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蓮舫民進党が政権取るための戦略はこれだ(その2)

蓮舫民進党が政権取るための戦略という連続記事をアップしてます。一回目はこちら。
民進党をテーマにしてはいますが、より本質的には「自民党的なもの」以外で日本はまとまることができるのか?そのために必要なことは何か?がテーマであるとも言えます。
初回の前回は蓮舫さんの国籍問題は、「たまたま」蓮舫さんだから紛糾していることではあるが、日本人が「自民党以外」をベースにまとまろうとするならどうしても「本質的に取り組むべき課題」を含んでいるんだという話をしました。
蓮舫さん個人が「脱臭消毒されたウケウリの”国際人アイデンティティ”から日本人の土着性を裁く立ち位置」に入るのではなくて、「自民党的なものには違和感があるが、しかしこの社会で生きていこうと決めた人たち全体のリアリティ」をゼロから具現化する「全く新しいアイデンティティ」を模索していければ、この問題は「雨降って地固まる」的な可能性を帯びることになるはずだということです。詳しくは第一回をどうぞ。
さて今回はその続き、心機一転スタートした民進党がちゃんと「必要なこと」をやっていくために必要な「優先順位付けの共有」について、これはかなり経営コンサルタント的な方向性からのヒントを考えてみたいと思っています。ここで紹介するテクニックというかフレームワークは、民進党関係なくあなた個人の人生や会社などにとってかなり有用な示唆を与えてくれるはずのものです。



1(はじめの一歩編)惰性から脱却には優先順位付けの共有が大事

さあ、新しい蓮舫代表のもと今までと全然違う民進党をはじめよう!と思ったのもつかの間、「花柄の気分もまた一日のうちたった6秒(byザイエローモンキー)」というわけで、実際には日々の雑事に追われているうちに国会が始まって、次々とやらなくちゃいけないことが襲ってきて、散発的に対処療法で思いつきのアドバルーンをあげてみたりするけど、結局大きな流れは変えられずにどんどん勢いがなくなっていく・・・
ちょっと不吉なようですが、普通にやってりゃこうなります(笑)スイマセンがこうなります。目に見えるようです。
個人のダイエットから、明日から勉強するぞ!とか、業績が落ち目の会社が期末だけ超頑張って帳尻合わせ続けてるけどもうやっぱ駄目なんじゃないかとか・・・
個人のことから大きな組織、そして社会全体にいたるまで、「決意を新たにした」後に遅い来る日常という名の魔物に打ち勝つのは並大抵のことではありません。
だからまず我々は「優先順位」をしっかり共有しなくちゃいけない。特に民進党みたいに寄せ集め感のある政党は、ほうっておくと各人が思いつきでバラバラにお互いへの文句を言い合ってる間に「外からのその集団への信頼」というものを次々と火にくべて蕩尽していってしまう可能性大です。
そういうときに、経営コンサルタントは大枠で言うと「優先順位をハッキリさせる」ことをまず第一にやります。以下のフレームワークを埋めてみましょう。
f:id:toyonaga-san:20160920170356p:plain
上記画像クリックで拡大しますが、画像掲載されない転載先もあるかもなので質問部分だけ平文にします。

質問A  あなた(個人・集団・社会)が、重要度も緊急度も低いのにどうしても大きな時間を使ってしまっていることはなんですか?(無駄の把握)
質問B  あなた(個人・集団・社会)が、重要度は低いが緊急度は高い突発的な問題にぶちあたるとしたらそれはどういうものですか?(危険予知・対処)
質問C  あなた(個人・集団・社会)にとって緊急度も重要性も高い仕事はなんですか?
質問D  あなた(個人・集団・社会)にとって緊急度は低いが重要性は高い仕事はなんですか?

