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英語公用語化がむしろ引き出す日本らしさの本当の潜在能力。

先日、アメリカ在住の不動産投資家、Gen Shibayama(@gshibayama)さんと、たまたまツイッターで連続リプライ会話をしたんですが、それが凄い面白い(爆笑できるっていう意味で)だけじゃなくて、なんかもっと広い範囲の人に読んで貰う価値がある内容だったと思うのでシェアします。

テーマは、

・「楽天やユニクロといった英語公用語化」している企業の中に、むしろお行儀の良い日本の大企業にはない「日本らしさ」が宿っている部分があるのではないか。

・それをもっと引き出すにはどうしたらいいのか?


といったあたりです。

「英語公用語化」って、脊髄反射的に色んな人の感情を刺激してしまうテーマだと思うんですが、この話にいつも「全力で反対」しているアナタにも、多分読んで損はないものになると思います。

以下、まずツイートをそのまま転載します。(最初は意外な話から始まります)



















さて、シバヤマさんの貼っているリンクは、どれも行ってみたら凄い笑えるので、ぜひ行ってみてください。(特にユニクロのチラシとテレビCMの話が 笑)

最初は、ネット通販の世界の独特のウェブサイト作りの作法の話だったんですが、そういう「直接的過ぎる商売作法」が、「日本の伝統的な大企業」と組み合わさると途端にちょっとヘンな感じになるという話でした。

しかし、考えてみればあの英語公用語化で話題の日本が誇る「グローバル企業」である楽天さんは、まさに今でも「こういうサイト作り」が主流じゃないか?

楽天と並んで英語公用語化で有名な「グローバル企業」のユニクロも、「彼らのコアコンピタンス(本当の強み)」は、シバヤマさんがリンクしていた「チラシ」や「オバちゃんのテレビCM」の部分にこそ宿っているんじゃないか?

そして、彼らのように「英語公用語化」をしている会社には、むしろ「お行儀の良い日本の大企業」にはないような、こういう「商店街のオッサン」レベルの「日本らしさ」が宿っているように感じるのはなぜだろう?

ユニクロが最近ドメスティック重視に経営の舵を取ろうとしているのは、そういう「自分たちの本当の強み」に再度立ち戻ろうという試みではないか?

楽天やユニクロが海外での買収で苦戦する時があるのは、その「買収に関わっているピカピカの経歴の幹部さん」たちと、「自分たちの本当の強み」の世界が分断されているからではないだろうか?



英語公用語化をするような文化の会社が、日本国内の「恵まれた立場」の中だけでお行儀よくやっている会社にはないような、「日本のみんなの”地”」のような部分の強みを(会社が大きくなってからも)持っているのは面白い傾向だと思います。

「グローバルな文化」の影響を受けるということは、国内においても「一部だけの特権的な作法」では安住できなくなるってことですから、「グローバル企業」であろうとすると、「街場のリアリティ」と濃密に触れ合うことが必要になるんですよね。

「英語公用語化」というのは紛糾しやすいテーマですし、「賛成派」にも「反対派」にもそれなりの合理性がある話だと私は思っています。

しかし、国全体の教育じゃなくて一企業の方針ですから、別に彼らがそういう文化でやっていくこと自体は反対派も止めようがないし止める意義もないことですよね。

みんなが彼らのマネをするのは良くないが、一つの「実験」をやっている彼らに対して、彼らが「日本らしさ」をもっと世界に提示していく尖兵となってくれたら、誰のためにもなる話であるように思います。

そのために、もしあなたが「英語公用語化」に反対の論陣を張るタイプであるならば、「彼らを援護射撃」するようにするようにして欲しいと私は思っています。

今「英語公用語化」を主導している「ピカピカの人材」さんたちだって、本当にグローバル競争に勝つには、「彼らのいる会社全体の本当の強み」にアクセスできるようになっていかないといけないんですよ。

彼らは英語ができるから、グローバリズムの流れに直接影響を受ける。末端までトップダウンで動かせるタイプの欧米の競争相手と自分たちを日々比べながら焦っているのです。

しかし、ここで彼らが多少でも、いいですか、”ほんのちょっとでも”日本国内の事情とか日本人の集団の強みとかを一貫して発揮しようみたいなことを言い始めると、「日本人の集団」は彼らを徹底的に自分たちと同じ境遇に引きずり落として同じ苦労を味わわせてやろう・・・って方向に暴走しちゃうんですよね。

彼らには彼らのどうしても譲れない事情とかもありますから、そういう「どこまでもグダグダになる世界」に付き合っていくわけにはいかない。結果として、ある程度「現場のことは無視して切り回す」ことが必要になってしまう。

そういう不幸がここにはあるんですよ。

だから、「お互い全否定」の論調をだんだん辞めていって、「お互いの良さを発揮」できるようなど真ん中の論調に日本全体を持っていくべきなんですよね。

ウクライナ情勢の紛糾もあり、世界はアメリカ一極支配から多極化の時代に向かって行きますから。

それはつまり今後は、「アメリカ文明的にわかりやすい世界」と「その外側の”野蛮人”の世界」との間が今までのように「アメリカ側が押し切ってしまえる」状況ではなくなっていく世界情勢にだんだんなってくるってことですよね。

