そろそろ安倍政権を倒したいあなたに授ける戦略

イスラム国の日本人人質事件に関して、安倍政権批判が盛り上がっているようです。これは安倍の責任だ。責任取って辞任しろ・・・という話も出ているらしい。

あなたもそのタイプの人だとしたら、それに対する「そんなことしたらテロリストの思うつぼじゃないか」的な批判は聞き飽きた!という感じかもしれません。で、それに対するあなたがたの論理も、色々と読みました。気持ちは結構わかる部分もある。

だからこの記事は、もしあなたが「安倍政権を倒したい」と思っている、あるいはとりあえず安倍政権は支持してるんだけど、時にやりすぎるきらいのある彼らが、この事件を機にさらに「やりすぎる」方向に行ってしまわないかを懸念している・・・というあなたの声を日本の方針に反映させていくための「戦略」についてお話します。

それは一言でいうと、「北風と太陽」の話のような問題で、「今のタイプの安倍批判を一方向的に押し出していくだけでは、逆により安倍政権側が過激化せざるを得なくなるメカニズム」が日本にはあるので、そのへんを理解した上で、憎き安倍政権を倒すのなら「この方向」で一致して戦略的に押していくべきだ・・・という方向の話となっています。

この記事を書いている時点では湯川さんの死亡はほぼ確定で、後藤さんの命に関する交渉が続いているそうです。

なんかこの事件はあまりに重すぎて、これを自分の意見を表明するためのネタにしちゃうというのが少し気が引けていて、ネットでは完全沈黙してたんですが、そうも言っていられないし、ひょっとすると何か役立つかもしれないし、そもそも関係者以外の人間にできるのは結局ネタにして自分が話せることを話すってことだけなんだとも思うので書きます。(シャルリエブドは問題なくネタにしてたんだから、今回だけしないのはそれこそエゴだろって話もあるし)

目次はだいたい以下のとおりです。

1・安倍氏の影響はどの程度かはわからないが、「安倍批判をしたい気持ち」をどうやって吸い上げるかは考える必要がある。
2・「アンチ安倍」ではなく「ど真ん中のフェアネス」を旗印にしていこう
3・リベラルにとって安倍政権と向き合うことはイスラム国と向き合うことと同じこと
4・グローバリズム2.0の時代に日本が示せる可能性


では以下本文。

1・安倍氏の影響はどの程度かはわからないが、「安倍批判をしたい気持ち」をどうやって吸い上げるかは考える必要がある

今回の事件の第一報について、「いつか起きるだろう何かがついに来た」という感じを個人的には受けました。

その後、自分のツイッターのタイムラインを見ると、

A「これは安倍のせい」派
B「憲法9条さえあればなんとかなるはずだったんじゃないんですか?(嘲笑)」派


が、それぞれの見解をサポートするありとあらゆる論理とファクトと数字を駆使してツイートやリツイートを連打していて、個人的には色々と考えこんでしまいました。

で、私の普段の立ち位置は、安易に「安倍批判」をする人とは距離を置きたい人間なんですが、ただ今回に限っては「安倍批判」の気持ちを「完全シャットアウト」的な態度で望むと、日本社会はさらにさらに本来あるべき連携とは違う道に入り込んでしまいそうな予感がしています(例えば過剰に”VSテロ戦争”的なものにのめり込んでいくモードに安倍政権がなってしまったりとか)。

つまり、「安倍批判がここまで出てくるという状況」自体を現象として捉えて対処していくことがどちら側の人間にとっても必要なんですよね。「どちら側の」人にも、そしてタイトルどおり「安倍政権を倒したい人」にとって意味がある内容にできると思っています。

この事件について聞いた瞬間は私も「安倍首相のせいかもしれないな」と思った方なんですが、その後数日色んな「事情通」の人の意見を見聞きしていると、「安倍首相のせい」とか言うのは安倍首相を過大評価しているという話もあるようで。

つまり日本国内においては安倍vs反安倍というのは大問題だけど、イスラム圏の人にとっては「安倍?誰それ?」状態なので、結局イスラム国にとってみれば日本の首相が安倍氏だろうと誰だろうと日本人を二人捕獲できたんだから脅迫は当然やるよねという話に過ぎないという話なのかもしれない。

ということになると、安倍氏云々ではなくて、これは結局「欧米側に立っている国」としての立場を築いてきた戦後日本の歴史の、当然の帰結として「来るべきものが来た」という風に考えるべき物事なのかもしれない。

一方で、二人を捕獲してからもともと個別に脅迫はしてたんだけど、安倍首相の今回の中東歴訪が引き金となって「あの動画」を投稿するレベルにまでエスカレートしたという考え方もあるらしい。

もっとざっくり言って、全体として「安倍首相的」な方向性で、「欧米(特にアメリカ)との連携を強化していくような動き」をしていった結果、イスラム社会にとって日本は「昔アメリカに立ち向かった俺たちの仲間」ではなく「アメリカ側に立っている俺たちの敵の一味」扱いされるようになったのだ・・・という話なのかもしれない。