フレームワークっていうのはこういう枠組みに沿って穴埋めするカタチで物事を考えてみようというテクニックのことですが、この「重要・緊急の二軸マトリクス」は私の人生の中で過去に出会ったあらゆるフレームワークの中で、自分の公私の人生への影響力の深さ・大きさがダントツ1位じゃないかと思います。
とりあえず民進党のことは忘れて、これを読んでいる読者のあなた個人について、あるいは読者のあなたが属している集団についてこのフレームワークで考えてみると、何気ないシンプルな基準だけど物凄い深い洞察が得られて、大げさでなく人生変わっちゃうってときがあります。組織内でも「コレ」を共有して明確化していくと、あれだけ混乱してた現場にパキッと一線が通ったような優先順位が共有できる(ときもある)。
この図のポイントは、「緊急度と重要度」ていうのは違う軸で、「緊急度は高いけど重要度は低い」とか「緊急度も重要度も高い」とか、それぞれで四種類ありえるのだということに気づくことがまず第一歩ね。
で、

・質問Aで可視化された作業に「俺こんなことに毎週X時間も使ってるのかトホホ」となって反省する。
・質問Bで可視化された危険に、「そうそうこういうことよく起こるねん。そもそも起こらんようにしたりラクに対処できる方法あらかじめ考えといたらええんちゃうかな?」


を個人の人生、あるいは集団でちゃんとツメて議論するとすごく「意味あることしてる感」が生まれてくるんですが、今回の民進党関係で一番大事なのは質問CとDについてです。
あなたに少し考えてみて欲しいのですが、「緊急度も重要度も高い問題」「緊急度が低いけど重要な問題」のどちらの方が真剣に考える必要があると思いますか?
少し冷静に考えてみて下さい。
どうでしょうか?
どうでしょうか?
どうでしょうか?

質問の答を言いますが、「緊急度は低いけど重要度が高い問題」の方です。なぜなら、そういう問題はものすごくものすごくものすごく意識して時間を割かないと後回しになる(実際には何もやらない)からです。
一方で「緊急度も重要度も高い問題」というのは否応なくその問題に全力で立ち向かう時間が人生の中に生まれてくるので、当然それについても自然に考えることになります。
民進党の皆さんはこれから次々とやってくる日常の業務の海に揺蕩って生きることになります。その中には、「緊急だけど重要じゃないこと」もあるし、「緊急でも重要でもないのにやたらめったら時間かけちゃってること」もあるし、「緊急だし重要なこと」もあるでしょう。
相当意識してないともうこの最初の3つだけで時間の使い方としてもマインドキャパシティ的にも120%超えてしまって、ただただ飛んでくる矢をそれができるうちだけは叩き落としたりしてたけどいずれ討ち死に・・・になります。絶対なります。
だからこそまずこの「緊急・重要度マトリクス」で、「緊急じゃないが重要」なのは一体何なのかを真剣に選び取って共有しておく必要がある。
組織の総合エネルギー・リソース・時間の1割でも2割でもこの「緊急じゃないが重要」ゾーンに振り向けることができたら、その組織や個人は奥底から変わります。そもそも「意味あることやってる感」が自然なプライドになって無駄なところであわてたりケンカしたりしなくなるからです。
そういう好循環が始まると、「緊急だが重要でないこと」がそもそも「緊急」にならないように対策を講じておこうとか、「緊急でも重要でもないのに何時間もコレやるのやめようぜ」とか、とにかく「どうやってやってて楽しくて”意味ある感がある”非緊急・重要ゾーンの比率を大きくできるか」にワクワクできるようになってくるからです。

