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中国を「ドラゴンボールのベジータ」扱いすることが東アジア平和のカギ。

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4月15日土曜日は、 地味に色んな人が「米朝開戦の危機」と騒いでいて、三重県の山奥に住んでるアメリカ人の友人の家に滞在しながら(これは別に疎開してたんじゃなくてもともとずっと前から遊びに行く予定だっただけですけど)、チラチラとスマートフォンが気になって仕方がないみたいな微妙な時間を過ごしました。 とりあえず、一番「危機」的な状況は回避できたんじゃないかという様子で、かなりほっとしてます。 勿論まだまだ何があるかわからないわけですが、しかし単に最大の危機をやり過ごせたというだけでなく、むしろ、「こうなったらいいな」と長い間思っていた流れになったんじゃないかという予感もあり、現在の状況を「 欧米的な戦略論の見地だけではなく、”東アジア流のモノの見方”で」眺めて見ると、新しい視点が見える んじゃないかと思うので、ぜひ聞いて欲しいわけですが。 ・ 今回の北朝鮮危機は、米軍がシリアを爆撃して「見せ」て、かつ空母部隊を東アジアに持ってきて、日韓との連携を威圧的に見せつけ、「次核実験したら先制攻撃もありえる」と発表し、一方で中国には何度も「あいつを抑えるのはアンタの責任だぞ」アピールを続け・・・という状況で、もし北朝鮮がこれでも折れずに核実験を強行したら、米国側としては「振り上げた拳の持って行き場」がなくなってしまって本当にキケンな状況ではあったわけですが。 結果として、ずっと「核開発&ICBM開発で米国直接核攻撃能力を得るまで一直線!」だった北朝鮮が、予定されていた?核実験を回避し、ミサイル実験も米本土向けのものではないのを一発だけ・・・ということで、 ちゃんと「忖度」するモードに入ったこと自体は非常に非常に評価できる と思います。 そして何より、 中国が「ちゃんと北朝鮮を抑える役割」を果たすポジションになったこと自体もメチャ大きい。 シリア爆撃したり、空母部隊持ってきたり、沖縄の基地に戦闘機を並べて見せたり、先制攻撃の可能性について言及したり、自衛隊などとの連携をアピールしたり・・・というのは、「トランプ&安倍嫌い」の人から見たらほんと「許しがたい野蛮人の振る舞い」に見えるかもしれませんが、そして本当に「危ない橋を渡った」ことを否定するものではありませんが、「東アジアの流儀」的にこの問題を解決しようとするならば、私の感覚としては「適切なタイミン

村上春樹は『男の敵』か?『女の敵』か?

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村上春樹氏の 新刊「騎士団長殺し」 を読もうか迷ってる人のためのガイド・・・にかけつけて ・「村上春樹作品の本質とはいったい何か?」 ・「騎士団長殺し」は過去の彼の作品とどこが違うか? について深掘りしてみる記事の二回めがこちらです。 一回目は「村上春樹作品の本質とはいったい何か」について書きました。そちらを先に読みたいかたは →ここからどうぞ。 前回の結論を簡単にまとめると、 村上春樹作品とは、過去からの文化的惰性が通用しなくなった社会において、新しい自明性を獲得しようとあがく試み であり、村上春樹作品を通して、「村上春樹作品の良さが理解できるタイプの読者」が獲得しようとしているのは、 小さく言うと他人との人間関係の1つ1つであり、そして大きく言うと自分の人生全体を、「自分で考えたテーマに沿って自らハンドメイドに形成していく力が私達にはあるはずだ」という勇気 であり、具体的な「しぐさ」のレベルで、崩壊してしまった社会の自明性をゼロから立ち上げなおそうとする 「新しい現代的に通用するセルフイメージの再構築」 が行われているのだという話でした。 では今回は、「騎士団長殺し」が彼の過去作品とはどう違うのか?について考えてみます。 「騎士団長殺し」は、かなり「彼の過去の作品群に出てきたモチーフ」が何度も出てくる作品になっていますが、その「扱いの細かな違い」ゆえに、「今まで彼が踏み込まなかった領域」に大きく一歩を踏み出した作品になっていると私は考えています。 今回の記事に目次はこんな感じです。 1・過去作品たちと似ているモチーフたち 2・しかし過去作品とはここが違っている 3・その違いがもたらしているものは何なのか? キーワードは、よく彼本人の言葉として語られている「デタッチメントからコミットメントへ」という話につなげて、今回は 「コミットメントからインテグレーションへ」というキーワード を私は考えています。 ・ 1・過去作品たちと似ているモチーフたち 今回の作品は、かなり「村上春樹作品あるある」なネタがたくさん出てきましたね。 ・裏庭にある異世界へ繋がる穴 ・理由が明示されずに突然終わりを告げる夫婦生活 ・登場した瞬間ディズニーの版権の厳しさをネタにするトボけた「イデア」氏 ・疑問文のトー