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「知的なネット論客さんたち」との協力関係によって、「●●人を殺せデモ」みたいな不幸な形で噴出しているエネルギーを、「ど真ん中の道」へ誘導したい。

最近、「日本がアメリカに勝つ方法」に対する色々と「熱い」反応が・・・特に伝統的なタイプの「革命家気質」というか、「社会運動家気質」の方からの反応がネット上でちょくちょくあるんですよね。

しかも、「ネットにもこんなに本当の意味で知的な人がいるもんなんだなあ」ってぐらいの的確な批評をしてくれてるんですよ。

なんか、「本当の意味で知的」ってちょっと煽ったような言い方だけど、要するにただインテリ世界の中での内輪のおしゃべり・・・で終わっちゃいけないだろ!?っていう責任感がある「知性」の形っていうかね。

「そういう革命家型の知性さん」たちとの相互作用によって、日本を「奥底からかき混ぜる」ことができるんじゃないか・・・っていう感覚すら最近抱くようになってきてます。

とりあえずそういう人たちの実例として、凄い熱烈な連続ツイートで「日本がアメリカに勝つ方法」を紹介してくれた人がいるんで、その連続ツイートを転載させてもらいながら、この記事のタイトル

「知的なネット論客さんたち」との協力関係によって、「●●人を殺せデモ」みたいな不幸な形で噴出しているエネルギーを、「ど真ん中の道」へ誘導したい。

みたいなことを書こうと思っています。

この連続ツイートをしてくれたのは本職が雑誌編集の方らしく、要約も意味付けも凄い適切、かつ面白い、一種の「名文」だなあと惚れました。

こういう「潜在力」のある「ネットの良心」みたいな人は実は凄く沢山いる予感がするんですが、今は”細かい論点における意見の違い”によってそれぞれバラバラな小宇宙の中だけで生きてるんですよね。

で、結局ネット世界のマジョリティは、もっとヤサグレた叫びで一色に塗りつぶされたような方向性になっちゃってるんですけど。

でも、こういう「知的良心」さんたちのそれぞれが生きている「小宇宙」同士の「細かい違い」を超えた「大きな方向性」がだんだん潮流として立ち上がってくれば、「ネットの良心の集合知」みたいな、ネット普及期にはロマンチックな夢想として語られたもののぜーんぜんそんなの実現しなかったよね!ふぅー(遠い目)みたいな理想が、ほんとうに実現する流れになるんじゃないかとすら思い始めています。

っていうのも、最近僕の著書とかに反応してくれている人のネット上での普段の言動とかを見ていると、たとえば「原発・消費税・リフレ政策・アベ政権」・・・その他の色んな個別の論点においては、かなり強烈な「賛成派」も「反対派」もいるんですよね。

それどころか、海外在住のリバタリアンみたいな人もいるかと思えば、特ア(中・韓のこと)排斥主義者のネット右翼さんもいる・・・ってな感じなわけで。

で、そういう風な「響き方」をするのって、ちょっと人の良さそうな振る舞いをしてればいいってわけじゃないんですよね。

そんな口先だけの「良い人ぶり」で超えられるようなナマヤサシイ断絶じゃないから、ここまで世界中を巻き込んで大問題になっているわけなんで。

たとえばこの記事(各論での反対論で紛糾せずにわかりあえる言論をするために”何を言わないべきか”について吟味したいという話)とか、この記事(果てしなく寛容さを発揮し続けた先のポジションの価値を世の中に提示するにはどういう戦略が必要かという話)とかで書いたような言論の方向性の徹底的な再吟味を長年やってきて、やっと結実しつつあるものなんですよ。

あとは、リアルな人間関係の縁の積み重ねの中で、たとえば自分のところのSNSの会員さんたちとの繋がりにおいて、普通なら切り捨てた方が絶対マネタイズに有利なタイプの人も決して切り捨てずに関係を維持してきた・・・っていうような「そのための特注品の工夫」を積み重ねてきたことでやっと実現している「情勢」ですからね。