だとしたら、やはり安倍氏の存在が引き金になって今回の事件は起きているという見方も、ありえるのかもしれない。

どの程度の状況なのかは、中東に詳しそうな人の意見を聞いてもまちまちなので、私にはよくわかりません。ただ、全体的な「方向性」の問題として、今後とも日本はこの件に関して「安倍的」な方向へ行くべきかどうか・・・という風に考えると、彼個人の影響力がどの程度かは別として累積していくと大きな「違い」になってくるはずなので、その「方向性の是非」自体は一度みんなで考えてみるべき内容であるように思います。

これを「安倍氏が関係する問題」だと思うと彼に対する個人的な好き嫌いが凄く影響してしまうので、一度冷静になって、「日本は今後、アメリカ主導的な世界秩序にどの程度コミットするべきか」というふうな捉え返しをした上で、冷静に考えてみたいと思うのです。

なぜなら、今回の件で「安倍のせいだ」と盛り上がっているグループの中には、一部にはかなり感情的になっている人もいますが、

そこにある「感情」を全て排除していってしまうと、安倍政権は安倍氏が狙っているよりもさらに「安倍色」を過剰に出していかざるを得なくなる可能性がある

からです。凄く図式的なたとえで言うと、

「ちょっと左にハンドルを戻すと物凄い強烈な”感情のウネリ”に巻き込まれてしまうので、逆にいっそ右にがーんとハンドルを切ってしまえ!という方向に盛り上がってしまう可能性」がある。

それは安倍政権支持者にとっても安倍氏本人にとっても良いことではありませんよね。もちろん「安倍政権批判をしている人」にとっては最悪の道です。

ではどうすればいいのでしょうか?


2・「アンチ安倍」ではなく「ど真ん中のフェアネス」を旗印にしていこう

「日本は今後、アメリカ主導的な世界秩序にどの程度コミットするべきか」・・・という問いに関して、いずれは例えばイギリスがやっているように、アメリカが中東で空爆する・・・と言えばだいたい毎回軍隊を送って参加する・・・というレベルまで一蓮托生にコミットするべきだと考えている人は、日本にはほとんどいないと思われます。(例えば憲法9条は即刻廃棄すべきで、自衛隊を軍隊にし、必要とあらば戦争もできる国になるべきだ!と思っている人ですら、アメリカの国際戦略に良いように使いまわされるような事態は避けたいと思っているはずですよね。)

一方で、(調査によって数字が全然違うのでよくわかりませんが)日本国民の”大半”といって良いぐらいの人間は日米安保条約を当然のこととして受け入れているように思いますし、「ゼロ」にまでする気はないようです。

もちろん、中東にも自衛隊を派兵できるようにするべきという人がいないわけではないように、日米安保を即刻破棄すべしという人もいるにはいますが、「大半の日本人が望んでいること」というレベルで考えた時の「日本は今後、アメリカ主導的な世界秩序にどの程度コミットするべきか」に対する答えは、

「まあ、ちょうど良いぐらい」

というのが多くの日本人にとっての正解・・・と言えそうです。

基本的に欧米社会が作り出している国際協調の枠組みには参加しているし、人権だとか透明性だとかいった「意識高い系の世界観」に共感し、その価値を守っていこうと思っている。

しかし、だからといって「あまりにもアメリカ発の秩序感に参加」しすぎることで、イスラム社会から「英米と同じレベルの敵」と思われるのは良くない。

これは日本にとって実利的に良くないだけじゃなくて、日本には「欧米側に立ってはいるものの、”征服されて価値観を押し付けられて生きている側の気持ち”も実体験としてわかるからフラットに付き合える存在」として、一神教世界同士の抜き差しならない争いを超える相互理解のトーンを打ち出していける可能性があり、それはアメリカですら「日本がそういう役割を果たしてくれたら助かる」という世界であるからです。

でもこの「ちょうど良い塩梅」に物事を持っていくのは本当に難しいことです。とりあえず「全部安倍が悪い」で済む話じゃなくなるし、逆に「安倍が悪いと言いたい人の気持ち」を完全に排除しているだけでは、「安倍氏自身やその支持者の多くもこのへんでいいなと思っているレベル以上に突き進む」方向で暴走してしまう可能性が高くなってしまう。

じゃあどうやったら「ちょうど良い」領域に日本を誘導していけるのでしょうか?