民進党の場合、多分国会がはじまったら色々と自民党と論戦しなくちゃいけないんだろうと思います。蓮舫さんの問題にかぎらず色々と批判されたら答えなくちゃいけなかったりもする。選挙地盤を固めるために地元の夏祭りにも出なくちゃいけないでしょう。
そんな中で「現実的に政権交代の選択肢になりえると国民の多くに思ってもらえる責任野党」になるために、「緊急度は高くないが重要度はメチャ高い」内容とはなんでしょうか?
私の考えは、「国会での他党との論戦のためじゃあない政策の準備と、その”具現化可能性の精査”」です。
「論戦」と「構想」は別ものだと考えることがまず「責任野党」への第一歩だと私は思います。方向性は論戦のときと一緒でなくてはいけませんが、論戦のときには相手を批判するために「自分の側については良いことしか見ない」ということになりがちだし、そこであまりに潔癖に「いやしかしこういう可能性もあることは否定できないが・・・」とか全部言うようだと論戦になりませんからね。
しかし、「構想」の、しかも「責任野党と思ってもらえるレベル」を目指すには、「自分の構想を自分で批判的に評価」する部分も必要になる。
「責任野党」になるということは、選挙があったら政権交代するかもしれないし、自党代表が日本国首相になるかもしれないってことなんですよね。
選挙が終わったら日本中どころか世界中のメディアが寄ってきて「代表の次の一言とそれを伝えた時の表情」が世界中に配信されるわけです。それでブレグジットショックの時みたいに世界中の市場が大混乱したりする可能性がある。
「議論用」と「構想用」が明確に分離してないと、「自民党との違い」を出すために「全部盛り」にしたアジェンダを用意することになる。当然その「全部盛り」の中には実現可能だし充分良い政策もあれば、明らかにムチャなものも含まれている。
玉木雄一郎議員が「旧民主党政権だって良い政策を色々実現したが、多くが安倍政権の手柄みたいになってしまった」みたいなことをおっしゃってましたが、まあそうなんだと思います。ただ、政策というのは「一つの大きな失態があると、100の小さなヒットが全部帳消しになる類のゲーム」なのだと理解する必要があろうかと思います。
つまり、「全部盛り」の議論用アジェンダとはほぼ「全然関係ない別個のもの」を作るぐらいのつもりで、「構想用のアジェンダ一式」を用意する必要がある。
そして、「構想用」の方は、与党時代の人脈でもなんでも使って事情に詳しい人を呼んできて、「本当にできるのか」「やるとしたら何が問題なのか」を先に考えておく必要がある。
ある意味で、「議論用のアジェンダ」をそのままストレートに実現しようとした前回などは、まさに玉石混交のあらゆる思いつきみたいなのまで一緒くたに官僚たちにトップダウンで「やれ」と言ってやらせようとして、混乱して朝令暮改するたびに「信頼」という大事な資産を次々と蕩尽していく結果になったわけですよね。
だから次回は、「議論用じゃない構想用のアジェンダ」をちゃんと作っておいて、それはもう「手堅く手堅くスクラップビルドするプロセス」が必要なんですよ。大事な論点については「シンゴジラ」製作チームよりもちゃんと調べるぐらいのつもりで先に専門家を呼んで詰めておくべき。
つまり、前回は
「リハーサルも準備も計画もなしにぶっつけ本番一回目のアイデア集を全部実行しようとした」
けれども、次回は
「実現可能性について内輪で何回も何回も叩いておいた腹案を、ちゃんと成果が出そうなものから順番に実現していく」
カタチにならなくちゃいけないってことですね。
この「緊急度低いが重要度高いプロジェクト」にテンション上がるかっこいいコードネームなんかつけて、全民進党リソースの1−2割はなんとしてでも、どんな時でもこれに突っ込むぞ!という決意を共有すること。で、成果はそうかんたんにマスコミにリークしてアピールしたりしないで、とにかく「他人へのアピールじゃなくて本当に自分たちがやれるのかどうかの納得をまず得る」ことを第一に考えてやっていくことをオススメします。国会での出ては消えていく論戦なんかは、「まあそれはそれ、これはこれ」的に別回路でうまくこなしておけばいいと思います。
で、そうやって内輪で叩いて叩いて鍛えられた「これなら新機軸っぽさもあるし実現性かなりあるぜ」的な政策が3つか4つか・・・できてきたら、多分その時点で民進党の内部の空気自体が全然違ったものになってるでしょう。
さっきも言いましたが、経験上言うんですがこの「緊急度・重要度マトリックス」が本当に機能しはじめた時っていうのは、その人個人だったり集団だったりの空気が一変するんですよね。「意味あることやってるぞ俺たち」感が嘘でなく出て来るので、その自信があらゆる細部をうまく行かせる好循環につながるというわけです。