で、その他の細かい色んな算段を10年単位で積み重ねてきて、やっと実現しつつある「この情勢」をベースに堂々と世の中に売りだして行くことで、

今は「不幸な形」でしか噴出していない感情エネルギー

を、

「断罪することなく包含し、より良い方向に誘導する」

ことをやっていきたい。

恵まれた自分のポジションを利用して他人への優越性をひけらかすような欺瞞に満ちた言論は、徐々に辞めて行きたい時代ですしね。

それが、「アメリカ文明の外側にあるもの」が噴出しまくってにっちもさっちもいかなくなってきている現代世界における「喫緊の、そして最大級の課題」だし、日本人が一番うまく解決できる問題でもあるし、しかも世界中の人たちがそれを潜在的には待ち望んでいる情勢でもありますからね。

それがタイトルの、

「知的なネット論客さんたち」との協力関係によって、「●●人を殺せデモ」みたいな不幸な形で噴出しているエネルギーを、「ど真ん中の道」へ誘導したい。

なんですよね。

と、いうわけで、とりあえず以下転載です。

(ほんとはツイートから一個ずつ引用リンクを貼るべきなんだろうけど、あまりにも数が多いのでコピペで失礼。この方です


倉本圭造「日本がアメリカに勝つ方法」を読了。この本には狂気しか感じない。話題になっていない意味がわからない。それは「たった300ページ足らずの著作で20世紀を本気で終わらせようとする」狂気であり、「その300ページ通してド正論しか言っていない」狂気である。

この本にはサブタイトルに「日本経済、大反撃のシナリオ」とあるが、版元は人文系に強い晶文社である。これはどういうことか。本書はビジネス書(笑)の体裁をした思想書であり、そこに描かれているのは「芸術方面ではなく社会統治方面に全力を振りきった坂口恭平」のようなあり方だ。

「ド正論の狂気」とはどういうことか。それは誰もがうすうす「そりゃあ、今の社会は悪い部分もあるし、【みんな】がそう思ってくれるなら直したいけどさ」とおもっている部分を「じゃあ、直しちゃえばいいじゃん」と言い切ってしまうことだ。

そしてさらにすごいのは、彼がそのロジックを組み立てるにあたって、誰も否定しないことだ。倉本圭造は、ネトウヨを否定しない。内田樹(じゃなくてもいいけど)的20世紀リベラルを否定しない。グローバリゼーション信仰を否定しない。否定するのは「相手のことを理解せず否定する者」のみである。

20世紀あるいは近代というのは、死ぬほど単純化していえば「イデオロギーの否定と別のイデオロギーの推進」のエネルギーによってつくられた時代のことだ。

現在のグローバリゼーションの萌芽である資本主義/帝国主義の勃興により、非近代化状態では植民地になってしまう、というエネルギーによって近代化を進め、一方で「資本主義なんか一部の富裕層が得するだけじゃん」という抵抗勢力によって生まれた共産主義の帰結は誰もが知るところである。

共産主義の衰退によって資本主義(アメリカ帝国主義)一強に収まるかとおもいきや、9.11、アフガン・イラク戦争、ウォールストリート占拠運動、クリミア問題など、アメリカ帝国主義に立ちはだかる「抵抗勢力」は無数に立ちはだかる。

さらにその間にも、ITバブル崩壊や金融危機もあった。倉本圭造はこれらの事象を指して「あるイデオロギー【のみ】を強制適用しようとした場合、かならず強大な抵抗勢力がどこかから現れ、それを打ち倒す」と看破する。これこそが20世紀の限界である。

ある一方の価値観を打ち出そうとする際、対極に位置する価値観を否定してしまう、ということは、自身の価値観の評価を高めるために誰しもが使ってしまうテクニックだ。しかしそれでは立ち行かなくなる例は、民主党政権、反原発運動、韓国人へのヘイトスピーチなど枚挙にいとまがない。

では21世紀はどうすべきなのか。彼はそんなあらゆる問題を解決するために「あらゆる立場から発せられる有用な解決方法【のみ】をきちんと取り入れられる社会のムードを醸成しなければならない」と語る。本書はほとんどこの1つのテーマについてしか書かれていない。

右翼も左翼もネオリベもオタクもヤンキーもエリートも包摂し、「ほんとうのさいわい」のみに向かう社会をつくること。それが「日本がアメリカに勝つ方法」であるとし、それができるのは敗戦を乗り越え世界1位の経済大国になりかけながら20年間も地獄のデフレ経済を苦しみ抜いた日本だけであると語る