それは、「ちょうど良さ」自体を旗印にするムーブメントを盛り上げていくしかないです。

つまり、安倍政権の方向性を止めたいときに、「安倍が困ることならなんでもしてやるぞ!」という動きがあまりに大きくなってしまうと、安倍政権側も(あるいは日本人の投票行動的なものも)そちらがわにちょっとでも妥協することができなくなってしまうんですよね。そっちに動き始めると「行くところまで行っちゃう」恐怖心が芽生えるからなわけですね。

最近、ツイッターで「保守の”自称リアリスト”どもは」っていう批判的な枕詞をよく見るようになったなあ・・・と思うんですが、そういう風に言うあなた個人は、ちゃんと良識を持って「良い塩梅」を目指している人なんだろうと思います。

ただ、世の中は一方向に動きはじめると際限なく後乗りしてくる人がいるので、一度動き出すとあなたような「トップ10%の良識を持ったアンチ安倍路線」の人が考えている以上に「やっちまえ!ヒャッハー!」的なエネルギーを吸い上げていく可能性だってあるわけじゃないですか。

だからこそ、もしあなたが安倍政権を倒したいと真剣に思っているならば、安倍政権を倒した後に生まれるムーブメントが「”ちょうど良いところ”で止まるしくみ」を考えることが第一歩なんですよね。

「保守」は放っておいてもとりあえず現状維持で済むとこありますが「革新」の方は保守の人の10倍ぐらいはこの「止まるところで止まれる算段」をあらかじめ考えておく必要がある。これは20世紀の歴史の最大の教訓だと思います。

とはいえ、そういう批判は聞き飽きたよ!とあなたは思うかもしれない。私もこんな批判はもう言い飽きてきてますからね。「それでも、じゃあ一切批判もできず黙ってるしかないって言うのかよ!?」とあなたは思っておられる。その気持ちは非常にもっともだ。

日本ていうのは現状維持で「ナアナアにとりあえずマアマアなところに落としこむ力」は凄くあるので、「理屈で考えて啓蒙主義的に動かしたい」人にとっては非常に難しい環境です。普通に生きているだけで「世間サマ」の重みに耐えて耐えて生きている感じがする人にとっては、安倍政権的なものに憤懣やるかたない気持ちを持つのは当然のことかもしれません。

だからこの記事を読み終わった後も、安倍政権を批判するな、って言ってるんじゃないんですよ。そういうツイートをRTしまくっていいし、「いいね!」を押しまくってもいい。それこそ言論の自由です。あなたが日本社会に抑圧されていると感じている気持ちをバンバンぶつけていけばいい。それをやめると息苦しいでしょうし、日本はどこまでも付和雷同型の暴走をしがちなのは確かですからね。

ただしそれと「同じだけの熱意」で、あるいはもっと熱心に、「アンチ●●」でなく「ど真ん中のフェアネス」を社会の中に培っていき、それを共有する動きに対してバンバンRTしまくり、「いいね!」を押しまくって欲しいわけです。

なぜなら、「ど真ん中のフェアネス」よりも「アンチ●●」の方が簡単にキャッチーにできるので、ソーシャルメディアはどんどんそちら側に引っ張られてしまうからなんですよ。

で、覚えておいて欲しいのは、あなたがあなたの気の合う仲間と盛り上がって「はい論破!」ってやってる逆側に、全く同じ「事件」について「逆側の立場」の人が彼らなりの理屈で「はい論破!」って叫んでいるのが今の世界なんですよ。

僕のツイッターのタイムラインには両方の立場の人のツイートがバンバン流れていますし、そのどちらの立場の人の間でも、今回の人質事件こそが「敵側の人間の限界を露呈している」というロジックが毎日どんどん先鋭化して補強されていっています。

つまり、

・「今回の人質事件こそが日本の左翼の限界を露呈している」
・「今回の人質事件こそが安倍政権の限界を露呈している」


が同じぐらいの熱量でバンバン放出されていて、お互いに全然接点がないのが今の世界なわけです。

だからある意味、『俺のタイムラインにも両方バンバン流れてるぜ!』っていう人こそが今の時代に一番大事な役割を担っているといえるかもしれない。

その「ど真ん中のフェアネス」が「アンチ●●」を超えるように育てていくしか、日本が本当に「ちょうど良い道」を進める可能性はないからです。

でもそれは「ナアナアにした折衷案」にしろというわけじゃないんですよね。

「どっちの味方とかじゃねえぞ俺は!真実とフェアネスの味方だ!」

的なムーブメントが必要だってことなんですよ。

昨年出した私の著書『日本がアメリカに勝つ方法』の図を引用して説明します。

下図は横軸が左右の「どれだけ極端な話か」という軸で、縦軸が「そのポイントでのコンセンサスの取り付けやすさ」を表しています。


上図のように、ソーシャルメディアの中の「自分たちの仲間」の中でどんどん先鋭化していく言論空間の中では、ほうっておくと「そこそこの納得感があって、かつ敵側を完全排除する方向」に合意形成が物凄く容易にできる部分が生まれるんですよね。でもそれは「敵側」にとっても同じことなので、この世界観でどれだけ「安倍政権を倒そうとして批判」していっても、あなたが熱意を注ぎ込んだ分だけ「敵側の凸部分」にも熱狂的なコンセンサスが生まれていくんですよ。