その中で、「グローバル市場のピカピカの人材さんの日本人」と、「英語公用語化に反対する論陣を張るタイプの日本人」という、お互いに「積年の敵」だった両者の間が、「同じ目標」を持てる情勢が近づいているのです。

「ピカピカの人材さん」たちが、ある程度「日本人の集団のリアリティ」を汲み取れるように、しかし彼らを日本的にドロドロ過ぎるコンセンサスの中に絡め取りすぎてしまわないように。

お互いの事情をちゃんと勘案した、「英語公用語化」のやり方が生まれていけばいいですね。

拙速に英語公用語化を行いすぎれば、日本人の本当の強みが雲散霧消してしまう可能性がある。だから、「国単位」の話には慎重になるべきです。

しかし、「ある程度実験的に尖兵」になってくれている人たちの中で、「日本人の本当の強み」のレイヤーと、「グローバル市場のピカピカの人材さん」との間の「英語によるコミュニケーションの作法」が積み重なっていけば、それは「日本の現場を無理やりグローバリズムで蹂躙する」のではない「グローバリズムの最先端に日本人の本当の強みを再生するプロセス」になるでしょう。

クリミア半島情勢が紛糾するに従って、「国内におけるクリミア半島」とシームレスに連動できる「半分野蛮人の国」の我々こそが、世界最先端の経営文化を生み出せる可能性があるわけですからね。

そういう観点から、「英語公用語化」のような「国論を二分」する問題についての、「自分とは反対側にいる日本人」とも共有できる方向性について、ぜひ考えなおしてみていただきたいのです。

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「日本の知性」と「日本の現場」の連動を取り戻すことが、「アメリカ的文明が踏みにじったもの」が反撃してくる「クリミア半島が紛糾する時代」における最先端イシューであるという話↓。

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倉本圭造
経営コンサルタント・経済思想家
公式ウェブサイト→http://www.how-to-beat-the-usa.com/
ツイッター→@keizokuramoto

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ちなみに、ブログ再移転しました。ブックマークされてる方は変更をお願いします。

新ブログトップページ↓
http://keizokuramoto.blogspot.jp



で、久しぶりのブログ更新、しかもブログ移転一回目・・・がテレビドラマの話題ってなんてミーハーなって感じもしますが、2016年最大の(たぶん)ヒット作となった『逃げ恥』が超よかったので、年末だしそれについて書きます。

全体的に言って、「自分らしく生きる」っていう現代的に超超超言い古されたことについて、ちゃんと一歩ずつ考えて一歩ずつ実現していかなくちゃね!っていう気持ちになったところが凄く良いドラマだったと思ってます。夫婦で見てて毎週二回は泣いてました。

このブログはそういう方向で、

・『逃げ恥』のどこにこんな感動するのかって話
と、
・それはある種「運命へのニーチェ的向き合い方」なんじゃないかって話(より正確には”一連の実存主義哲学”)
と、
・「他人の人生を生きないで、自分の個別性(自分らしさ)を生きること」っていう「言い古されたこと」を私達が本当にちゃんとやりきるにはどうしたいいのか?
というような話に広がっていく予定です。

日本から老害を一掃して残業を減らす唯一の方法

なんか挑戦的なタイトルになってしまいましたが、ただ最近「老害」っているんだよなァ〜と物凄く実感することがあって、その詳細をそのままは言えませんがそのやるせない思いをより広くて皆様と共有できるテーマとして昇華して書いてみたいと思っているんですが。

あなたは、「老害」って言葉、キライですか?好きですか?

私は最近まであまり好きではなかったです。老害扱いされてる人にも、うまく使ってあげればそれなりの価値やら色々あるんだぜ・・・と言いたい気持ちが結構あって。

ただ、そんなこと言ってると「老害さん本人」が「自分の老害性」を一切意識せずにノウノウと暮らし続ける反面、困ったことにその「老害さん」は権力持ってたりするのでその集団全体の適切な運営がどんどん滞り、直接的には「ヤル気のある若手」さんが、そして結果的には「その組織の人全員」が非常に困った状況にみんなで追い込まれていくことになってしまう。

物凄く大枠での言い方をすると、過去20年にわたる日本の苦境はこの「老害さんをどう扱うか」について、思い切りの良い諸外国のように何のテライもマヨイもなくボコボコに権力を奪って放逐していくような思い切ったマネジメントができなかったから・・・と言ってしまっても悪くないかもしれません。

ただね。現状の日本は、老害さんたちを腫れ物に触るように扱って捨てずにいたので、社会全体が「トランプvs反トランプ」みたいにどこまで行っても平行線な対立に落ち込んだり、スラム街がどこまでも悲惨なスラムになっていくようなことは避けられたり・・・というプラス面もあったんだろうとは思います。アメリカに比べたらまだ貧富の格差もまあマシなレベルに留まっている。

つまり、なぜ日本が「老害さん」たちを諸外国のようにはボコボコに斬ってしまえないかというと、「その老害さんが代表しているものの中に自分たちの良さの根幹も混ざっている」からだと言えるでしょう。