これだけ書くと「お前そんなの本気でできるとおもってんのかよ?」とツッコミたくなるが、最初に書いた通りこの本は「狂気の1冊」なのである。その一端は彼のブログでも垣間見ることができるので、読んでみることをおすすめする。http://keizokuramoto.blogspot.jp

というわけで倉本圭造「日本がアメリカに勝つ方法」まじでおすすめです。たぶん今年のベスト本になるとおもう。

んでんでさらにすごいのは「ある一方の価値観を打ち出そうとする際、対極に位置する価値観を否定してしまう、ということは、自身の価値観の評価を高めるために誰しもが使ってしまうテクニックだ。しかしそれでは立ち行かなくなる」ことはビジネス(笑)だけでなく誰しもにありえることなんだよね

そんでもってそんでもって、ここが一番すごいんだけども「日本がアメリカに勝つ方法」はここで書いたような話を、橋本治に影響されたとおもわれる軽快な文体で、中学生でもわかるようにわかりやすく書いてることなんだよね。このわかりやすさ、身も蓋もなさ、まじで半端ない

まさにこれ、読みましたよ〜。まじで今年ブレイクするひとだとおもいます。あらゆる事象をほぼすべて同じロジックでぶった切れるのがすごすぎますね

(転載終わり)







なんか、熱いですねえ。僕はこういう文章書く人が好きです。

ちなみに余談ですけど、よく言われるんですけど僕は橋本治さんの本を一冊も読んだことがないんですよね。

むしろなんか自分の文体に影響を与えているのは、「この世代の関西人」として特に熱心なファンでなくても不可避な影響としてのダウンタウン松本さんの全盛期のフリートークの間合いだと・・・いや、どこがやねん!ってファンに怒られるかもしれんからアレですけど、自称、ですよ自称ね。自分じゃそうかなと思ってるってだけです。

僕が子供の頃までは、関西弁ってほんの10キロ違う地域に行くだけでイントネーションが大きく違うなあ!って印象だったんですけど、ダウンタウン松本さんが活躍しだしてからかなり平準化が進んだ感じがあるんですよ。

大阪でも京都でも神戸でもかなり似た感じの話し方になってきてる。

そういうレベルの、「関西人の共有財産」的な物事の捉え方のトーンがここ20年ぐらいの間に醸成されてきていて、僕はダウンタウン松本さん本人じゃなくて「その影響を受けながら変化してきた関西人たちのモード」から直接影響を受けてる感じなんですよね。(もちろん、ネット時代特有の”全ての暗黙知を形式知化していく饒舌文体”っていうものの影響も凄くあると思いますけど)

つまり僕の「ルーツ」があるとしたら、松本さん本人というより「彼とここ20年間影響を与え合いながら共有財産を作ってきた地元の友人たちの空気」だと思ってます。

ヒップホップ文化的にいうと、「俺はやっぱどこまでグローバルな問題を扱う時でも、彼らのことレペゼンしてぇーって思ってっからよぉー!」的な感じですね。

・・・って長い余談でしたけど、話を戻すと、あと他の例としては、もう一個最近気になるレビュアーさんがいて、それは最近アマゾンの、僕の著書二冊に両方書いてくれてる人なんですけど。



まずは「21世紀の薩長同盟を結べ」の方がコチラ↓

無条件で推挙, 2014/3/21
By 宗像太郎
レビュー対象商品: 21世紀の薩長同盟を結べ (星海社新書) (新書)
無条件で推挙したい。日本の論客たちは入り乱れて、名論卓説を発表している。志の高い実践者も数多い。にもかかわらず、状況がいっこうに打開できない原因を指摘している。前人未踏の説である。まだ30代、この若さでよくここまで考えていると感心する。小林秀雄のような大御所の言論が、ある意味では、甘く見えてくるほどだ(あくまでも、ある意味では、である)。

しかし、書店の棚ではこの本をもう見かけなくなった。あまり売れなかったのだろうか。だいぶ前に発刊された星海社新書でまだ書店に並んでいるアイテムもあるのに、残念である。原因の一つは、内容も紙面も詰め込みすぎの印象があることではないか。紙面は意図的にページの端まで字がある腸詰め状態にしたようだが、賢明とは思えない。新著の『日本がアメリカに勝つ方法』も同じ腸詰め紙面である。著者に拘りがあるのだろうが、よくわからない。