結果として、お互い内輪では「これで完全に論破したぞ!」という意見と名論卓説と数千リツイートされるヒネりの効いたジョークと色んな統計数字と感情の爆発とニュースソースと分析と古典の引用と海外メディアの発言の紹介と意図的あるいは非意図的なデマゴーグと・・・・がバンバン積み重なっていきますが、「二つの凸」の部分同士のお互いの間にはほとんど全くコミュニケーションがないので連携も取れず・・・・つまり簡単にいうと、

「アンチ安倍」が盛り上がった分だけ「安倍政権」は過激化する

結果になります。

だからこそ、あなたが安倍政権を本当に倒したいと思っている人なら、あるいはとりあえずは安倍支持なんだけどたまにやり過ぎる彼らを軌道修正したいと願っている人なのなら、上記のM字カーブ型のグラフを


↑のように凸型に転換する動きにこそ全力を尽くさないといけないわけです。

それさえできれば、日本のインテリの悲願である「健全な二大政党制」とやらも実現できるし、場合によってはもう一回政権交代だってありえる状況になる。

この「真中の凸」部分の存在感が日本のある程度知的な人間の中でしっかりと共有されるようになって、「日本は昔っからこうなんだ、黙っとれィ!」っていう声よりも大きくなれば、日本は世界一変化に臆病な国から、「変化するのが常態」ってぐらいの国になれる。グローバルに見た自分たちの良さの融通無碍な売り込みの動きも自然に生まれるし、日本の官僚や東電的レガシー大企業や農協的な古い組織が「本来の有効性以上に持ちすぎている権限」も自然に解放していけるようになる。

安倍政権に批判的な人の中には、筋金入りにインテリで、視野も広くて、現実的な転換アイデアをいくつも持っている人も多い。そういう人の意見が「安倍とは反対側にいる」からといって吸い上げられないのは巨大な損失だし、日本に生きることの「閉塞感」の根本原因と言ってもいい。

しかし、「安倍政権に批判的な人」の中には、そういう人たちの「理性的で小さな声」の何億倍ぐらい声の大きい、「とりあえず騒げればいいや」系のエネルギーが渦巻いてるわけですよね。

もし「安倍政権的なもの」か、それか「とりあえず騒げればいいや、後のことは知らないけど」っていうムーブメントか・・・ってどっちかしかなかったら、日本は過剰に保守的にならざるを得ないし、さらに「意識高い系」による攻撃を続ければ続けるほど「右傾化」だってせざるを得なくなっていきます。

でもこの「凸型のグラフ」が実現できれば、安倍に賛成とか反対とか瑣末な問題ではなくて、「こういうアイデアってどうだろう?」「いいねえ!」の連鎖に身を任せるだけで良くなるんですよ。

そしてそういう連鎖が動き始めれば、日本社会の中で生きづらさを感じている個人主義者のあなたが、とりあえずその行き場のない怒りだけをストレートに発揮しただけのムーブメントですら、それが「シグナルとしての異端者」として「凸」部分に感知され、吸い上げられ、現実的で漸進的な改革として入れ込んでいける情勢が実現する。

なにより、アメリカの議会が最近ずっと空転を続けているように、「両側の極論同士がぶつかりあって何もできなくなる」現代世界共通の課題に「空気読んじゃう国ニッポン」ならではのあたらしいスタイルを提示して希望を示すことが可能になる。

もっと究極的に言えば、「欧米的価値観VSイスラム的価値観」みたいな、どう考えても答えの出ない一神教同士の妥協のない争いも、「まあ、日常生活レベルでこういう風にやってけばええんちゃうかなあ?」ぐらいの、あらゆるドグマがドロドロの日常感の中に溶け込んでしまうような平和のモードを提示していくことだってできるようになる。

それこそが日本が世界にあってくれてよかった!と思ってもらえる貢献の道だと言えるでしょう。

理想論的に見える?しかし、これしか世界の分断を人類が超えていく一手は本質的には存在しないし、そして日本は、本能レベルでかなりこの道を進み始めているんですよ。

もう少し具体的な例について話したいので、ちょっと並置するのが少し不謹慎な感じもするのですが、次項ではあえてこれを日韓問題に関するここ10年の推移と比較して考えてみることにします。



3・リベラルにとって安倍政権と向き合うことはイスラム国と向き合うことと同じこと

日経電子版だけじゃあバランス悪い気がするから紙の一般紙も取ろうということで、妻がかなり熱いドラゴンズファンなこともあってウチでは中日新聞(東京新聞)を取っているんですが、その今年の1月13日の社説『反日と嫌韓止めねば 年のはじめに考える』に「おおおおお!」と大興奮してしまったことがあります。

ある意味結構地味な社説なんですが、「朝日より左」と言われる中日・東京新聞でこういう「日韓関係に関して徹底して中立的(つまり日本政府絶対悪・韓国絶対善ではない)」な立場の文章が書かれるようになったのは大きな「前進」だと思います。