では、次回は、じゃあ「緊急度低いが重要度高い」チャレンジとしての「議論用でなく構想用のアジェンダ」を作っていくにあたって、どういう質問にフォーカスすればいいのか?について書きます。
題して
2(大枠の方針編)「批判」だけでなく「代替案」だけでなく「●●」を考えることが本当の責任
「批判じゃなくて提案する野党」 って蓮舫さんが言ってましたが、大事なのは「提案」じゃないんですよ。「●●」について考えることで、1−2割しか投入できないこのプロジェクトがさらに焦点が定まった「やってる意味あるプロジェクト」になるわけです。
水鉄砲の水は穴が小さい方がイキオイよく遠くまで飛ぶ!ということだ!
それではまた、次の記事でお会いしましょう。多分遅くとも明後日までにはこの記事の続きは掲載できると思いますが、ツイッターをフォローいただくか、ブログのトップページを時々チェックしていただければと確実です。「こいつ面白いこと言うやん」と思われたあなたは、私のウェブサイトから活動紹介や著作群などへとどうぞ。

倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
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ちなみに、ブログ再移転しました。ブックマークされてる方は変更をお願いします。

新ブログトップページ↓
http://keizokuramoto.blogspot.jp



で、久しぶりのブログ更新、しかもブログ移転一回目・・・がテレビドラマの話題ってなんてミーハーなって感じもしますが、2016年最大の(たぶん)ヒット作となった『逃げ恥』が超よかったので、年末だしそれについて書きます。

全体的に言って、「自分らしく生きる」っていう現代的に超超超言い古されたことについて、ちゃんと一歩ずつ考えて一歩ずつ実現していかなくちゃね!っていう気持ちになったところが凄く良いドラマだったと思ってます。夫婦で見てて毎週二回は泣いてました。

このブログはそういう方向で、

・『逃げ恥』のどこにこんな感動するのかって話
と、
・それはある種「運命へのニーチェ的向き合い方」なんじゃないかって話(より正確には”一連の実存主義哲学”)
と、
・「他人の人生を生きないで、自分の個別性(自分らしさ)を生きること」っていう「言い古されたこと」を私達が本当にちゃんとやりきるにはどうしたいいのか?
というような話に広がっていく予定です。

日本から老害を一掃して残業を減らす唯一の方法

なんか挑戦的なタイトルになってしまいましたが、ただ最近「老害」っているんだよなァ〜と物凄く実感することがあって、その詳細をそのままは言えませんがそのやるせない思いをより広くて皆様と共有できるテーマとして昇華して書いてみたいと思っているんですが。

あなたは、「老害」って言葉、キライですか?好きですか?

私は最近まであまり好きではなかったです。老害扱いされてる人にも、うまく使ってあげればそれなりの価値やら色々あるんだぜ・・・と言いたい気持ちが結構あって。

ただ、そんなこと言ってると「老害さん本人」が「自分の老害性」を一切意識せずにノウノウと暮らし続ける反面、困ったことにその「老害さん」は権力持ってたりするのでその集団全体の適切な運営がどんどん滞り、直接的には「ヤル気のある若手」さんが、そして結果的には「その組織の人全員」が非常に困った状況にみんなで追い込まれていくことになってしまう。

物凄く大枠での言い方をすると、過去20年にわたる日本の苦境はこの「老害さんをどう扱うか」について、思い切りの良い諸外国のように何のテライもマヨイもなくボコボコに権力を奪って放逐していくような思い切ったマネジメントができなかったから・・・と言ってしまっても悪くないかもしれません。

ただね。現状の日本は、老害さんたちを腫れ物に触るように扱って捨てずにいたので、社会全体が「トランプvs反トランプ」みたいにどこまで行っても平行線な対立に落ち込んだり、スラム街がどこまでも悲惨なスラムになっていくようなことは避けられたり・・・というプラス面もあったんだろうとは思います。アメリカに比べたらまだ貧富の格差もまあマシなレベルに留まっている。

つまり、なぜ日本が「老害さん」たちを諸外国のようにはボコボコに斬ってしまえないかというと、「その老害さんが代表しているものの中に自分たちの良さの根幹も混ざっている」からだと言えるでしょう。