また、『日本がアメリカに勝つ方法』もそうだが、タイトルの与える印象が内容と全く違うことも売れ行きに影響していると思う。説明を聞けば、たしかにタイトルがこうなっている意図はわかる。しかし、書店で見かけた人は、薩長同盟などという言葉を使ってあるだけで、坂本龍馬に憧れるプレジデントおじさん向けの本と思うだろう。それはほとんど不可避である。マッキンゼーで鍛えられた、これだけ頭の良い人がなぜこんなに自分に不利なことをあえてするのか、不思議である。異能の人は、やはり常人にはわからない拘りがあるのだろうか。

それにしても、この本は日本の未来を切り開きたい人の必読書だと思う。共感する人は普及に協力すべきである。つまり、推す。何部も買って、友人に読ませる。AKBメンバーなどを「推し」ている場合ではない。(了)




「日本がアメリカに勝つ方法」の方がコレ↓

 日本の未来を真剣に考えたい人の必読書, 2014/3/24
By 宗像太郎
レビュー対象商品: 日本がアメリカに勝つ方法: 日本経済、大反撃のシナリオ (犀の教室) (単行本)
本書を読んだあと、前著の『21世紀の薩長同盟を結べ!』のレビュー欄にこう書いた。

無条件で推挙したい。日本の論客たちは入り乱れて、名論卓説を発表している。志の高い実践者も数多い。にもかかわらず、状況がいっこうに打開できない原因を指摘している。前人未踏の説である。まだ30代、この若さでよくここまで考えていると感心する。小林秀雄のような大御所の言論が、ある意味では、甘く見えてくるほどだ(あくまでも、ある意味では、である)。

このコメントは、本書へのものでもある。さらによく当てはまる。私も、ごく小さい世界ではあるが、言論活動をして、自説に基づいていささかの実践を試みた。しかし、本書にある通りの行き詰まりを感じた。つまり、ある程度までは「そうだよね!」という仲間が集まるのだが、その先に行かない。私に直接反発したというわけではないが、私と対照的な言説や実践が逆サイドに形成され始めた。そして、その逆サイドとは敵対してはいないが、対話ができない。つまり、私は私で一貫しているのだが、逆サイドも彼らでそれなりに一貫した、言説と実践を持っている。内的に一貫している同士なら、冷静な対話ができそうに思うのだが、実際にはできない。その不思議を感じてきた。P96の図1-2は卓抜である。私の実感をヴィジュアルにしてもらった快感がある。

東浩紀もどこかで同じようなことを書いていた(出典を知っている方は教示を乞う)。南京事件についてだったと思うが、両サイドがそれぞれの事実関係のソース(証拠)を持っている。また自説を補強するロジックを固めている。つまり、それぞれが強固な完結したパッケージのようになっている。だから、一方が、相手のソースや論理の不備を一つずつ指摘して、公正な議論をしているつもりでも、相手側はビクともしない。「ああ言えば、こう言う」状態で、フラストレーションと嫌悪感が増すばかりである。そういう対話から何かが生まれるという期待は諦めた方がいい、というのが東浩紀の論旨だったと思う。慰安婦問題、原発問題などはまさにそういう状況である。

そういう現状認識が第一章である。素晴らしい!しかし、本のタイトルもそうだが、章タイトル「最速の改革は、むしろ『横綱相撲』から始まる!!」も、読み終わった者にとっての要約ではあっても、買うかどうかを検討する者は内容を予想しにくい。これはもはや倉本圭造の骨がらみの拘りであろうから、苦情は言わないことにする。しかし、編集者は何も言わないのだろうか。少なくとも、本のタイトル(そして帯)は編集部の専権事項だと聞いたことがあるが。

第二章「水が低きに流れるように、なすがままになさしめよ」は、実践的な行動指針が書かれている。一読してすでに有益な:ことが書かれていると思ったが、再読してから、コメントしたい。日本の未来のため、この本の普及に協力するのは急務だと思うので、急いで投稿する。



あとはこの前、元・毛沢東主義者の新左翼革命家のオジサンからのファンレターも紹介しましたけど、なんかこういう「うるさがた」っていうか「シリアスな人たち」にちゃんと深いところから響いてくれてるのは、凄い可能性を感じてる部分なんですよね。