私は以前「朝日新聞的なもの」にトドメを刺すための出口戦略というちょっと煽ったタイトルの記事で(それ以前からずっと言い続けてるんですが)まさに「こういう方向性」に日本の左翼が立っていければ、安倍政権の行き過ぎを本当の意味で抑止できる勢力に育つんだから頑張ってやってくれよ!という話をしていました。

つまり、

この絵↑のようなポジションに「朝日新聞的なもの」が立っていると、

日本のナショナリスト
vs 
(中国のナショナリスト+韓国のナショナリスト+日本のリベラル+韓国のリベラル+中国のリベラル)の大連合軍


的な不均衡状態に置かれるので、安倍政権側にいる人は「やりすぎ」てでも押し返さざるを得ないし、韓国や中国のリベラルにとっては「そこまで言うと言い過ぎ」という領域になっても誰も止められない状況になって彼らの国では何か問題があっても全部反日叫んでガス抜きしておけばいいや!という不健全な風潮が放置されることになる。

この状況において

こういう立場↑を一貫して取ってくれるような、つまり「アンチ●●」ではない「ど真ん中のフェアネス」を目指すリベラルが分厚く成立していけば、各国のナショナリストも過激さを必要としなくなるし、彼らの自浄作用として「ヘイトスピーチ的なものは見苦しいからやめなさい」という動きも出てくるようになるんですよね。

で、中日新聞の社説は「まさにそういう記事」ですよね?これはもうほんと、地味だけど「ついにこういう時代になったなあ!」と私は凄く嬉しい気持ちになりました。いまだにその紙の新聞を大事にとってあるぐらいです。なんせこのことを理解して欲しくて本を書いたりブログ書いたり・・・をして幾星霜、最初は「これを一体的に言っていけばきっとすぐみんなわかってくれるに違いない!」と思っていた気持ちは裏切られ続けてスネる一歩手前みたいになってたんですからね!

前述の私の記事自体ネットのあっちこっちに配信されているのでそれを読んで下さったのかもしれませんし、あるいは単に時代がそこまで煮詰まってきたから起きた自然的な変化なのかもしれませんが、とにかく仄かに見えてきたこの「種火」が育っていって、「安倍派vsアンチ安倍」じゃない「本来こうあるべきでしょう?」という「ど真ん中のフェアネス」をみんなで共有できるようになれば、日韓関係はあたらしい調和の時代を迎えるでしょう。

こういう変化になっていくには、やはり「嫌韓ムーブメント」も過去に必要な時期があったんだろうと思います。その「発言方式」が意識高い系の文化からすると許されざるものだったとしても、それは「現行の意識高い系の文化」が持っている「不均衡」あるいは「人間存在への理解の浅さ」が、そういう形で噴出しているんだという見方もできます。

だからといってヘイトスピーチしてもいいってわけじゃないですよね。だからこそ、「ヘイトスピーチは許されないが、しかし全体の構造として不自然かつ問題があるものは正されなくてはいけない」という「ど真ん中のフェアネス」を求める動きを大事に育てていくことが必要なんですよ。

まだ全然この「ど真ん中のフェアネス」はそう広い範囲には共有できていないし、本屋さんに行けばかなり過激な「嫌韓・嫌中」本が溢れている状況ではありますが、ああいうのも「やりすぎ」ることによって「いくらなんでもこれはやりすぎだよね」という感情を広い範囲に広げ、結果として「最初はどうしても共有しづらいど真ん中のフェアネス」を分厚く形成していくための「最初の一歩」になっていると考えることができます。”尊王攘夷運動が明治開国政府を作った”ようにね。

さて、では、この件と今回のイスラム国の人質事件を比べて考えてみましょう。

イスラム国は、今我々が毎日ただ生きているだけで加担している「欧米由来の世界システム」が持っている「問題」を知らせてくれる存在なんですよ。欧米由来のシステムが持っている無理が、いろいろなアンフェアさを抱えていて、その不満を放出できる仕組みが「意識高い系の世界観」の中に見つけられなかったエネルギーが、イスラム国という形で、あるいは人質事件という形で噴出していると言える。

しかし、ヘイトスピーチがやはり許されないものであるように、比べるのもちょっとどうかと思いますが誘拐して脅迫して意に沿わなければ殺してしまうなんてほんと言語道断ですよ。そこは「一緒になってはいけない」。相手を刺激するなとか言うけど、やっぱそこは「断固として非難」するモードを失ってはいけないと私は思います。そこをナアナアにすると、ほんと「なめられてカサにかかって絡んでくる」んで、断固として非難するモードはやはり大事なんです。

日本国内における”反社会的勢力”さんだってそこのところをナアナアにした途端に果てしなく絡みついてきたりするんですよ。だからこそ、断固として「あなたとは違うんです」モードを維持することは凄い大事なことです。

