦後レジームの総決算が、”リベラルの手で”行われる動きがはじまっているのです。

まさにいま、「あたらしいリベラル」が日本から生み出されて、世界におけるあらゆる対立の根幹を溶かすチャレンジを始めるべき時なのです。それは「政治」レベルの話だけでなく、経済の運営の仕方を通じて、この世界にあたらしい調和を生み出す一歩となるでしょう。

ネルソン・マンデラは、南アフリカのアパルトヘイト撤廃運動において、「差別してきた白人に復讐してやるというような方向性では決して理解を得られない。彼らを”許す”ことが第一歩だ」という趣旨の運動を続けました。

いわれなき罪を着せられ、自分が受け継いだものの自然的な立場を傷つけられ続けながら生きてきた人々は、しかしその犠牲によって人類がひとつの「開かれた社会」のシステムを得たことについて「誇り」を持っていい、いや持つべきです。

そして、「許し」を与えるべき時なのです。大航海時代以降酷い暴虐を全世界に撒き散らしながら、常に自分たちこそが正義だという振る舞いで他地域を断罪し続ける欧米社会を「許す」ことから全てが始まるんですよ。

「許し」、「許容」し、彼らが創りだしたシステムへ「敬意」を払い、それを「包含」するように動いてくれる存在を、今世界が必要としているのです。

誰がそれをやるの?

日本でしょ!

今や一部では国賊扱いされている朝日新聞サンと、彼らがあくまで張っている意地の先にあるものを信じたいあなたが、「本当の意味で世界の希望となる」ビジョンはここにありますよ。安倍政権と米軍基地にセコセコと20世紀的紋切り型の文句を言ってるよりも、もっと、ずっと有意義なチャレンジを、私と一緒に始めましょう。

そして、朝日新聞的なものを国賊扱いしているあなたにも、(厳しい目で彼らを見つつも)彼らを「許す」姿勢が今日本のために必要なのだ・・・という私の愛国心からのメッセージを、心のどこかに置いていていただければと思います。彼らの捏造(あるいは思い込みの暴走)込みのアジテーションによって、今の日本は「開かれた社会」像を受け入れることができた部分もあり、それはやはりあまりに多くの国民にとって息苦しすぎた軍国主義時代の日本を脱皮するプロセスとして必要だった側面もあるからです。

前回の記事から少し間が開いてしまいましたが、今後もこの「あたらしいリベラル」論についてネットで発表していく予定です。投稿は不定期なので、更新情報は、ツイッターをフォローいただくか、ブログのトップページを時々チェックしていただければと思います。



最後に私事ですが、最近はじめてテレビに出まして、それは「サッカー日本代表を経営組織論的にコンサルする」的なブログ記事がネットで評判になったので呼ばれたのですが、出てみて、自分が「サッカーの専門家」ではないことはもちろん、「依頼してくれる人がいるから一応できているけれども、自分よりもっと本気で取り組んでいる人が沢山いる経営コンサルという分野」でマスメディアレベルの注目を浴びることの矛盾について骨身に染みたんですよね。

そういう経歴はマルチスキル的に今後とも役立つバックグラウンドだとは思いますが、私としてはこの記事のような「思想家」領域で、もっと逃げずに自分にしかできない仕事をしてくことに注力すべきだ・・・と痛感させられる出来事だったんですよ。

なので、もしこの記事に興味をお持ちになった伝統的左翼メディアの(いや、右の方でもいいんですが)責任者の方がいらっしゃれば、私の「あたらしいリベラル論」について書かせていただく場所を提供していだければと思っています。私のホームページのコンタクト欄からどうぞ。


倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
・公式ウェブサイト→http://www.how-to-beat-the-usa.com/
・ツイッター→@keizokuramoto
・『話に行ける思想家』=倉本圭造と文通しませんか?→コチラへ

「あたらしいリベラル」についてのまとまった記述は晶文社刊の『日本がアメリカに勝つ方法』をお読みください。思想・政治・外交レベルと経済・経営レベルを連動させつつ日本が「あたらしい文明」を提示することで世界の分断を解決するビジョンについて書かれています。

この問題の、中国・韓国と日本の関係や、靖国神社問題に関連して捉え返した記事はこちらにあります。少し長いですが、ある出版社の社長さんに「これはミニ書籍として電子出版すべきだ」と言ってもらった力作です。日本のリベラリストの方だけでなく、日本語のわかる中韓関係者がお近くにいらっしゃる場合はぜひ回覧していただければと思います。

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