普通はなかなかリーチできない層ですからね。

そうやって「一番奥底」からかき混ぜていかないと、本当に世の中の転換は起こせないですしね。「彼ら」が納得してくれないと、彼らの存在にバックアップされた「抵抗勢力」さんに阻まれて、あらゆる改革が、結局上滑りになってしまうんで。

で、この「宗像太郎氏」が、「タイトルがプレジデントおじさん向けみたいなのがよくないんじゃないか」って言っておられますけど、でもね、「プレジデントおじさん」もバカにできたもんじゃないんですよ。

世の中のかなりの部分を、特に日本は「プレジデントおじさん」が動かしてるとこありますからね。

もっとインテリ的に狭い範囲で「気取る」ことができるタイトルや体裁にすれば、「インテリ世界の中」で「こんな高尚なことがわかる僕たちって凄いよね」っていう広がりは容易になるんですけど、「その先」がないですから。

今、日本を本当に「改革」したいと思って日夜頑張っておられる人は、常にその「抵抗勢力」さんたちに悩まされてると思うんですが、その「抵抗勢力」さんを根がらしにするためにこそ、この「プレジデントおじさん」たちのところまでリーチしなくちゃいけないと僕は切実に思ってるんですよね。

で、その「プレジデントおじさん」の背後には、「ネット右翼さん」を支えている「何か」が共通してあるんですよ。

あるいは最近の経済論評の常套句である「岩盤規制」を維持している「何か」がそこにあるんですよ。

よくインテリさんが言う「日本社会の”古層”」ってやつですね。



で、彼らのよくない部分に対して批判したり、「改革」の圧力を加えて行くこと自体はどうしても必要だし、その役割の方にはどんどんやっていっていただきたいんですが、それに対する「ハサミ討ち」の形として、

「抵抗勢力さん」の側の「本質的な存在価値」を代理で実現して、「彼らの存在価値」を根がらしにする

っていうような「作戦」がどうしても今の日本には必要なんですよね。

で、その「流れ」を産み出す起点として、僕は、

今「ネット右翼さん」のよくない側面として噴き出しているエネルギーを、この「ど真ん中の道」に誘導したい

と切実に思ってるんですよ。

ネット右翼さんって、いわゆる一般的なイメージにおける「知的」って感じじゃ全然ないように見えますけど、でも凄いマニアックな本読んでますからね。東京裁判の細部とか、中韓との歴史問題についての細部とか、TPP問題の細部とか、”デフレ脱却理論”の細部とか・・・・について、かなりマニアックなものでも読むだけの熱情がある人達ですから。

「そこ」まで届かせたいんですよね。

彼らが読んでるマニアックな本たちよりは、よっぽどリーダビリティがある本にしてますから。まあ、「ゴーマニズム宣言」は漫画だから・・・ってのがあるけど、その一歩手前ぐらいには「読みやすい」本になってるはずですし。

そもそも、20年前に今の「ネット右翼ムーブメント」を炊きつけはじめた人たちも、●●人を殺せ!とかいうデモが頻発するような情勢になっちゃうと、今は結構「困ってる」と思いますしね。

無責任に炊きつけちゃったけど、ちょっとヤバイな・・・どうしよっかなーって思ってるはずですし。

でも、ネット右翼さんをただ断罪するのはフェアじゃないってのは、色んなところで何度も言ってるように僕の人生の一番根底的な価値観でもあるんで。

今は、国際的に見ても問題多いし、しかも構造的にいくら熱量を発揮してってもその先に経済合理性がないところで「噴出」しちゃってるエネルギーですけど、でもそのエネルギー自体に罪はないはずですから。

それが「よくない噴出の仕方」をしているとしたら、それをちゃんと「良い噴出の仕方」に持っていけてないのはリベラル側の仕切り方が未熟なせいだ・・・っていうところの責任感を、やっぱり21世紀のリベラルは持つべきなんですよ。

そこで、「彼ら」より「自分たち」の方が倫理的に上だとか人間的に偉いとかいう幻想に乗っかってアレコレ言うのはやっぱり欺瞞ですからね。



でも、この記事で紹介してきたような、「大マジに知的なネット論客さん」たちに熱量を持って迎えてもらえる情勢になると、だんだん僕ももっとエンタメ寄りに、広い範囲の人に受け入れてもらえる軽い感じになっていってもムーブメント全体が有意味性を失わずにいられる情勢になってくるんですよ。