つまり我々は、「ヘイトスピーチやイスラム国(あえて同列に並べますけど)」に対して、「気持ちは凄い凄い凄い凄いわかる!と思っても決して馴れ合わないし決して許さない」という態度はやはり大事なんですよ。

しかし、彼らは「そこにあるんだけど無視され抑圧されている問題」をシグナルとして表明してきているんだという意味での「敬意」を払って「理解」しようとすることは必要だし、できれば「包含」する「あたらしい世界観」を提示していく必要はある。

「保守」なら、「黙ってろ」でもいいんですよ。保守だから。でも「寛容の精神」を旨とするリベラルならば、「包含」する必要がある。「アンチ●●」では済ませられない、その意見が大きな社会的影響力を持っていっても、つまり「最先端の理性的で意識高いあなたとあなたの仲間の内輪話」を超えて「やっちまえ!ヒャッハー!」的な大量の人間の感情を吸い込んできてもちゃんと「ど真ん中」を保っていられる分厚い良識の共有システムを作っておくことが、実際にそれを広い範囲にうけいれてもらうより「前に」絶対的に必要なんですよね。

そういう意味で言うと、さらに不謹慎発言なことを承知でいいますが、

リベラルにとって「安倍政権と向き合う」ことは、「イスラム国と向き合う」ことと同じ

なんですよね。(一応言っておきますが、これは安倍氏本人がそういう邪悪な存在だって言ってるんじゃなくて、リベラルに突きつけている課題の性質が同じだってことですからね!)

「現行の意識高い系の文化」が弾きだしてしまっている「生身レベルの問題」を、彼らは「シグナル」として提示してくれているわけです。そこに「意識高い系の正義」からすると「絶対悪」なものが含まれているのは当然なことです。だから「馴れ合ってナアナアに妥協しろ」と言ってるんじゃあない。批判するべきところはバンバン批判していい。

が、本当は「彼らがなぜそれをしたがっているのか」を「彼ら以上に真剣に考え」て、「自分たちが持っている意識高い系の文化」の中に「包含」できるように持っていくことが今求められているんですよね。



4・グローバリズム2.0の時代に日本が示せる可能性

「グローバリズム的に共通したシステム」が世界中に行き渡っていくグローバリズムの第一期が終わった今、その「とりあえず作ったデジタルな共有システムははじき出してしまっている現地現物のリアリティ」を、「システムと無矛盾になるように入れ込んでいく」ことが鍵となる時代が来てるんですよ。

私はそれを「グローバリズム2.0」と呼んでいます。

・グローバリズム1.0の世界のゲームのルール
単純なルールをいかにバンバン現地事情をなぎ倒して押し通していけるか?が勝つ条件
・グローバリズム2.0の世界のゲームのルール
「とりあえず行き渡った単純なルールの中に、それを否定することなく現地の事情をどんどん入れ込んでいくこと」をいかに上手くできるか?が勝つ条件

上記のように考えると、グローバリズム1.0のルールをアメリカ以上にうまくこなせる国はそうそうありません。しかし、世界に「単純なルール」があまねく行き渡った結果、その「単純すぎるルールの無理」を柔軟に吸収できる噴出口がテロぐらいしか見つからなくなることで、世界は常に「欧米社会のルールの外側の価値観からの暴力的な異議申し立て」の潜在的脅威にさらされ続けることになります。

そうすると、「単純なルールの無理やりな押し付け」の勝ちパターンがだんだん難しくなって行く結果、「現地事情をいかに柔軟に共通ルールの中に入れ込んでいけるか」という新しい「グローバリズム2.0」のゲームのルールが生まれてくるわけです。

この時代の対立が激化すればするほど、日本の可能性は大きいです。なぜなら日本は、「欧米諸国と価値観を共有してまがりなりにもやってきている」国でありながら、「征服されて無理やり価値観を押し付けられて生きている国の気持ちも直接わかる」国だからです。

ここ20年、「イノベーションのジレンマ」といえば、「もっともっと単純なルールで現地事情をバキバキなぎ倒せるようにならなくちゃ!」という方向のものばかりでしたが、今度は「あまりにも単純なルールの押し付けに最適化されすぎた社会が、その外側からのテロの脅威にさらされる一方、複雑さを諦めずにいた国が一歩ずつ着実に進歩していける時代」という、「ウサギとカメの話的イノベーションのジレンマ」がそこかしこで見られるようになるでしょう。

その「ユニークネスの可能性」をバンバン追求して、それを経済価値に転換して、そこに大きなマネーフローが生まれるとき、やっと安倍政権は「無駄に過激になる必要」がなくなるんですよ。