だから、「革命家気質」の大マジに知的なネット論客の読者さんたちには、ぜひそのままの位置でどんどん熱量を注ぎ込んでいって欲しいんですよね。

「宗像太郎」さんみたいに「AKBの代わりに倉本圭造を推す。何部も買って友人に読ませる」という形でもいいし、ネットでの表現によって「あなたの生きてきた文脈」に「倉本圭造を位置づけるタグ付け」をやるのでもいいし。

(ちなみに、ネット上で何かを書かれる時に、著書中の図を利用したい場合はこちらで著作権フリーで公開しているのでご利用ください)

今までは「そういう役割」をする場所に「僕本人」がいなくちゃいけなくて、僕単体でやってるとどうしても流されないために「悲憤」とか「憂国」みたいな色彩のことをしてなくちゃいけなかったんで、ちょっと文体とかが重く湿ってしまう部分があったんで。

あなたがたとの「ハサミ討ち」の形が実現できるようになれば、僕自身も、そして読者のあなたも同時にもっと軽い感じの、より広い範囲の人が入りやすいようなモードで、「同じ狙い」が実現できるようになっていくんですよね。

あなたがたが「タコ糸」を持ってくれれば、僕が遠慮なく「タコ」になって舞い上がってもムーブメントが有意味性を維持し続けることができる・・・っていう構図があるんで。

協力しあいながら、今はよくない形でネット右翼さん的に噴出してしまっているエネルギーを、「ど真ん中」へ注ぎ込めるようにしていきましょう。

それでこそ、「リベラル側からの戦後レジームの総決算」ですからね。

でもなんか、本とかネットに書いた記事とかで「この人面白い!」ってなった時、女の人はわりあい「直感で行動!」的に直接コンタクトしてきて会員さんになってくれたりするんですが、逆に男の(特にオジサン世代)の場合は僕に直接コンタクトは決してしないような凄く遠い位置から、色んな文脈とか色んな過去の論客さんとかを引き合いに出しながら、

「倉本圭造の言説を位置づけて理解するタグ付け」

みたいなことをやっていってくれるのが面白いですね。

直接はコンタクトしてこないからといってそれが適当な反応かというと全然そんなことなくて、むしろかなりその人なりの知情意を総動員して、その人の人生の持ち場において我がこととしての責任的なものを持って着々と「位置づけ」をしていってくれている静かなプロセスを感じます。

なんか一生親しく付き合うことにならなそうなんだけど、でもお互い「信頼」していけそうな感じというかね。

でもそういう「タグ付けプロセス」こそが、本質的な意味での「社会に理解される」ってことなんだろうな、と最近思い始めています。

そういう言説を見て、「そうか、オレのやってることはそういう文脈で理解できるのか!」って「発見」するみたいな新鮮な喜びがあるし。

それに、そういうオジサンたち(もちろん、若い男性とか”分析的志向”の強い女性も多くいるでしょうけど)と僕とは、遠くにいるからこそ、シッカリ同じ目標に向かって動いていけるってところがあるんでしょうしね。

あなたがたはあなたがたの位置で、社会をちょっとずつ「ど真ん中の共有軸」へ動かしていけるように、できることをやっていっていただければと思います。

そうやって

「ハサミ討ち」

の形でだんだん圧力を加えていけば、根底的な意味では「生命的合理性」みたいなんがある話ですから、どこかで弾みがついてきますからね。

それは、ウクライナ情勢とかで、「アメリカ文明が外側に弾きだしてしまったもの」と「アメリカ文明」との対立がニッチモサッチモ行かなくなっている世界において、「最高級の貢献」ですからね。

「全世界的なニーズ」があり、かつ「日本人の切実な願い」でもあることなんですから。

無理に無理を重ねてネジレてきたゴムがギャーーーンと戻っていくような瞬間がやってきますよ。

今は「ネット右翼さん」として、ある意味よくない方向性で噴出しているエネルギーを、ほんのちょっと角度を変えて「ど真ん中」に誘導するだけですよ。

それ”だけ”でいいんです。

そしたら日本が、世界が変わりますよ。

今後ともよろしくお願いします。





(後日追記)

なんか、結構ぞくぞくとこういうタイプの書評家さんが現れてきている感じなので、せっかくですからここにリンクを追記していきたいと思います。

2014・4月03日

インディーズメディア「未来回路」運営者の中川康雄さんに、非常に丁寧で俯瞰的な書評を頂きました。

(以下少し抜粋・・・全文は上記リンクへ)


まずこの引用から始めたい。

戦争時代に近隣諸国において悲劇的なことを起こしてしまった被害者の人たちに対する反省を本当に貫き通すためにも、そして靖国に眠られている英霊たちが「この世界全体の中では犯罪者」扱いされ続けるのではなく、人類史全体の押し合いへしあいの中で、時代に翻弄されながらも必死で生きざるを得なかった純粋な魂そのものであると堂々と世界に対して胸を張れるようになるためにこそ、私達は「次こそ」は、「どこまでも純粋なほんとうのこと」のために立ち上がらなくてはならないのです。(p.293-294)

この文章を読んであなたはどのように思うだろうか。これは本書の最後の方に書かれたものだが、最初に読むと一種のリトマス紙のようなものとして機能するかもしれない。ここでは政治思想において対極にあるようにみえるリベラルと保守をハイブリッドした風景を描き出しているように見える。そして、これが本書の指し示す未来の日本のビジョンなのだ。読み進めていく中で、このビジョンが成り立つバックグラウンドを理解していくことができる。

正確にはこの二つの政治思想だけではなくほとんど全ての立場の上位に、ある「ゲームのルール」を設定することによって、相反しつつもまとまる形を作っていくのだ。そのルールとは、「みんなのためになること」。本書ではそれを新しい合意形成のあり方として設定し論を進めていく。

これはただの綺麗な正論と思われるかもしれない。そんなことは誰もが一度は考えることで「現実」はもっと複雑でなかなか収拾のつかないものなのだと。しかし、著者はその正論を歴史的な流れの中での必然として捉えるのだ。その正論が新しいのルールとなっていくのには根拠があることを示していく。そして、その根拠がタイトルの「日本がアメリカに勝つ」根拠なのである。

(中略)

よく考えると本書では、基本的に日本における様々なクラスタの人たちを褒める姿勢によって貫かれている。リベラルも褒めるし保守も褒める。そして、あまり社会には影響力を持たないと思われがちの人文系もそんなことはないと褒める。本書を読んである種の高揚感を得られるのは、たぶん、自分の価値をちゃんと認められることによるものなのかもしれない。つまり、本書の中で著者は自らの理論の実践をしているのだ。



このブログの人気の投稿

今更ですけど自己紹介を・・・その1.副題『原生林のような豊かでタフな経済を目指して』

このページはよほど倉本圭造に興味がある人のためのありえないほど長い自己紹介エッセイなので、サクッとコイツ誰なんだ?ってことが知りたい場合は、私のホームページの「Who?」欄をお読みください。(向こうにしかないコンテンツもありますし、とりあえずコンパクトに全体像がご理解いただけると思うので、かなりご興味を持ってくださっている方も、先に向こうをお読みいただけるとご理解しやすいように思います。その後以下の”長文”へと戻ってきていただければと)







最近出版の依頼を下さった人がいて、”出版社の女性社長さん兼編集者”としてギョーカイでは結構有名な人らしいんですが、「21世紀の薩長同盟を結べ」本体を読むまで、プロフィール欄を読んでも「???」って感じだったと言われたんですよね。

その「???」になったっていう文章は、本の著者プロフィール欄に記載されているコレなんですが。

1978年神戸市生まれ。兵庫県立神戸高校、京都大学経済学部卒業後、マッキンゼー入社。国内大企業や日本政府、国際的外資企業等のプロジェクトにおいて「グローバリズム的思考法」と「日本社会の現実」との大きな矛盾に直面することで、両者を相乗効果的関係に持ち込む『新しい経済思想』の必要性を痛感、その探求を単身スタートさせる。まずは「今を生きる日本人の全体像」を過不足なく体験として知るため、いわゆる「ブラック企業」や肉体労働現場、時にはカルト宗教団体やホストクラブにまで潜入して働くフィールドワークを実行後、船井総研を経て独立。「個人の人生戦略コンサルティング」の中で、当初は誰もに不可能と言われたエコ系技術新事業創成や、ニートの社会再参加、元会社員の独立自営初年黒字事業化など、幅広い「個人の奥底からの変革」を支援。星海社新書より『21世紀の薩長同盟を結べ』発売中です。
で、「なるほど、意味わからない・・・かもしれないな」と思ったんで、それについて、一度まとめた文章を書いておいたほうがいいのかな・・・と思って、これから書きます。