リベラルが安倍政権を倒したいなら、「その道」を一体的に模索していく必要があるんですね。



・最後に

最近、今回の記事のようなテーマに関して「アメリカの時代の終焉に生まれ変わる日本」という本を出したんですが、この本の企画が持ち込まれた時に出版社から提示された「企画書」に、「これからアメリカの時代が終わるわけですがその中で日本が固有の価値を活かして活躍するための方向性について倉本さんのご意見をまとめていただきたく・・・」などと、まるで「最近めっきり寒くなってまいりまして」的な時節の挨拶のように書かれていたのに結構ギョッとしたことがありました。

刊行までたどり着いた中でははじめての女性編集者さんだったんですが、ある意味女性の怖さを感じるというか、昨日まで完全にコミットして生きていた世界観も、なんかもうこれ終わっちゃうみたいだからもういいわ(ポイー!)みたいな感じを受けたというか。戦後70年かけてコレクションした夫の骨董品的な宝物を知らない間にリサイクル業者に売ってしまう妻の恐ろしさ的な感じで。

もちろん、明日いきなりアメリカが消えてなくなったりはしないし、まだまだ当分は「ある程度は世界の警察」でいてくれないとアンチアメリカ主義者も実際は困る部分がかなりあると思いますが、しかし過去20年にあったような「一極支配」はだんだんできなくなっていくのは避けられない情勢ですよね。

そうすると、今までなんか不満を抱えた人たちがいてもアメリカさんが空爆して黙らせてくれてたから深く考えずに済んでいられたあらゆる人間に、その「常に存在する調整過程」への責任が生まれてきてるんですよね。

結局、日本のアメリカ追従を批判し、イスラム側との感情的なつながりを大事にしたいあなたも、アメリカがとりあえず保証してくれてる世界秩序の上でノウノウと生きてこれたんだな・・・ということを、今回の事件は示しているんだってことを一度考えて欲しいんですよね。

それは、「アメリカの重し」が取れた瞬間、じゃあこの知的な俺が考えた理想のビジョンを実現できるぜ・・・と思ったら、国内国外はじめ果てしなく単純化された「やっちまえ!ヒャッハー!」風の衆愚主義に塗りつぶされてしまう可能性があるという「人間社会の真実」に対して自分たちなりに答えを出していくことです。

安倍云々じゃなくて、結局誰もが等しく「欧米社会由来のシステム」の恩恵を受けて毎日生きてたんだなという当たり前の事実に、その「みんなが(あなただって)乗っかっている乗り物」に踏んづけられて困っている人たちの異議申し立てに直面しているのだと捉えるべき時なんですよ。

自分だって彼らを押しつぶしている一味なんだという自覚の上で、彼らの負担ができるだけ減るような「乗り物の置き方」を探していく作業が、これから世界中で始まることになるんですよ。

・・なんてことを言うのは、リベラルなあなたにとっては「押し付けがましい抑圧」に見えるかもしれません。こういう趣旨のことをもっと「たとえ話」的に扱った記事を書いたことがあるんですが→『あくまで憲法を守りたいリベラルのあなたへの手紙』その直後に私のホームページのコンタクト欄から「お前みたいなヤツは世界の悪の根源だ。さっさと死ね!」という趣旨のメールを貰ったことがあります。(ちなみに大真面目に返信したのですが捨てアカウントだったみたいで宛先不明で戻ってきてしまいました)

繰り返すようですが、あなた個人が生きている状況において「日本的な集団」に押しつぶされてしまいそうな思いを感じているのなら、別にそれを表明することを辞める必要はないんですよ。それで気が済むのなら私に死ね!という言葉をぶつけてもいい(ナイフを持って”実行”しに来られると困りますが)。

まずはある程度余裕のある状況の人からです。自分のタイムラインには「安倍死ね!」も「左翼死ね!」も両方流れてるんだけど・・というあなたからです。

「両極端なわかりやすい話」に比べると時間はかかりますが、しかしそれをちゃんと育てていけば、いずれ日本にはグローバリズム2.0のトップランナーになる資質がありますよ。運命があると言ってもいいぐらいです。

最近、「聲の形」という漫画をたまたま読んだんですけど、ほんと良い作品だったな・・・と思いました。あらゆる「意識高い系のアメリカンな善悪基準」みたいなものが、「日常的な、あまりに日常的な現実」の泥沼に足を取られることで次々と説得力を失っていき・・・というと凄い暗い話のようですが、「それでも希望を失わずに生きる」ことで群像劇のそれぞれの登場人物が”日本人の徹底した懐疑主義レベル”で地に足ついた人生を選びとっていく話でした。

日本のオタクさんがよってたかって突っつき回してきたサブカルチャーの中に、「アメリカンに単純な善悪」を超えたところで、でも「まごころ」を失わずにいようという模索は続いているんですよね。

「グローバリズム2.0における日本の可能性」について、以前私は
・アップルなんてダサい、日本はもっとカッコイイ物が作れる。
・グローバル中間層に日本の根本的長所を売り込む方法
・開国派vs鎖国派的対立してたら日本は永久に開国できない
という一連の記事を書いたのですが、そこに書いた「日本がグローバル中間層に徹底的に売り込むべき高密度ハイエンド商品」の中には、こういう「ナアナアすぎると言われながらあくまで東京が保持してきた優しさの文化」も含まれているのです。