『逃げ恥』が教える「自分らしく生きる」の本当の意味

あけましておめでとうございます。昨年の私は普段の仕事的にはそれなりに一歩ずつ経験積んで進歩してこれた感あるんですが、いかんせん本出したりネットに上げた文章が広く読まれて・・・という方向での活動としてはなんだか何もやってないも等しいような印象になりそうで、正直ちょっと焦ってもいます。

ただ今は、焦って本やブログを書いても、よくある「右や左の紋切り型」にしかならない難しい状況に世界がどんどんなっていくなあと感じていて、そうじゃなくて「個別の事例」と仕事で向かいあう中から立ち上がってくる何かを信じて積んでいきたい気分だというか・・・ま、もうこの歳になると自分はマイペースにしか生きていけない人間だってところは骨身にしみてわかっているので(笑)、相変わらずそういうペースで今後もやっていきますので見捨てないでたまに気にかけてやって下さい。

ちなみに、ブログ再移転しました。ブックマークされてる方は変更をお願いします。

新ブログトップページ↓
http://keizokuramoto.blogspot.jp



で、久しぶりのブログ更新、しかもブログ移転一回目・・・がテレビドラマの話題ってなんてミーハーなって感じもしますが、2016年最大の(たぶん)ヒット作となった『逃げ恥』が超よかったので、年末だしそれについて書きます。

全体的に言って、「自分らしく生きる」っていう現代的に超超超言い古されたことについて、ちゃんと一歩ずつ考えて一歩ずつ実現していかなくちゃね!っていう気持ちになったところが凄く良いドラマだったと思ってます。夫婦で見てて毎週二回は泣いてました。

このブログはそういう方向で、

・『逃げ恥』のどこにこんな感動するのかって話
と、
・それはある種「運命へのニーチェ的向き合い方」なんじゃないかって話(より正確には”一連の実存主義哲学”)
と、
・「他人の人生を生きないで、自分の個別性(自分らしさ)を生きること」っていう「言い古されたこと」を私達が本当にちゃんとやりきるにはどうしたいいのか?
というような話に広がっていく予定です。

日本から老害を一掃して残業を減らす唯一の方法

なんか挑戦的なタイトルになってしまいましたが、ただ最近「老害」っているんだよなァ〜と物凄く実感することがあって、その詳細をそのままは言えませんがそのやるせない思いをより広くて皆様と共有できるテーマとして昇華して書いてみたいと思っているんですが。

あなたは、「老害」って言葉、キライですか?好きですか?

私は最近まであまり好きではなかったです。老害扱いされてる人にも、うまく使ってあげればそれなりの価値やら色々あるんだぜ・・・と言いたい気持ちが結構あって。

ただ、そんなこと言ってると「老害さん本人」が「自分の老害性」を一切意識せずにノウノウと暮らし続ける反面、困ったことにその「老害さん」は権力持ってたりするのでその集団全体の適切な運営がどんどん滞り、直接的には「ヤル気のある若手」さんが、そして結果的には「その組織の人全員」が非常に困った状況にみんなで追い込まれていくことになってしまう。

物凄く大枠での言い方をすると、過去20年にわたる日本の苦境はこの「老害さんをどう扱うか」について、思い切りの良い諸外国のように何のテライもマヨイもなくボコボコに権力を奪って放逐していくような思い切ったマネジメントができなかったから・・・と言ってしまっても悪くないかもしれません。

ただね。現状の日本は、老害さんたちを腫れ物に触るように扱って捨てずにいたので、社会全体が「トランプvs反トランプ」みたいにどこまで行っても平行線な対立に落ち込んだり、スラム街がどこまでも悲惨なスラムになっていくようなことは避けられたり・・・というプラス面もあったんだろうとは思います。アメリカに比べたらまだ貧富の格差もまあマシなレベルに留まっている。

つまり、なぜ日本が「老害さん」たちを諸外国のようにはボコボコに斬ってしまえないかというと、「その老害さんが代表しているものの中に自分たちの良さの根幹も混ざっている」からだと言えるでしょう。