大げさでなく、「こういう商品」がちゃんと本質的な意味での”クールジャパン”として世界のグローバル中間層にバンバン売りだされて大きなマネーフローが生まれ、アメリカ人や中国人や中東のユダヤ人もイスラム諸国民も、若者が胸を痛めて読む時代になったら、はじめて世界平和は実現すると私は思っています。

その昔、湾岸戦争の頃、中東の有事に対して日本が全然貢献しなかったと国際的に非難され、なんとかしなくては・・・という大きなウネリが生まれました。今の安倍政権にまで繋がっている一つの流れがそこにある。

でも、その当時と今は全然状況が違いますよね。インターネットがありとあらゆる価値観を相対化してしまう今の時代、「安易な軍事的貢献に参加しないんだけど、でも・・」という「目立たない貢献」がちゃんと理解される素地は、当時に比べたら全然違うレベルに高まっています。

欧米諸国が中東事情に介入するのは、「そりゃあんたらが100年前に撒いた種なんだからなんとかしなさい」という側面もあるわけです。だから日本は日本の道で貢献するべきだ。それは正しい。

しかし、我々みんなが結局その「欧米諸国的価値観によって整備された国際秩序」の中で毎日ノウノウと生きているのだ・・・という点に目をつぶって、自分だけは全く罪がないというような態度で他人を誹謗中傷しているだけ・・・という動きが大きくなりすぎてしまうと全てが崩壊してしまって余計に不幸なことになる。

そこさえちゃんと理解して受け入れるなら、「日本ならではの貢献」を追求することは”現状は安倍支持者”という日本人の中にも相当な多数に登るでしょう。

アメリカのように、地球上にひしめきあって生きる人類70億人がメチャクチャな混乱に陥らずにとりあえず何かを基準として生きられる共有システムを作り出し、それを維持するためにたまに爆撃だってすることも、一つのコミットメントです。NGOやNPOや国連とかの国際機関みたいな方向での”大文字の良心”を突き詰めるのもひとつのコミットメントだし、そういうのとは関係なく日々自分の仕事に対して古来のお百姓さんのような心性で生きることも一つのコミットメントです。どれが上でどれが下ってことはない。

しかし、「欧米人が高らかに宣言する大きすぎる話と、”それに征服された側”の自分たちのナマの現実をすりあわせるにはどうしたらいいのか?」について誠実に悩み続ける東京発の優しさの文化だって、「一つのコミットメント」には違いありません。

「憲法9条を大事にしたい」というあなたの気持ちの中に生きているコミットメントの形はこういうものなんですよね?それはもっとやっていくべきです。

しかし、そういうあなたの「啓蒙主義的な願い」のあり方が不可避的に持ってしまう副作用が、こういう「東京発の優しさの文化を奥底で支えているもの」をも壊してしまう可能性をはらんでいるのです。この「一周回ってくる論理」に対してちゃんと責任を取れるように持っていかないと、安倍政権を一方向的に批判すればするほど安倍政権は過激化してしまうループに終わるんです。「北風と太陽」の話のようにね。

「箱庭」みたいな小さな世界で模索されている「東京が持っている優しさ」は、グローバリズムのガサツさや「アメリカンに単純化された啓蒙主義」やらが暴走してったら一瞬で消えてなくなるものなんですよね。

だから安倍政権に今の権力が付与されていることの中には、アンチ安倍の立場からは腹立たしいことですが、以下の三枚絵のようなメカニズムがあるんですよ。







(話の流れ的に「きれいな安倍ちゃん」とか言ってますけど、もちろんこういう流れの先には「政権交代」だってもし日本に必要ならちゃんと視野に入ってきますよ)

単純な20世紀的罵り合いを超えて、一段高いところから見た「本当の問題」について日本の底力を発揮できるよう、取り組み始めるべき時ではないでしょうか。

長い文章をここまで読んでいただいてありがとうございます。

最後に、ギスギスした「二つの極論同士の罵り合い」に疲れたあなたの感性に、音楽の力を借りて「本来あったはずの調和」を思い出してもらいたいと思います。彼らの公式チャンネルなんでリンク貼らせていただきますから、気に入ったらちゃんとお金を落としましょうね!

白か黒で答えろという難題をつきつけられて、でもそれでも安易に選ばずに迷ってきた我々だからこそできる”優しさ”の価値の一貫した提示を、今まさに世界が待っているのです。

Mr.Children ”GIFT”




今後もこういうグローバリズム2.0とそこにおける日本の可能性・・・といった趣旨の記事を書いていく予定ですが、更新は不定期なのでツイッターをフォローいただくか、ブログのトップページを時々チェックしていただければと思います。

倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
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